無名探偵、少女になる
「――ううん」
気がつくと土と草の香りがするどこかに俺は転がっていた。
日差しも感じるが周囲を見渡すには目蓋は重くなかなか持ち上がってはくれない。
「おーい誰かいるか~誰か俺の重たい目蓋を持ち上げてくれ~」
寝起きのせいか上擦ったような声で助けを求める。
もちろん、誰に聞かせるつもりもないただの独り言であるが。
「誰も助けてくれないなら寝ちまうぞ――」
こうして俺は誰にも邪魔されず、そよそよと涼しい風をうけて二度寝を始めるのだった。
そのはずだった。
「――ミコト様、アオがその用件を手伝いましょう」
――
女の声と同時に俺の目蓋は無理やりにこじ開けられるまでは。
――突然日差しを受けた俺の寝ぼけ眼は焼き付き、視界は奇妙な色のモヤを帯びている。
心地いい風の吹く芝生とポツリポツリと立つ木々の中、一つの木陰で問答をする二人。
静かに流れる川をバックに立つ長身の女と――俺。
「――――それでだ」
依然として上擦った声を出す俺は長身の女を問い詰めている。
「はい、どうされましたかミコト様」
長身の女は芯のある綺麗な声でハキハキと応答する。
この女の身体的特徴で目立つのは明るい青い目と恐ろしいほどに整った顔立ち、青を基調とした衣装を身にまとっている。
それとかなりの長身だということか。
「アオの名は『アオ』神に使わす天使でありミコト様の助手でございます」
これはこの女が俺の目蓋をこじ開けて最初に口にした言葉だ。
突然のことで少し驚いたが転生の間で言っていた『天使』だとすぐに気が付いた。
話を聞けば、どうやらコイツは転生者に世界の知識を与えることでサポートするナビゲータの役割を持っているらしい。
そうして俺は助手を名乗るアオと少しの間互いの情報を交換し合った――というより俺が一方的にアオから情報を聞き出していたのだがその最中に重大な事実に気付いたのだった。
「これは一体どういうことだ?」
俺は白い小さな手で大きな服の裾を摘み上げアオに尋ねる。
「ミコト様の転生体でございます、何か不満でもございますか?」
「不満だらけだ!どうしては俺はこんな服を着ているんだ!」
布を摘み上げた小さな手を左右に振るとみるも可愛くたなびくフリル。
こんな服というのはこのフリフリのついたワンピースのことである。
「お前いくら転生したからって三十五のおっさんが女装趣味って――」
見ての通り俺は憤っている、いくら転生させてくれたとは言えこんな体毛の濃い骨ばったおっさんが女装だなんて――
いや待て、小さな手? 小さな手といったか俺は!
恐ろしい予感に顔に手を当て身を震わせるがそこでも戦慄する。
無い! いつもジョリジョリと不快に顔を覆っていた長年連れ添ってきた体毛が無い! まさか――
「ミコト様、一度ご自身のお姿を確認されてはいかがでしょう」
自身の姿を確認するべくアオのとなりをすり抜け木陰から川辺へ。
慌てて川辺にひざまづき、静かに揺れる川面に自身を映す。
そして悪い予感は現実となる。
「子供! 俺が子供になってる!!」
川面に写る俺の姿は見慣れた三十五歳の小汚いおっさんではなく、子供――しかも少女のものであった。
「ミコト様の転生体でございます、何か不満でもございますか?」
「それさっきも聞いたし不満もあるって言っただろ!」
確かに、転生と言われたら新しく生まれ変わることを指しているのだから元の体であるはずが無いのだ。
俺はそんな現実を受け止めまた悲観する。
「そんな――」
「若返ったのに何が不満なのです?」
そう、若返ったのだ。
長い黒髪にどことなく俺の元の顔と似ているキツイ黒目が特徴的な、この生意気そうな十歳ほどの少女に。
しかし、若くなったということは人生というリミットが増えると同時に沢山の不便ごとが増えるのだ。
「こっちにも色々事情があるんだよ……」
それをアオに説明したところで仕方ないので拗ねて冷たく当たることにした。
何か言い返してみろ、と言わんばかりに睨んだもののアオはそれを気にする様子も無く、無言でスタスタと川下の方へ歩き出す。
「おいおい、どこ行くんだ?」
慌ててアオの後を追うが前の体と歩幅が違うせいで走らなくては追いつけない。
これが若返りの代償だ、歩幅のせいで移動がとても不便。
ようやく追いつき服の裾を掴むとアオは気付いたように話し始める。
「これから町へ向かいます、このあたりは魔街灯の数が少ないため夕刻になると魔物に襲われる危険性があります」
「まがいとう?」
俺が疑問符を投げかけるとアオはすぐそばにある白い玉を頭に乗せた黒い鉄柱を指差す。
「魔力を込めた街灯のことです。 魔物の苦手とする魔力を含んだ火の光を放つことで人々の安全を確保する公共の照明魔具です」
「ほぉ」
焚き火を置くと野生動物に襲われない、それと同じことを魔法でやっていると。
つまりこれのおかげでこの世界の流通や交通が安定しているといったところか。
聞きなれない魔物というのは――まぁニュアンス的に野犬みたいなもんだろう。
新たな知識を得てニタニタと、魔街灯に感心していると少し離れた距離からこれまた聞き慣れない奇妙な音が響く。
「ピギィッ!」
音の方を向けば、なにやらえらく大きな鳥のようなモノの群れが隙間なく重なり飛んでいく。
かなり距離があるが恐らく個体で見れば象よりも大きいのではなかろうか。
「アオ、あれはなんだ?」
青空に敷かれる大きな一枚の絨毯のように形成された、奇妙な群れを作るソレを指差し説明を求める。
元の世界であの空飛ぶ巨大生物をみれば怖気付くのだろうが、今の俺は好奇心が勝っているせいか不思議と恐怖を感じない。
「あれは魔物『トビオス』ですね、人々に飼育され各町を跨ぐ交通手段として使役されています」
「生きた飛行機みたいなもんか、襲ってはこないのか?」
「野生のトビオスの尻尾には毒がありますが、あれは品種改良された個体なため無害です」
「どこの世界でも動物ってのは人間の使いやすいよう改良されるんだな」
牙を抜かれた虎というコトワザがあるが、人間のエゴでアイツらは元から牙が無いと思うと少し不憫に思う。
それにしても――
「これだけ目新しいものばかりだと少しばかり興奮するなぁ……」
この世界で出会う全てが俺の常識では測れないものばかりである。
くわえて初めて観測するものばかりなのだから面白くないはずがない。
知的好奇心を満たすことは人類が他種族を差し置いて得た最大の娯楽と言ってもいい。
どこかの神様ではないが、俺はひたすらに『面白いもの』が大好きなのだ。
鼻息を荒くしながら周囲を見渡し「あの生き物は!」「まさかこいつも!」と指差す俺は、この少女の姿でなければ通報されていたかもしれない。
今だけはこの体にしてくれたことを感謝しよう。
「めちゃくちゃ面白いじゃねぇか……ん?」
そして俺はひらめく、この足元に転がっている丸い石。
なんの変哲もない石に見えるが、もしかして俺の世界とは違う魔力の宿った石とかでは無かろうか?
興奮した俺は両手ですくった丸い石をアオにグッと見せつける。
「おい! この石のことも教えてくれ!」
さぁ教えてくれアオ! 俺の好奇心を満たすために!
俺の熱烈なアプローチを受け、アオは半歩進んで俺の手の中に収まる丸い石を一瞥し口を開く。
「これは、ただの石です」
アオは一言だけそう告げると、町の方角へと歩き出す
この世界には俺の知っているものも存在した。
なんの変哲も無い石は、なんの変哲も無いただの石だったのだ。
俺は手に持ったただ丸いだけの石を川に投げ捨て、アオを追いかけたのだった。
しばらく歩いただろうか、体感にして二時間ほどだろう。
周囲の風景は変わず芝生に木々と少しの魔街灯。
ループしてるのではとも感じるこの風景は、田んぼばかりだった俺の田舎を思い出させる。
「なぁアオ、町にはまだつかないのか?」
「このペースなら夕方には到着するかと」
頭上を見上げれば太陽が真上にあることから、時刻は昼頃であると考えられる。
そしてアオの進む先には町が見えないことを加味すると――これはなかなか足がくたびれそうだ。
「馬車みたいなものは無いのか? 運動不足のおっさんにこれはちとキツイぜ……」
悪態をつく少女、もとい俺。
ここにくるまでに目に付くもの全てを知り尽くした俺は娯楽を失った俺は子どものように駄々をこねている。
「ふむ、ミコト様は退屈しているのですね?」
「……」
――不意に図星を付かれて少しばかり驚く。
まんざら間違いでもない。
人というのは退屈を意識し出すと途端に疲れるものだ。
この何でも知っている天使という生き物は人間の心理も知っているのか、とつくづく感心させられる。
そんな驚く顔の俺を見てアオは少し考えたような素振りを見せると、いつもの調子で淡々と話し始める。
「――ではそうですね、神様がミコト様をその体にした理由なんていかがでしょう」
表情の乏しいアオはその無表情に少し意地の悪そうな顔を潜ませている。
この話題お好きでしょう、という人の心を見透かした顔だ。
「ほぉ、そりゃ面白そうだ」
退屈に取られた足は面白そうな話題に少し軽くなる。
早く理由を聞かせろ、と急かすように俺はアオの周りをグルグルと回り出す。
「で、俺をこんな体にした神様は何を考えていたんだ?」
小躍りしながら問い詰める俺を、アオは特に気にする様子も無く口にする。
「その前にミコト様は何故自殺を失敗したのですか?」
「はぁ?」
求めていた内容と違うその言葉に少し不機嫌な顔をしアオを問い詰める。
「それは理由と関係あることか?」
「えぇ、それをお話するのに大切なことです」
その表情は希薄ではあるが興味本位ではなく本当にそれが答えに繋がるという確信を顔に浮かべている。
俺はしばらく迷ったが、アオのその確信めいた表情をみて「そうかよ」とつまらなそうに話し始める。
「そうだな、確かあの時期なにかとても嫌なことが起きて自殺したかったのは覚えているんだが――」
俺の記憶は不安定で曖昧だ。
自殺を計画したのも失敗したのも覚えているが、死のうと考えた理由だけは欠片も残っていない。
「――何度も自殺しようと試みたんだが、何度やっても命を絶つその寸前にいつも『面白いこと』を思いついちまうんだ」
そう電気の紐であやとりをしはじめたときも、風呂場で水遊びをはじめたときも、練炭で秋刀魚を焼いたときも――
「――そうやって、いつも頭の中の俺が『まだ面白いことがある』って死なせてくれなかった」
そんなことを言ったあと、ふと我に返ったように言葉を続ける。
「ははっおかしいだろ? いい歳したおっさんが死ぬ間際まで遊ぶこと考えてるんだからな」
そう、あの世界ではみんな俺のことを頭のおかしな『変人』だって笑っていたんだ。
あのときも、あのときも、あのときも――
「悪い、これ以上は思い出せねぇ」
これ以上思い出すと気分が落ち込みそうなので、わかりやすい嘘をつき話を切り上げる。
これから面白い話を聞こうってのに、苦い思い出を口にするのは雑味でしかないのだ。
そんな俺の自殺失敗談を聞いたアオは「ふむ」と納得したように、しかしいつもの調子で淡々と話し始める。
「神様はそんなミコト様が生きやすいよう、その器を与えられたのです」
アオはそれが答えです、と言いたげな顔をしている。
それを言われた俺はというとひたすらに目を丸くしている。
酒もタバコも出来ないこの体が?
歩幅も小さく移動に難儀するこの体が?
そうだとすれば神様の目は節穴だ。
「そんなはずあるか、馬鹿なことを――」
生きやすいはずはない、と不信感を口にする最中ハッとする。
『鼻息を荒くしながら周囲を見渡し「あの生き物もか」「まさかこいつも!?」と指差す俺は、この少女の姿でなければ通報されていたかもしれない』
『この愛くるしいポーズも元の体だったならば痛いおっさんであった。 が、この姿ならば痛くない』
ついさっきの記憶に固まる俺の顔を、大きなアオはしゃがんで覗き込む。
「もうすでに心当たりがあるようですね?」
アオはまたも希薄な表情で意地の悪い顔をしてみせる。
この女、俺の心を全部見透かしやがって、それなら――
「ふん、こんな体、面倒なことばかりで得なんてねぇよ」
「そうですか、ではその体も神様の手違いかもしれませんね」
――こうして安心して悪態もつけるってもんだ。
「おや、退屈はどうされました?」
「以前退屈なままだ、早く町に向かわないと退屈で死ぬかもな」
「では先を急ぎましょうか」
俺はニタリと『少女に不釣合いな笑顔』を浮かべアオの隣を歩く。
この他愛の無いたった少しの会話で俺は『少女の軽い足取り』を得てアオと町に向うのだった。