『愛した人を殺せますか──はい/いいえ』訳:赤羽学
この作品は他サイトで大好評連載中の作品を原作者の許可をいただき『再翻訳』させていただいたものです。
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──この作品を原作者『****』に捧ぐ──
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不自然な波が一つ起きて真っ赤な船が大きく揺れる。強い風が吹き付けて赤い帆を揺らした。
しかしそんな波や強風を受けて尚、真っ赤な船──ガーネット号──は着々と獲物へと迫っていた。
彼らはシャーク海賊団としてその名を海に轟かせる大海賊であり、本来ならこの赤い船が獲物の視界に入った時点で勝敗が決する。しかし今、彼らの追う獲物はガーネット号よりも一回り小さく、しかし彼らの宣戦布告に対して降伏しない珍しい船であった。
船尾楼にて舵をとる赤い髪の小柄な少年、ジウ・エワードは上機嫌で船を操っていた。彼の赤い目は爛々と輝いている。鼻歌でも歌おうかと思ったとき、視線を感じた。
ジウは面倒くさそうに頭を数回横に振り、視線の持ち主──船長のラムズ・シャーク──の方を向いた。
長いコートのボタンにゴールド、耳のピアスはダイヤモンド、大きく空いた胸元にはサファイアのネックレス、腰のベルトにはアメジストが装飾され、ブーツにはトパーズが。その手の指には全て指輪がはめられており、どれも高価な宝石や希少価値の高い魔石がはめ込まれていた。
数々の宝石を身にまとった彼は、畏敬と皮肉を混ぜて『海賊の王子様』と呼ばれていた。
王子様の名前に相応しくラムズは大分若く見える。左目に眼帯こそつけているが、髭もなく清潔感のある見た目をしている。細身の身体だが背は高く、肌は絹のように白い。しかし、しっかりしたと筋肉が見える為に貧弱さは感じられない。そしてその目は──死んだ魚のようだった。その冷たい視線がジウを見つめる。
ジウは唇をすぼめ、不満そうに声を漏らす。
「だから大丈夫だってえ。今度はさっきみたいにならないから。初めてじゃん、あんなこと」
「ああ。分かってる」
ラムズはそう呟くと、船から海を見た。
海はずいぶん前から閑寂としている。太陽の光に照らされて、海面は宝石のように輝く。波は静かに流れ、光とともに海に模様を付けている。嵐の予兆は全くない。
だが、何かがおかしかった。つい先ほどの降って湧いたかのような大きな波。こんな静かな海に、その波は明らかに変だった。
そもそもジウはかなり腕利きの操舵手であり、何度も船を嵐から守ってきたのだ。海の波を読むのは得意なはずである。
「もしかしてアレじゃないの、水の神ポシーファルの使族の」
「……クラーケンか。それはないな」
ラムズが答える。先程から海を見ているが、もしクラーケンがいるならば少なくともこの船の下に黒く大きな影が泳いでいるはずである。しかしここにはいつものように青々とした水が広がっている。これ以上ないほどの平穏な海に、クラーケンの存在を疑うことはできなかった。
船が止まった。すぐ隣には先程から追っていた獲物、オパール号がある。いよいよ移乗戦が始まるのだ。ジウは自分の仕事に満足して、にんまりと笑みを浮かべた。
船が止まったことに気づいた船員達が、がやがやと騒ぎ始める。
「久々の戦い、腕が鳴るねー!」
「おいおい、苦しませるのはナシだぞ?!」
「分かってる分かってる。俺はジウじゃないんだから」
船員達は腕を伸ばして骨を鳴らす。その手に武器はない。強靭な肉体と筋力の持ち主に、武器など必要ないのだ。そして彼らもジウと同じような赤い目と髪を持っていた。
──ルテミス。
赤目、赤髪の彼らは、ルテミスと呼ばれていた。
隣の船で喊声が上がったそのとき、ガーネット号の空気は凍てついた。しんと静まり返った船内をラムズが一歩、また一歩と歩き船員達の先頭へと出る。
その様子をオパール号にいる長い赤髪の男が瞳に捉え、その静かさを不気味に感じて警戒する。その一人に倣うように、周りも静まり返る。
ラムズが船員達の方へ振り向き、オパール号に背を見せる。
しかしオパール号の船員全員が動けなかった。恐怖でも、畏怖でもない。何故動けないのか。その理由を理解できてる者は一人もいなかった。
ラムズの海賊帽の白い羽根がふわりと浮く。その青い眼に、生気と殺気が満ちる。
「野郎ども、戦闘開始だ」
船長の一声がガーネット号全員の闘争本能に火をつけ、各々が拳を掲げたり喊声を上げたりして船長に応える。
ガーネット号の一人が飛び出したのを切欠に、次々とオパール号に侵略者が乗り込んでくる。負けじとオパール号の者達も喊声を上げてガーネット号になだれ込む。
空を舞い、人を飛ばし、切って、折って、殴り、ちぎり、泣いて、果てる────。
どちらの船も戦場と化していた。喊声や罵声、金属のかち合う音があちこちから聞こえてくる。
誰もが果敢に戦っているが、どちらが優勢かは明らかだった。
床に転がっている死体は、その多くがオパール号の船員である。赤髪の船員はほとんどいない。
死体は切り傷の代わりに、打撲の痕が見られるもの。関節が変形してるもの。一部が欠損しているものだらけだった。大きく見開かれた目玉は、赤髪の男たちを睨んでいるようだった。
この多くの死体の原因であるジウはオパール号へ移り、最前線で戦っていた。
「えへへ、いくよー」
ジウは目の前にいる大男の股を抜け、後ろに回り込んだ。男が呆気にとられながらも反射的に左回りで後ろを振り向いたとき、ジウは地面を蹴って跳ね、男の顎に右振りの掌底を合わせた。顎が砕け、首が衝撃に耐えられず、その勢いが体に伝わる。大男はその巨体を回転させながら倒れこむ。床に転がる大男を見つめるジウの口が歪む。脳を揺らされた大男は絶命こそしていないが、体が思い通りに動かせず、もがいていた。大男の目が自分への殺意から、見苦しい命乞いのソレに変わったのを確認したジウは歪めていた口を戻し、その顔から一切の表情を消す。
呻き、涙を流して懇願する大男に一切の躊躇も慈悲も無く、ジウは右足で大男の頭蓋を『踏み抜いた』。骨が砕ける乾いた音が響き、その中からあふれ出たモノがみずみずしい音をたてて真っ赤な華を咲かせる。
ジウの後ろから筋肉質な男が切りかかる。ジウは振り向くと、避けもせずに右手を軽く上に上げる。切りかかって来た男のカトラスを人差し指と中指の二本で止めてみせる。
ジウはペロリと口元の血を舐め、相手を見つめる。恐怖に染まったその顔を見て満足そうに笑うと、空いている左腕で相手の心臓目掛けて拳を放ち、骨を砕いて体を突き破る。男の心臓を掴んで腕を引き抜き右手の力を抜くと糸が切れた操り人形のように男が倒れ、床が赤く染まる。左手に持った心臓を握り潰し赤い髪になでつける。そして次なる獲物を探しに眼を光らせた。
「やっぱり敵船に乗り移った方がたくさん殺せていいな」
ジウは心から楽しそうに、そう呟いた。
ジウは、少し離れたところで赤髪の仲間が倒れたことに気付いた。仲間は太腿の肉を抉えぐられ、腕を片方折られている。目も潰されている。意識はもうないようだった。
ジウは仲間を殺した男を観察する。
男は長い赤髪で、それを一つに縛っている。身長も体型もジウと同じくらいであり、男にしては細身だ。同じルテミスかとも思ったが目の色が違う。彼の目は青だ。
ジウは男の方へ歩みよる。途中、一区切りついたらしい彼の仲間が叫ぶのが聞こえた。
「キリル、もう無理だ!」
「分かってる」
彼の名はキリルというらしい。キリルは瞼を閉じて何やら考え込んでいるように見える。
その態度も、仲間の船員と呑気に会話をしているのも、ジウは面白くなかった。
ジウは足を早めて近づくとキリルの背後に立った。キリルの肩を掴み、ぐっと力を込めて自分の方へ引く。
「ねえキミ、なかなか強いじゃん?」
キリルが、振り返りざまにジウの左腕へカトラスの刃を滑らせた。腕の皮膚がぱっくりと割れ、鮮血が滲み出す。
ジウはカトラスを叩き落とそうと右手を伸ばす。が、避けられた。キリルの左手から何かが出現したかと思うと、それがジウの右太腿に突き刺さった。ジウの太腿を貫いたものの正体は鋭利な氷柱だった。
「無詠唱?」
ジウは一瞬痛みに顔をしかめたが、膝を着くことはなかった。急所は外れている。ジウはキリルの左前腕を右手で掴んで捕らえると、思い切り握り締めた。このまま握り潰そうとする。骨の軋む音が響いた。
「痛い!」
「……え、キミ女?」
ジウが力を弱めたその隙をついてキリルは右手のカトラスを手放し、転がっていた砂の袋を掴んだ。ジウに袋を投げる。ぱっと砂が広がって、ジウの目に入った。
両手が自由になると、キリルは上からぶら下がっている縄を掴む。そのまま空中で旋回し、ジウを後ろから蹴飛ばす。
そして、そのままジウの背中に飛び乗った。が、その瞬間にジウの体は跳ねてキリルの視界はぐるりと反転した。キリルが背中を床につけたことを認識した時には、既にジウがキリルの身体に跨っていた。
「ボクたちをなめてもらっちゃ困るなあ」
ジウは両足でキリルの両腕を固定し、キリルの首元に手を持っていく。狂気に満ちた笑いを見せながら話しかけた。
「すごいよね、キミ。ルテミスじゃないのに、ルテミスを殺しちゃったなんて。でも、もう死んじゃうね」
ジウは小動物のように可愛らしく首を傾げ、長い睫毛をパチパチと動かした。赤く丸い大きな瞳に、悔しそうな顔のキリルが映る。
「…………キチガイ」
キリルは低い声で唸った。
「ありがと」
ジウは両手に力を込めて、首を絞めていく。が、窒息死させるのが目的ではない。それでは確実に死を与えられるとは限らない。首の骨を折ろうとしているのだ。できるだけ、苦しめて。
キリルは自らが死に近づいていくのを感じた。視界から色が消え、体から力が抜けてフワフワと浮く感覚を覚える。
キリルの目から光が消えたのを確認したジウは「おやすみなさい」と耳元で囁き、喉に親指を押し込み──。
「やめろ」
冷たく、静かな声が、ジウの耳に触れた。
ジウは手の力を少し緩めて、声の方へ頭を動かす。青い右眼と視線が合った。
ジウは面白くなさそうに、膨れっ面で口を動かす。
「なんだよ、船長」
「俺はそいつと話がある。ちょっと離せ」
「ええー。ボクが捕まえたんだよ、これ」
「船長命令、従うよな?」
「はいはい、ラムズ船長さまー」
ジウは大きく溜息を吐き、渋々キリルの体から身を起こした。
首を絞めていた力がなくなったことにより、キリルの頭に再び正常に血液と酸素が送られる。少しずつ視界も色を取り戻し、体にも力が入るようになる。自らを見下ろす影を二つ捉える。
一つは先ほどの小柄な少年。もう一つは────見たことはないがその悪趣味な風貌からして、噂の『海賊の王子様』、ラムズ・シャークなのだろう。と当たりをつける。
顔を近づけてきたラムズへ向かって、起き上がりながら右の拳を放つ。ジウが即座に左手を出し、その拳を掴む。
ジウもラムズも表情が一切変わらないのを見て、キリルは小さく舌打ちをする。そして今度は魔法を繰り出そうと左手を構えた。
「なあ、メアリ」
ラムズの声に、キリルはぴたりと動きを止めた。『メアリ』はキリルの本名だった。
海賊にメアリという本名を知っている者は誰もいないはずだった。ましてや二人は初対面である。
「俺は人よりもココが賢くてさ」
ラムズは人差し指でこめかみを叩いた。美青年なのに、彼の表情には氷のような冷たさが張り付いている。
腰をかがめ、その手をメアリの足へ優しくのせた。
「メアリ、あんたに何があった?
こんな綺麗な…………分かるよなあ? 俺はこんな奴、見たことない」
口元は緩み、青い眼はぎらりと光った。ルテミスとは違う白銀の髪が風でゆれる。嘲笑う声は、メアリの耳から脳内までを一舐めした。それは凍えるほど冷たい。メアリの背筋に悪寒が走る。
だが次の瞬間、メアリははっとして眼を見開いた。ラムズを睨み、足にのっている手を素早く払う。
「殺したいなら早く殺せばいいだろ!」
「殺す? 俺はそんな残酷なことはしない」
ラムズはさもおかしそうに笑った。
「じゃあ売るんだな?」
「まさか。あんたを仲間にしようと思って」
ラムズは腰を上げると、メアリを見下ろした。メアリは床の上で、口を開けたまま固まっている。
ラムズは唇を吊り上げ、意地悪く笑った。片膝を立て、左手を自分の背中に回す。そしてうやうやしく、メアリに右手を差し出した。
「メアリ、俺たちの船に乗らないか?」
メアリは何度か瞬きをしたあと、喉から声を絞り出した。
「…………何を、言っているんだ?」
「そのまま。俺たちの噂は知ってるよな。悪い話じゃねえだろ? 船長直々のお誘いだぜ?」
「……お前、何か勘違いをしてるんじゃないのか?」
「いいや。なんならその腕、まくってやろうか?」
ラムズの手が滑らかに伸びていく。
自分の腕に触れるというところで、メアリはさっと体を引いて手から逃れた。ラムズを見上げ、眼を尖らせる。そしてゆっくりと口を開いた。
「断る。人間は敵だ。オレの正体を知っているやつのところにノコノコついていくなんて、馬鹿のすることだ。お前だってオレたちが憎いはずだ」
甲板に座ったまま、ラムズをじっと見据える。二人の青い眼は、お互いを掴んで離さない。
「俺はあんたのことなんてなにも憎くない。むしろあんたたちが好きだ。とても美しいからな」
ラムズはメアリを右の瞳に映したまま、優しく笑いかけた。
さっきまでの意地悪い態度と今発せられた「美しい」という言葉は、どこか不釣り合いだった。だがラムズの優しい笑みは、それはもう恐ろしいほど「美しさ」に魅入っている。その笑みに嘘偽りはなかった。
「ねえ船長、船離れていってるよ」
「ん?」
ジウに後ろから声をかけられ、ラムズは海の方へ目を動かした。視線の先には離れていく自分たちの船。
先ほどから、ここオパール号とガーネット号の距離が広がりつつあった。オパール号の敗北を察したメアリが、これ以上自分のいる船に損害が出ないよう、波を操って船を動かしていたのである。
ジウに襲われる直前、メアリは海に呼びかけていた。
初めに何をしてほしいか伝えれば、あとは海がやってくれる。もちろん海に意識はないが、メアリの使族は海と"話す"ことができるのだ。海を愛する使族が持つに相応しい能力である。
両船の船員たちは、そのほとんどが自分の船に戻っていた。戦いに夢中だったジウと、メアリに興味を持ったラムズの二人は船が離れていることに気付かなかったようだ。
ラムズは目を細めて、海に浮かぶ自分の船を見た。縄を使ってここからガーネット号に飛んでいくのは、『人間ならば』不可能な距離だ。だがラムズは全く焦っていない。
ジウの方を見て、意味ありげに笑った。
「なんとかなるだろ。なあジウ?」
「はいはい、ボクがなんとかするんでしょ」
「そーいうこと」
それだけ言うと、ラムズはメアリの方へ向き直った。
「で、どうするんだ?」
「断る」
「こんなに頼んでいるのに?」
「行かないと言ったら行かない。人間を信じられるわけがないだろ!」
メアリは勢いよく立ち上がり、鋭く睨みつけた。足は根を下ろした木のように構えて全く動こうとしない。
「それは残念」
ほとんど残念と思っていないような声だった。
ラムズは胸元のサファイアに手を伸ばし、それをコロコロと掌で転がす。メアリをもう一度見て、薄く唇を開く。きらりと何かが光った。
メアリは憎々しげにラムズを睨みながらも、呟く声は小さかった。
「…………絶対、行かないから」
ラムズは楽しそうにそれを見てから、ジウの方へ向き直った。
「ジウ、頼む」
「はいはーい」
ジウはラムズの腰を片腕で抱えると、近くにぶら下がっていた縄を掴んだ。そのまま助走をつけて飛び上がる。船のへりを蹴ったあと、人間とは思えない跳躍力で空を切った。
ジウとラムズは、ガーネット号の船の上へ降り立った。
他の船員は、もう怪我の手当てをし終えていた。各々が持ち場につき、船を動かしている。
死んでしまった船員の代わりに、何人かのオパール号の船員が乗っている。彼らは船が離れ始めたとき、自分の船に戻ることができなかった者たちだった。このように他の船にやむを得なく乗り込んだ場合、その船で生きていくのか、海へ身投げをするかを選ぶのである。
ジウは甲板長を目で探した。ざっと船内を見渡したが、見つからない。地下にいるのかもしれないと思い、ジウはそのままラムズの隣に留まった。
「それにしても余裕だね、こんくらいの距離を飛ぶくらいなら。船長もルテミスならいいのにね!」
「ルテミスねえ」
ラムズは船のへりに体重をのせ、海の方を見ている。視界の隅、ルテミスがまた船に乗り込んだのが写った。
「船長の銀髪はなに? ただの地毛?」
ジウは物珍しそうに、自分の赤髪とは違うラムズの髪を見た。
「なんだと思う?」
「……別に。やっぱどうでもいいや」
ジウはそう言うと、ラムズと同じように海の方を見た。だが見ていてもつまらないのか、すぐにまたラムズに話しかける。
「なんであの女誘ったの?」
「俺の気まぐれだ」
「気まぐれじゃないくせに。でも来ないって言ってたよ」
眩しい太陽が二人を照りつける。白銀の髪が反射して光ったとき、ラムズの唇が歪な弧を描いた。
まるで、なにかを予感しているかのように────。
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