2/戦争の気配、王の決断
いつものように中庭では訓練生が気合の入った掛け声とともに剣を振るっている時間。いつものように妻が掃除をし、夫は仕事をして、子供は勉学に励んでいる、そんな時間。
城下町では号外が飛び交い、城内では役人、衛兵、一般人など、様々な人々が忙しそうに行き来していた。
訓練生も、もちろんレオナルドも何が起きているのか気になっていた。先ほどギリアンが王に呼ばれて、訓練を続けるようにと言われていた訓練生。しかし、何が起こっているのかわからないかと言えば、それは違う。
「ついに、戦争か……」
レオナルドは、呟いた。それと同時に、今まで黙々と剣を振っていた訓練生がたちまち騒がしくなり、不安な声、やる気に満ち溢れた声。色々な感情が場を支配した。
この国は、聖騎士の半ば伝説を利用した強さにより、どの国にも攻め込まれずに、今まで話し合いなどでやり過ごしてきた。しかし聖騎士といえど、国中の衛兵を相手にするなど、いくらなんでも無理な話で、それはただの飛躍しすぎた伝説に過ぎない。しかし、他国はそれを知らないし、貿易以外の交流をしないこの国のことなど、知っているわけもない。それが恐怖を呼び、なんとかこの国を守ってきたわけなのだが、この時代、そんな伝説を信じるほうがどうかしている。
つまり、遅かれ速かれ、ヨーロッパの敵国の手が伸びるのはわかっていた。そのような噂が、何度も流れていたからだ。
どうすればよいのか、レオナルドは考える。そんなのは簡単だ。降参すればいい。それが、被害を最小限に止める唯一の方法。
そんなことを考えてきた時、同じ訓練生のカイルがレオナルドに話しかけてきた。
「どうなるんだろうな、この国は。本当に戦争なのか?」
「多分、そうだろうな」
「俺は、降参するのが一番だと思うんだけど」
カイルの考えが自分と同じだったことに、レオナルドは少しだけ驚いた。しかし、返答は決まっている。
「でも、あの王じゃ無理だな」
「だな……」
今レオナルドが言ったとおり、王にある確かなプライドが、降参を許すはずが無い。それは衛兵の誰もが知っていた。だからこそ、なんとしても戦争だけは避けたい、王のプライドのために国を危ぶめてはいけない。そう思っていた。
その時、訓練生を掻き分け、カイルをどかしてきた大きな影があった。どかされたカイルは、その場に大きな尻餅をついてしまう。
「おいおい! レオナルド、まさかびびってんじゃねぇだろうな!?」
「……ふう。またうるさいのがきた」
カイルに手を貸して立たせながら、レオナルドはその迷惑野郎に目を向ける。いきなり話しかけてきたのは、ゴリラ。……では無く、ゴメイル。図体も、態度も、声も、何もかもデカイ。しかし、それだけに実力も確かなもので、訓練生でナンバー2。故に、ナンバー1のレオナルドに何かと絡んでくるのだ。
「あぁ? いいかよく聞け! 戦争ってのはな、実力を試すいいチャンスなんだよ! お前だって本当はそう思ってるんだろ!?」
レオナルドは、こういう輩が戦争を煽るんだなと思いながら、やれやれと言った表情でゴメイルに言う。
「お前が1000人いたってこの戦争じゃ勝てないさ、ゴメイル」
「ならお前が1000人いたら勝てるってのか!?」
「もちろん」
「言うねぇ! なんならここでどっちが強いか証明してやろうか!?」
レオナルドの挑発に、ゴメイルは簡単に乗ってきた。もしかしたら、これが目的だったのかもしれない。そう思いながらも、レオナルドは腰を落とし、剣の柄に手をあてる。もちろん、真剣ではない。それを見たゴメイルが、ニヤッと笑った後、同じような戦闘態勢をとった。
さっきまで不安で一杯だった訓練生達が、レオナルドとゴメイルを円状に囲み、打って変わって皆一様に笑顔で騒いでいる。まるでお祭りのような騒ぎ。中には賭けをしだすものもいるし、両手を叩いて激を飛ばしているものもいる。今は、このナンバー1争いのような”喧嘩”を楽しもうと、そう思っているのだ。
やり方はともかく、レオナルドとゴメイルは皆の不安を吹き飛ばしたのだ。
「後悔するなよ」
「お前がな!!!」
いつのまにかカイルが審判としてついていて、右手を天高く掲げた。
訓練生は一瞬で黙り、中庭に静寂が訪れる。
カイルは、最初にレオナルドを、次にゴメイルを見る。そして次の瞬間、掲げていた右手を力一杯振り下ろした。
開戦の合図。静まり返っていた訓練生が、一瞬で沸きあがる。
まず仕掛けたのはゴメイル。大きな体と腕力を活かし、レオナルドの頭上に剣を力いっぱい振り下ろす。真剣ではないにしろ、当たったらただではすまないであろうその一撃に、レオナルドはゴメイルが本気だと理解する。瞬時の判断で右に避け、一旦距離を置いた。
「おいおい…流石にばか力だな」
レオナルドはゴメイルの腕力に改めて寒心する。さっきまでレオナルドがいた所は、ゴメイルの剣が地面にめり込むような形になっていた。もし自分が同じ行動をとっても、ああはならないだろう。
ゴメイルに金を掛けている者たちが、声援を上げ、ゴメイルが更に猛る。
それにともない、レオナルドはどんどん冷静になっていった。周りの動きがスローに感じるほどに集中する。
囲んでいるものの声援が、まるでBGMのように耳から入り、通り抜けていく。風を感じるほどに精神は研ぎ澄まされ、見据えるのはゴメイル。
瞬間、ゴメイルが動いた。ゴメイルの突きを剣でいなし、ゴメイルがいなされた剣をそのまま遠心力をつけて振りぬく。しかし、レオナルドはそれを屈んで避けた。
そのままの体制で左足を軸とし、遠心力をつけて右足を思いっきり回す。体制の崩れていたゴメイルは、簡単に地面に転がった。
そのままマウントポジションを取るレオナルド。剣をゴメイルの鼻の先に突きつける。
「俺の勝ちだ」
そう言った矢先、レオナルドの体が空中に浮く。なんとか受身を取り、体制を整える。
「まだ負けてねぇ!」
ゴメイルが、自慢の腕力で投げ飛ばしたのだ。決まったと思った勝負に思わぬ落とし穴。会場は一気に沸いた。
その時だった。
「何をしている!!! バカ共がぁ!!!」
本来、訓練をしていなければならない訓練生達。今現在教官はいない。しかし、戻ってくる可能性だってあるわけで、見つかったらどんなことになるのか……。
誰しもが固まり、恐る恐る振り向いた。
そこには、鬼教官、ギリアンが立っていた。
***
「くそっ、あんなに怒ることないだろう」
あの喧嘩騒動のあとこっぴどくしぼられたレオナルドとゴメイル。今しがた、やっと説教が終わったところなのだ。
現在は王室へと続く長い廊下を歩いているところだ。その訳は、ギリアンに言われた一言によるもの。
「王がお前を書斎でお待ちだ」
レオナルドには心当たりが無いわけじゃない。恐らく、ユリア絡みのことだということは、誰にでも想像がつく。
長い廊下の突き当たりにある大きな扉。その門の左右に立っている聖騎士。俺の姿を確認すると、2人の聖騎士が持っている槍を×の形になるように突き出した。
しかし、俺の姿が確認できるまで近づくと、ほぼ2人同時に槍を降ろす。
「なんだ、レオナルドじゃないか。随分遅かったんだな」
「ギリアンに少ししぼられてたんだ」
「またか? 今度は何をやったんだ? まぁいい。王がお待ちだ」
そう言って、扉を開けてくれる。レオナルドは、小さく礼をしてから書斎へと入っていった。
書斎、それは元は王の部屋であった。王の任についたものは、この部屋を自分好みに模様替えできると聞いた。先代は民が気軽に尋ねられるよう、事務所のような雰囲気にしたてていたらしいが、この王の部屋はまるで図書館。本棚がずらりと並び、どこか堅苦しい雰囲気をかもし出している。
「レオナルドか。待っていたぞ」
はっきり言ってどこにいるのかわからないが、王の声が書斎に響く。レオナルドはそれに応えるように王の下へ歩いた。
「何か御用ですか?」
王は、窓の淵に背中を預けながら、本を読んでいた。レオナルドは右膝をつき、左の拳を地面に当て、いわゆるひざまずくようなポーズをとる。
「いい、楽でいろ。今回、お前を呼んだ理由だが……。その前に、確認しておきたいことがある」
王の真剣なまなざしに、少しだけレオナルドは緊張しながら答えた。
「それはどういったことでしょう?」
「ユリアを愛しているか?」
「愛しています」
即答。一瞬の迷いも無い、微塵の疑いも無い言葉。それを聞いた王は、ふっきれたように微かに笑った。
「それを聞いて安堵した。それならば、お前にチャンスを与えよう」
あのプライドの高い王が、自分を認めてくれている。嬉しさでレオナルドは思わず立ち上がり、まっすぐに目を見つけて答える。
「あ、ありがとうござます!」
「あぁ……うん。まぁ聞け」
王は少し照れくさそうにし、顔をそらした。レオナルドは我に返ると、もう一度ひざまずく。
「……申し訳ありません。チャンス、というのは?」
「そなたに、頼みたいことがあるのだ」
「頼みたいこと?」
「お前は訓練中の身で知らなかったかもしれんが、この国はまもなく他国の争いの惨禍に置かれるだろう」
「争いの惨禍?」
「そうだ。これは今朝公表したことなのだが、右の隣国と左の隣国。これから大きな対戦が起こる。実は、右の隣国から加勢するように言われていたのだ。加勢しなければ、戦争は中心であるこの国で行われ、しかも敵国とみなされてしまう。私は考えに考えた」
「それで、この国は戦争になると?」
「そうだ……。今まで聖騎士の力で守られてきたこの国だが、ついにこの時がきたのだ」
レオナルドにとって、そんなことはどうだってよかった。それよりも聞きたいことがあったからだ。
「正直、私はそなたの才能は買っている。幼き頃から武才の子と呼ばれ、今や聖騎士に負けず劣らずの実力を持っていると聞いている。最近は『武神』の2つ名がついたそうではないか」
武神のレオナルドとて、努力なくして今のレオナルドは無いのだ。言わば、努力の天才でもあると言える。そんなレオナルドにとって、王の言葉はかんに障った。しかし、そうだとしても、王……というより、ユリアの父に認められたということは、レオナルドにとって何よりも嬉しかった。だから、レオナルドは王に何も言わない。王の言葉を待っているのだ。
「そこで、だ」
レオナルドは身構えて王の言葉を待った。窓の淵から入ってくる日光が、レオナルドの体を照らす。今まで沢山の苦難に打ち勝った肉体が、光によって包まれる。
王が窓際に立ち、騎士がひざまずいている。そんな絵に描いたような情景のまま、時が止まった。
時が再び動き出したのは、王の発した一言によってだった。
「そなたに、一番隊の隊長の任についてもらう。戦争の最前線で戦う隊だ。その隊を勝たせてくれたなら、そなたを一人前の男と認め、ユリアとの婚約を認めよう」
「お任せください」
またも即答。もとより、レオナルドは最初から断るつもりなど毛頭なかった。
たとえそれが、どんなに無茶なことであろうとも。
満足そうに微笑む王、それに答えるかのように勝利を約束するレオナルド。本棚の影で、王やレオナルドに見えないよう、隠れ覗いている影が1つ。その存在には、王も、レオナルドも、全く気付けなかった。