邂逅Ⅴ 荷馬車に揺られて-2
馬車による移動が始まって一日が経過した
ツキナは寝台から起き上がると非常にのろのろとした動きで周囲を見渡した
小うるさい少年の姿を目で探すがどうやらいないようだ、下の階だろうとすぐに思い付き欠伸をしながら梯子を降りた
やはり下の階にいた少年はなにやら地図を広げて座っていた、なんと声をかけようかと思っていると先に声をかけられた
「おはよう、ちゃんと眠れたか」
「おはよう、……わりと快適にね、慣れちゃうとけっこう楽ね」
ツキナはうーんと背筋を伸ばすように伸びをした
魔術的な防寒が施され意識する必要もない車内なので、彼女が身に纏っている物は白い薄手のキャミソールだけだ
ひらひらと涼しそうに揺れるその服装を眺めながらユウスケは呆れた様子を隠さずに言った
「どんな格好で寝るのもヒイヅキの勝手だけど、油断して体調を崩すなよ」
「わかってるわよ」
相変わらず小言の多い少年に適当に返事をしながらツキナは椅子に座った
「なんで地図なんか見てるの」
「別に、ただの暇つぶしだよ」
「ふーん?……そういえばユウスケは寝たの?」
彼女は何気なさを装って聞いたつもりだったが、話題運びにやや強引さがあった
昨晩「先に寝て良いぞ」と言われ、上にある寝台に上がった後、少年もここで寝るつもりなのだろうかと考えると彼女は眠りつくまでにかなりの時間を要した
結局その最中にユウスケが現れることはなかったわけだが、もう起きているとなると結局下で寝たのだろうか?と彼女は疑問だった
「いや、俺は寝てないよ」
「そうなの?やっぱり念のために起きててくれてたりするの?」
少年は今更か、と頭を掻いた。もういいかげん彼女の質問攻めを避けるのも面倒になっていた
だいたいツキナには嘘が通じないのだ、はぐらかして不信感をもたれても困ると逆に考える
もっともツキナはそういう発想に至るタイプではないようにも思えていたが、ユウスケにとってはその程度の言い訳が必要だった
「それはついでだ、別に隠してたわけでもないけど、俺は寝ないんだ」
「え、そうなの?」
「ああ、体内の魔素の関係だと言われてる。だから俺は一人で案内人ができるんだ」
「でも魔素食いと戦ったあと寝込んでたでしょ」
「あれは暴走が原因なんだ、そういうときは寝る必要がある」
正しくは意識がなくなってるだけというニュアンスが近いが、それ以外で睡眠を必要としたことはなかった。魔素容量が多すぎて魔術を使えば暴走する代わりにある数少ないメリットの一つだと少年は思っている
「へー?じゃあそれがユウスケの英雄の子孫としての特性なんだ」
魔術やアイテムを使えば不眠不休で動くことは可能なため欠陥と言った方が適切な気がしたが、わざわざ訂正するのも馬鹿らしくて少年は訂正するのをやめた
「……たぶんそうなるな、そういえばヒイヅキは自分が英雄の子孫だって知らないみたいな感じだったな」
「私のいたとこじゃ英雄の子孫なんて言葉は聞いたことなかったからね」
「なんて国なんだ?」
「エルミアって呼んでたかな」
少年は広げていた地図に目をやった、やはり思い当たらない
念のために地図を見直していたのも地図を広げていた理由の一つだったのだが、彼の持っている地図には該当する地名はない
綴り違いかとも思ってツキナに書いてもらうがやはりわからない
「やっぱりそんな国ないな」
「あるわよ失礼な」
「あったとしても、イグニスでは知られてない国だな」
「なんでそんなこと言い切れるの?」
「俺は仕事上地図や勢力図には詳しい、その俺が知らないんだぞ、ないねそんな国」
「ユウスケが忘れてるだけかもしれないじゃない」
「……それはないね、俺には一度見た物を忘れない記憶能力があるんだ」
「……そうなの?」
「ああ。って言っても口で言っうだけじゃあれか、……試しにその紙の裏に長めに何か書いてみろ、文字だぞ、絵とかはやめろ」
「?いいけど」
いきなり言われても思いつかず、結局ツキナは数字の羅列を書くことにした
思いつくままに数字を書いていき、ほどなくして一面が数字で埋まった
「できたけど」
「じゃあそれ見せて、一瞬だけな」
「こういうこと?」
ツキナは紙を見せて、すぐさま裏返した
「これでいいの?」
「左上から33218894362115803265877540018281918・・・」
少年はつらつらとそれを読み上げ始め言い淀むこともなく最後まで読み終える
それが続くにつれてツキナの表情は信じられないと驚愕しているようだった
わざわざ面倒なことをした甲斐があったとユウスケは内心でほくそ笑む
「・・・って具合だ、納得したか?」
少年は珍しく少し自慢気で、対してツキナは開いた口が塞がらなかった
一瞬何かでインチキをしているのかと思ったが皮肉なことにツキナ自身の眼がそれはないと判断していた
そういえば巨大尾兎の縄張りを通っていた時に樹木の影の位置を覚えていると言っていたことを思い出す
あれは本当にそのままの意味で使っていたのだと思い至った
「お前だったら俺が嘘ついてるかどうかわかるだろ?」
「……す、凄いわね」
「まぁな、飯のタネだからな」
少年は年相応な無邪気な笑顔を作った
それはツキナが初めて見た彼の表情でもある、そういえば殆ど笑っているところを見たことがない
だいたい不機嫌そうにしているか、呆れているか怒っているかだ
あれ?そういえばその理由はだいたい私のせいのような気がする、いつか謝った方が良いかもしれないと思った
笑顔だったユ少年の表情に突然影が落ちた
「……って言っても、皮肉な話だけどな」
「?」
少し考えて、ツキナは言葉の意味を理解する
ああ、記憶力が良いのに記憶喪失になったということを言ってるのかと
そういえば自分が記憶喪失であることを明かしたのに、彼が未だに自分の口からそれを言ってくれていないことを思い出す
もっともそんなルールなんてどこにもないのだが、仲間意識のような物を感じているのは自分だけなのだろうかと思うと少し面白くない
ツキナはバタンと座席に寝転んだ
「また寝るのか」
「寝ないわよ!」
「??まぁとりあえず、だからないって言えるね」
「それで私の通行証は発行されないのかな」
「……かもな」
少年は言葉を濁した。単純に考えればツキナが嘘をついている可能性が高い、とは思う
しかしどういうわけか自身には彼女を疑う気持ちは不思議とまったく芽生えていない
かと言ってそれをそのまま飲み込むのもどうかと思っているのも事実であり返答に困ったのだ
あまりに彼の知っている常識から外れている気がした
振れ幅は違うが自分も大概ではあるのだが、そのユウスケから見ても金銭感覚やその特異な能力、知っていて当然のことを知らないなど
まるで別世界から来た人間のようだ
「いや……、まさかな」
少年は頭に浮かんだ考えを即座に否定した。あまりに馬鹿げている
きっと記憶喪失だから年齢に知識が追い付いていないんだろうと結論を出す
第一自分の役目は彼女を入国させることで、入国証を発行させることではないのだ
いちいち考える必要もない
どうも最近この少女に深入りしているような気がして少年は考えを霧散させた
◇◇◇
燻製肉を食べ終えたツキナは、中央の座席の上に広げられた折り畳み式の机の上に突っ伏ししながら言った
「ミリアが作ってくれたあったかいご飯が懐かしいわね」
「贅沢言うな、まぁ、ヒイヅキがイグニスに行くのをやめて帰るっていうなら好きにすればいい」
「冷たい言い方」
「俺は観光案内人じゃないんだ」
ユウスケは小さい半球状の装置をいじりながら言った、ガラスの中に目盛りのような物がついているが、何に使う物なのかさっぱりツキナにはわからなかった
「ユウスケは食べないの?」
「食べない」
「……もしかしてユウスケって、ご飯も食べなくて良かったりするの?」
装置を触っていた手を止めて、少年は彼女の方に視線を向けた
「良くわかったな、そうだ。食べれるけどほとんど食べる必要はない」
「何か食べてるところを見た覚えがないからね、もしかしてって思って。もしかして食べたのってミリアのところで一回だけ?それも体質なの?」
「ああ、体質だ、さすがに一月とか飲まず食わずだと何か食べたくなるけどな、多分食べなくても大丈夫だと思う」
ということは眠る必要がなく、食べる必要がなく、魔術が効かない、ということになる
ツキナは呆れたような視線を向けた
「ユウスケって……わりと人間じゃないよね」
「ああ、たまに言われる」
ユウスケは表情を変えずに言った
少年の言葉に宿る流れからはどういう感情が隠れているか読み取れない
本当になにも感じていないのかもしれないし、そうではないのかもしれない
それ以上興味がなくなったと言わんばかりに作業に戻った少年がなんとも面白くなくて再び声をかけてみる
「ねぇユウスケ」
「ん?」
「そういえばユウスケっていつも夜何してるの?」
「一応なにかあっても動けるように用心はしてるぞ?」
「そういうことじゃなくて、仕事してないときは?」
「ああ、暇つぶしかな、何か読んだり、横になったり、運動したりとか」
「これまでずっと?」
「そうだよ」
あっけらかんと答えた少年に、ツキナはなんと言っていいかわからない気持ちを覚えた
便利そうでいいなと少しばかり思ったが、疲れても寝れないっていうのはけっこう気持ち悪い気がする
飽きたらぼーっとして朝が来るまで待つのだろうか、それを毎日?
自分だったらおかしくなる気がした
ツキナの脳裏にそもそもこの少年はどうしてこんな仕事をしているのだろうと言う疑問が漠然と発生した
お金のためのような事を言っていたが、こういうことが好きなのだろうか
「ユウスケってこの仕事好きなの?」
「?どうした急に」
「なんとなく知りたくなって」
「別に好きじゃないよ、たまたま俺の能力がこの仕事に向いててやってるだけ」
「ふーん」
「なんだそれ、お前から聞いたんだろ」
「いや、ユウスケは私より年下なのに働いてて偉いなって思って」
「……間違っても偉い内容ではないけどな。それに働くことに年齢なんて関係ない、必要な奴は働くしそうじゃない奴は働かないだけだ」
まーお前に言ってもわからないだろうけどな、と少年は呆れたように言った
あ、この誤解は解いておこうとツキナは言葉尻を捕まえた
「そういえばユウスケって私のことどうもお金持ちだと思ってるみたいだけど、そんなことないから」
「あっそう」
「ちゃんと聞きなさい!」
「いや、お前が着てる服や身に着けてる物はどれも高級品だし、精霊石を山ほど持ってて金持ちじゃないことはないだろ、ヒイヅキがどう言おうが、少なくともお前を見る奴はみんな金持ちだと思うだろうよ」
「……そうなの?これも?」
ツキナは自分の着ている純白のキャミソールを少し引っ張って見せる
単純な造りだが細やかな刺繍が施されたそれは明らかに庶民の普段着と言うには豪華すぎる
そもそも布からして肌触りが良さそうだ、ユウスケはアホらしいと溜息を吐く
「それもだ、そんな庶民がいてたまるか」
「わからないでしょそれは」
「わかるんだ、庶民の服っていうのはこういうのを言うんだ」
ユウスケは壁に掛けていた自分の黒いローブを投げて渡した
受け取るとそれは見た目よりかなり重く、またかなり硬い布だったことがわかった
こんなものを着て動き回ったらそれだけで肌に傷ができそうだと彼女は思った
「ぜ、全然違うね」
「そういうことだ」
「別に私はお金持ちじゃないんだけどなー」
「どっちでも良いだろそんなこと」
「いや、なんかユウスケってお金持ちが嫌いなのかたまに言葉にトゲがあるからさぁ」
「別に金持ちが嫌いと言うわけじゃないけどな……」
どちらかというと金持ちをただ僻んでいるだけだ
この少女にそう素直に伝えるのは何故か抵抗を感じてユウスケは言葉を濁した
その様子が気に障ったのか、ツキナは眉を吊り上げた
「ほらそれそれ、『俺は他に言いたいことがあるけど言わないぜ』的な顔、言いたいことがあるなら言えばいいでしょ!」
「なんでヒイヅキにそんなことまで言わないといけないんだ……」
ユウスケは呆れて言った
すると彼女の怒りは矛先を失ったかのようにピタリと止まった
「……まぁ、確かにそう言われるとそうかもね」
「なんなんだお前は……」
自分でも良くわからないと言った感じに彼女は腕を組んで考える仕草を取った
「ほらーユウスケっていつもつまらなさそうな真面目な顔してるからさ」
「それに関してはヒイヅキが能天気過ぎるんだ、俺達は警戒しすぎるくらいで丁度良いんだ」
「まぁそりゃそうかもしれないけど」
確かに自分達は良くないことをしているんだから少年の言葉は至極まともに思えた
しかしツキナは納得できなかった
「ようは君はもっと笑ってる方が良いってことが言いたいんだけどなぁ、せっかく可愛い顔してるんだし」
「よ、よくそんな恥ずかしいこと真顔で言えるな」
そういえばコイツ、ミリアにも同じような事を言っていたなと少年は思い出していた
確かに過去にはそういう仕事に高額でスカウトされたことがあったし、自分の容姿が悪くないと自覚しているユウスケではあったが、面と向かって言われると嫌な汗を掻いた
「えー恥ずかしいかな?」
「恥ずかしいだろ」
「ユウスケってもしかしてこういう話苦手なの?」
「苦手じゃない」
咄嗟に出た言葉は自分でも嘘だと分かった
しかし悪戯っ子のような笑顔を浮かべた少女を相手にそれを認めるのは敗北と同じに感じられたのだ
持ち前の黄金の瞳でそれが嘘であることをすぐさま看破したツキナは畳みかけるように言った
「そんなこと言ったら私達キスまでしたっていうのに」
「やめろ!お前っ、馬鹿かっ!あれは違うだろっ!!」
ユウスケは髪を逆立てて絶句した。からかわれているということはわかっていたがたまらず叫んでいた
彼女は一瞬目を丸くすると、すぐさま噴き出した、気持ちいいほどの満面の笑顔だった
「あははっ、ユウスケっ、やばすぎっ」
顔に似合わない大人びた雰囲気でいつも偉そうに喋っている少年が盛大に焦っている様はとても可笑しかった
笑い過ぎて頬と腹筋が痛くなるほどだった
「はぁっ、もうっ、あははっ、勘弁してっ」
勘弁してほしいのは自分だと少年は強く思ったが、怒りか羞恥なのか自分でもよくわからない感情を抑えるのに忙しくそれどころではなかった
「そういえばユウスケってたまにそういうことあるよね」
ようやく波が落ち着いたようだが、ときたま思い出し笑いを堪えるようにしながら言う彼女に少年は言った
「……知らん」
「いや、あるある、あるよ、そういうとこ」
「うるさい」
「はぁ、まったく楽しませてくれちゃって、ふふふっ」
また思い出したのかツキナは笑った
「俺はもう今日一言も喋らないからな……」
「わかったよもう、ごめんって」
すっかりむくれてしまった少年を眺めていると彼女は思った
やっぱり結構可愛いところもあるなと
もっともさすがにこれだけ大激怒させた後で軽率に言うつもりはないが、こういう顔をさせられるなら、恥ずかしい事を言うのも悪くないなとツキナは思った
その後また思い出し笑いがこみ上げてきて、しばらく少年の怒りは収まらなかった