邂逅Ⅴ 荷馬車に揺られて-1
乗り込んだ荷馬車は横3メートル、縦6メートル程度で高さは2メーター半くらいの間取りだった
これで2階もあるのだからそこそこの広さということになる
両側の壁に沿った左右と、中央にクッションが貼られた座席があり、後部には簡易的なキッチン等がある
ランプや小物入れも備え付けられており、人をただ運ぶというよりは、快適に過ごせるように設計されているそれらは明らかに上等な馬車であった
お礼のつもりなのかもしれないと思いながらユウスケは中央の座席に荷物を投げおくと乱暴に壁にもたれて座った、程よく沈み込んでなお柔らかいクッションはなかなかの上等品だ
これなら長時間座っていても辛くなることはないだろう
馬車の移動による一番辛い問題が解決したことは素直にありがたいと思った
壁面に備え付けられている魔結晶式のランプのスイッチを入れると彼は胸元から羊皮紙を取り出した
里長に会いに行くと本人は不在だったが番兵が書類を預かっており、その時渡された物の残りだ
多少は歩きながら読んでいたが、まだいくらか残っていた
荷馬車が走り出したようでほんの少し揺れが起きた
黙々と読んでいると天井についていたトラップドアが開き、ツキナが梯子を下りてくる
姿が見えないと思ったらやはり彼女は2階いたらしい
その表情はやや不機嫌と言った案配だ
書類から目を離すと少年は彼女に声をかけた
「まだ怒ってるのか?」
「……、……別に怒ってない」
彼女は乱暴な仕草でドカっと反対側に座った
嘘がつけない性格の彼女らしく、その表情は言葉とは反対に異議を申し立てている
ミリア達にロクな挨拶も出来ずに発ったことを怒っているようだと彼は判断した
視線を書類に戻して続ける
「しょうがないだろ、今日のこれを逃したら3日も待たないといけなかったんだから」
「1週間も待ったんだから3日くらい良いんじゃないの別に」
「それがそういうわけにもいかなかったんだよ」
「……、……なんで?」
ずっとツンツンされていてはたまらないとユウスケは軽く状況を説明することにした
ツキナが密入国しようとしているイグニス王国は現在、その西方にある帝国オーディスと冷戦下にある
状況は安定していると言えるがオーディス側に近い街や都市はいろいろな要因により警戒度を変化させる
警戒が強まれば入国は難しくなり、逆であれば弱くなる
そして今、彼が里長に手配してもらったルートは警戒度が上がりつつある状態であった
という報告が書類の一ページ目にあり、慌てて出発となったわけだ
「それでもこの馬車に乗っていれば通れるんでしょ?」
「基本的にはな、ただ状況によっては検められる可能性もある。モタモタしてるよりは急いだほうが良い」
その場合は惜しいがこれを捨てるしかない
とは言え上手く行けばイグニス王国の領土内に入ることが可能であり、それができれば捨てても構わないとユウスケは判断していた
ヴェグの枝を咥えて、火をつけようとして、やめる。
念のためにやめておいた方が良いだろう
「どれくらい馬車で移動するの?」
「距離?時間?」
「時間、距離なんて言われてもわからなし」
「順調にいけば、四日かな。それでコルピノまで行ける」
「コルピノ?」
「大森林から北上したところにあるイグニス王国の国土内の街だ」
「おお!ついに入れるのね」
「そういうことになるな、ここも一応イグニス王国の中なんだけど、正しい意味で入国することになる」
もっとも、ツキナが最初から大人しくしていれば今頃終わってるんだけどなと思うと
少年の心には腑に落ちない気持ちがあった
自分のせいでもあるので文句を言うつもりはないが、あっけらかんとしている彼女の態度を見ていると
コイツは本当にイグニスに行く気があるのだろうかと思わないでもない
「……お前さ」
ユウスケが話そうとすると、珍しくツキナが割って入って止めた
「ねぇユウスケ」
彼女の声音に真剣な物を感じ取り、ユウスケも視線を返す
「なんだ」
「私ず~~っといつか言おうと思ってたんだけど」
「おう」
「私のことお前って言うのやめて」
「……そんなことか」
少年はくだらないとばかりに頭を振った
その短い黒髪がユウスケの心中を表したように軽やかに揺れる
勿体をつけるその仕草からもう少し意味のある事を言うのかと思っていたのだが
出てきた内容は彼にとっては非常にどうでもいいことであった
対してオレンジ色の瞳にメラメラとした意思を映した彼女は苛烈な抗議の声を上げた
「そんなことじゃないわよ!だいたいなんで名前知ってるくせに名前で呼ばないの!?」
ツキナは勢いのあまり立ち上がっていた
そんなにムキになることかと少年は理解できなかった
特別な理由などはなかったが強いて上げるとすれば案内するときに対象の名前を呼ばないということがあげられる
基本的に案内対象の個人的な情報など知らないし関わらないのがほとんどなので慣れていないということも理由の一つだ
ツキナに関してはマイノリティー過ぎるケースなので
なんとなく「コイツは馬鹿だしお前でいいや」という失礼極まりない理由であった
もっともそれを言うと彼女は憤慨しそうなので少年は黙っておこうと目線を逸らした
「……まぁ名前で呼んだ方が良いって言うならそうするけど」
「じゃあそうして」
根負けしたように少年は言った
「わかったよ、ヒイヅキ」
「名前じゃないの?」
「ヒイヅキも名前だろ」
「……まぁいいわ」
やれやれね、といわんかばかりに今度はツキナが頭を左右に振った
その長い黒髪がさらさらと気持ちよさそうに揺れた、彼はなんとなくそれを目で追う
その視線に気づいた少女は少し頬を染めて、再び座席に座る
「……何見てるのよ」
「?別に何もないけど」
「そ、そういえばまだちゃんとお礼を言ってなかったわね」
少し恥ずかしそうに視線を伏せながら彼女は続けた
「あの、地下でのこと、助けてくれてありがとう」
「ああ、そのことか、あれは今思うと俺も軽率だったよ、まさかあんなことになるとは思わなかったけどな」
「でもユウスケも嘘吐きだよね、自分は逃げ専だ~みたいなこと言ってたくせに」
彼女はユウスケが魔術を使っていた、と言って良いのか微妙な状態で戦っていた様子を思い出す
あの魔素食いは普通であれば個人の手に負えない存在だった筈だ
それを無茶苦茶なやり方でアッサリと倒してしまったこの少年は何者なのだろうか
当の本人が眠り込んでいた時にそれをミリアと話し込んだものだ
「……それは本当のことだ、今回はたまたま上手く行っただけで、俺にそういうことを期待するなよ」
自分をアテにして危ないことに首を突っ込まれてはたまらないと彼は強く念を押した
「わかってるわよ、ユウスケは心配症だね」
悪びれた素振りもなく言う姿に、コイツはわかってないんだろうなと少年は強く思った
何かに気づいたように急に真面目な顔をすると、ツキナは言った
「そういえばユウスケって、呪われてるの?」
「呪われてる?」
「たまにそんな風な感じに見えるときがあるんだよね」
「……さぁな、たぶん呪われたことはないと思うけど、わかんねーな」
「あのね~今や私とユウスケと術式で繋がってるんだよ?その相手が呪われてるかってわりとじゅうよ~」
と言ってて思い出す
そういえば私とこの少年は魔素結合の術式契約を行ったのだった、と
途中で言葉が止まったことにより、彼女がどんな出来事を思い出しているのか、容易に想像できた。
何故なら彼もまた思い出していたからだ
少年は照れ隠しに視線を逸らしながら答えた
「そういえば魔素結合したんだったな」
目を閉じて意識を集中させると、ツキナとの繋がりを感じる
結合契約をすると魔法陣を展開していなくてもお互いの魔素の繋がりなどを感じることができる
さらに熟練すれば感情や考えてることを読み取ったりという芸当もできるようになる筈だが
ユウスケには彼女のそう言ったことはほぼわからなかった、ぼやっと位置を感じる程度だ
「ああ、だからなのかな?」
「何が」
「ユウスケが起きてからかなー、感情が頭に流れ込んできてこっちは大変なんだよね」
「そうなのか……?」
「そうだよ、感情っていうか、意識がどこに向いてるかみたいなことなのかな」
「へぇ?俺は全然わからん」
「うそ?」
「……ヒイヅキはもしかしたら共唱術者の才能があるのかもしれないな」
「共唱術者?」
「知らないのか?……なんて言えば良いんだろうな、魔術師を強くする魔術師のことだよ」
「魔術師を強くする魔術師?」
「ああ、例えば誰だって苦手なことがあるだろ、真素の容量、発動の遅延、持続時間、そういうことを手伝って強化してくれる魔術師だよ」
ツキナは目のこともあるしそういうのに向いてるのかもしれないなと少年は思った
「へぇ?じゃあ共唱術者がいればユウスケも魔術が使えるのかな?」
「……、……可能性はあるな」
途端にユウスケの声がトーンダウンした
「……まぁとりあえず、共唱術者になれば王国じゃ金持ちになれるぞ」
すぐに金の話を基準に話すのも我ながらどうかと思うが、あって困るものでもないのは確かだ
特別な才能や資質に恵まれる必要があるため、共唱術者になれる者は少ない。そのため非常に儲かるのだ
「へーちょっと考えてみようかな」と言ってる能天気な姿を見ているとつい余計なことを言いたくなる
「っていうかお前、魔素結合がどういう物か知らないのにやろうとか言い出してたのか?」
「いや、なんとなくは知ってたよ」
「なんとなくって……魔素結合は信用できない相手とするものじゃないんだぞ」
「私はユウスケのことを信用してるけど?」
「……そういうことじゃない」
仮に信用できたとしてもよく考えて行うべきなのだ
例えば魔素結合は悪意のある相手と行ってしまった場合、魔素を一方的に抜き取られて死ぬような場合も起こり得る
とはいえあのときは選択肢がなかったわけで、まぁ仕方ないんだがと思うと
二の句が続かないのも確かである
しかしこの胸のモヤモヤをどう伝えれば……とそこまで考えて
彼は思考を放棄した、面倒なことは考えないに限る
少女を尻目に彼は意識を再び書類に集中させた
◇◇◇
書類に意識を落とした彼に気を使ったのか
しばらく黙り込んでいた少女は、しかしそれを長くは続けられなかった
黙っているのに飽きたのか車内にも関わらずストレッチをはじめ
挙句30分もせずにユウスケの手にある書類を覗きこもうとしてくる
距離があと30センチと迫ったところで小馬鹿にしたようにユウスケは言った
「……ヒイヅキはじっとしていたら死ぬのか?」
少しは自覚があったのかツキナはあははと苦笑いを浮かべた
「最初は歩かなくていいのはラッキーだなって思ってたんだけど、けっこう退屈ね」
「慣れろ、あと数日は最低でもこれだぞ」
「じゃあ退屈しのぎに話し相手になってよ」
「……」
自然体で図々しい奴だと少年は思ったが、それを口に出すことはしない
「さっきから読んでるのって貰ってた奴だよね?何が書いてるの?」
「見るか?」
もっとも、読めるかはしらないが、と内心で思いつつ少年は書類をツキナに渡した
受け取った書類に目を通した彼女は間の抜けた声をあげた
「エルフ文字?」
「そうだ」
「エルフ文字が読めるの?」
「そうだ」
「な、なんでそんな馬鹿にしたような眼で見るのよ……」
「エルフが渡してきた書類が人間文字で書かれてるわけないだろ?」
「そんなのわからないじゃない」
「じゃあまぁそれはいいとしてだ、逆に読めなかったとしたら
じゃあ俺は今まで読めない文字が書かれてた紙を眺めていたってことか?」
「……それはそうだけど、そういう言い方しなくても良いでしょ」
ツキナは唇をとんがらせて言った、少し可愛いのが少年の感じるウザさゲージをあげる
一応と彼女は書類に目を走らせたがやはり意味がサッパリわからない
「これじゃあ暇つぶしにもならないわね」
何気ない一言だったが少年は興味が沸く
「その眼は、そう言ったことには反応しないのか?」
「翻訳とか?そうだね、術式とか魔術文字とかそれ自体に力が宿る物だったら
やっぱりいろんな見え方がするけど、これから感じ取れるのはせいぜい筆圧とかだね」
「なるほどね」
「何がなるほどなの?」
「いや、こっちの話」
「そういえばユウスケっていくつなの?」
「……お前は12歳だったか」
「前もはぐらかしてたよね、良いじゃない教えてよ」
「……俺は今年で、15歳になる」
ツキナの眼が金色に光った
「嘘だね」
「……厄介な奴だな、なんでそんなことを知りたがるんだ、俺は、今年で11歳だ」
「え、じゃあ今10歳ってこと?」
「当たり前だ」
今年で11歳になる彼は現在10歳ではありませんとかどんなとんちだ
「どうりで小さいわけね」
ツキナは身長がが140センチ程度である。それよりユウスケは少し低い
「お前だって年齢の割には低いんじゃないのか?」
「どうなんだろ、年の近い子が周りにいなかったからわからないわね」
「……子供がいない村だったってことか?」
「珍しく私のことを聞いてきたね」
フフフと笑みを零すツキナだったがその理由がユウスケにはサッパリわからない
何度か聞いたことがあったと思ったが忘れたのか?と彼は首を捻った
「まぁ子供がいないっていうか、私だけだったんだよね、人間の子供が」
「人間の子供が?」
「私が住んでた街は精霊の住む街だったんだよね、っていうか、国が?だから子供はいたけど精霊ばかりだったよ、たまに他の種族もいたけど、だいたいはそうだったんじゃないかな」
「そんな国があるのか……?」
ユウスケは首を捻った、わりと博識な方だと自負しているがそんな国の話さっぱり聞いた覚えがない
というか精霊が普通に住んでいるという状態もちょっと想像ができない
「もしかして俺をからかってるのか、俺はお前と違って嘘が見破れないんだからやめてくれよ」
「信じないなら信じないで良いけど、そんなところに住んでたのよ、私は」
「信じないとまでは言わないけど、どんな生活スタイルなのかまったく想像できないな
お前は何をして過ごしてたんだ、やっぱ学校とかがあるのか」
ついつい好奇心を刺激されて質問してしまう
まぁコイツとの場合は今更だし、良いだろ別にと自分を正当化したりする
しかし返ってきた答えは予想とはまったく違うものだった
「私も知らないわ」
「どういう意味だ……?」
一瞬やっぱり嘘だったのかという思いがユウスケの脳内を駆け巡ったが
ツキナの浮かべた表情はそう言ってはいなかった
一人自分の世界に入ってしまったかのような、どこか遠いところを見ているような
そんな表情をしている
ポツリと彼女が言った
「……それが知りたくてイグニスに行くんだよね」
意味ありげな視線を彼女は少年に向けた
「私がイグニスに行くのは……、記憶を取り戻すためだよ」
「……記憶喪失なのか?」
彼女は憂いを秘めたように視線を伏せる、その長い睫毛がランプの光に際立った
「2年前にね、それ以前の記憶がないの」
どちらかと言うと能天気な彼女は、たまに割れそうな程に張り詰めた空気を見せることがある
今がまさにそうで、ユウスケは言葉を慎重に選んだ
「過去を探る魔術くらい沢山あるだろ?駄目だったのか?」
別に記憶喪失は不治の症状というわけではない
ましてや追憶魔術などを使えば何をしていたか程度なら大抵の場合はアッサリとわかる
「違うの、私が求めてるのは、記憶の復活よ、わかる?」
オレンジ色の双眸がキッとユウスケをまっすぐに捉えた、瞳孔が金色に光る
「確かにあの時何何をやっていました、これこれをやっていました
そんなことならわかるわ、でも私が欲しいのはそれを体験した記憶なの、情報じゃなくてね
何をどうしてなんのために、何を思って行ったのか、それが私の何に繋がったのか
そういうことがわからないなら、例えば、貴方は2年前にパンを食べていました、なんて言われてそれが真実だとしても、自分の記憶だって心から言える?
私は言えない。自分の人生のほとんどを、私は生きてきてないのよ」
珍しく真剣な口調で話すツキナは、そんな顔で話すこともできるのかとユウスケに思わせた
そしてその切実さを余すところなく伝える、いや、伝わったと言うよりは、ユウスケも知っていたと言った方が正しい
「それは……そうだろうな」
「でもそれはいろいろ試したけど戻らなかった。そんなときに知ったの、記憶を復活させられる人がいるって」
ユウスケは彼女が何を指して言ってるのかすぐに思い当たった
「巫者か」
ツキナは頷いた
イグニス王国にはその象徴とも呼べる神のような存在、巫者と称される人間がいる
その中の一人にそう言った逸話を持った人物がいる
「その人に会いたいのよ、会って記憶を甦らせて貰いたい」
「なるほどね……」
ツキナは悔しそうに続けた
「どれだけ『こうしてた』って言われても、信じられないよね
だって覚えてないんだからさ、そういうのって気持ち悪いでしょ
まるで知らないところに私そっくりの別人がいたみたい」
「……そうだな」
ユウスケはなんというべきか考えた、結局無難な言葉しかでてこない
「戻ると良いな」
「……、……ありがと」
それはツキナの望んでいた言葉ではなかったが
ユウスケが同じ境遇だと知っているツキナにとっては
他の人間の使う言葉よりしっかりとした重みを感じて、彼女は少し悲しそうに笑った
少年はそんな彼女の心中を知る由もなかったが、代わりいくつか思うところがあった
「聞いていいか」
「いいけど?」
「……ヒイヅキの話はわかった、けど腑に落ちない点もある」
「?」
「これは本来俺が聞くのは問題があるんだ、でも聞きたいから聞く、嫌なら答えなくていい」
「う、うん」
「……その目的が本当のことなら、なんでそれのために密入する必要があるんだ?
どうしてヒイヅキはイグニスに入れない?
言ってたよな、入国証の申請は絶対に通らないって」
巫者は正式な手順さえ踏めば大抵の者は謁見を許される筈で
それは自国民であるかどうかを問うたりはしない、ましてやそのために密入する者をなど見たことがない
もっともそれは、案内人の自分が知る必要も聞く権利もない話である
だがそれでもなお少年は聞きたいと思った、何故かは自分でもよくわからない
彼女は表情を曇らせると言葉を濁した
「そ、それは私にもわからないんだよね……そう言われただけで
もしかしたら私が記憶喪失してる期間と関係があるのかもしれないけど」
「その可能性は高いだろうな」
「……他には思いつかないなぁ、私が知りたいわよ」
「そうか……」
他に可能性があるとすれば、ツキナの話を総合すると、ツキナが誰かを誰も証明できないからという可能性がある
イグニス王国は強固な国民管理制度を社会体系に取り入れることで勢力を拡大した国だ
国民の一人一人は術式魔結晶により厳重に管理され、全ての国民が自国民である証明書を持っている
移民や流民は元より、旅人や観光、商売目的ですら入国する際に一時的に発行される証明証を携帯しておく必要がある
そしてその発行にはどこの国から来たのかなどを何らかの形で証明しなければならない
大抵の場合は国紋の入った推薦状が用いられる場合がほとんどだが、ツキナの場合はどうだ
そもそも精霊が暮らす国なんて存在すら聞いたことがない
推薦状を持ってきても胡散臭い存在と断ぜられて終わりだろう
そう考えればここまで手間をかけて密入国しようとしているのもあり得ない話ではない
と彼は結論付けた
もっとも、全て本当だと仮定しての話ではあるが
「まぁいいか、言っても仕方のないことだし、俺の考えが合ってるかもわからないからな」
「……何が?」
「いや、いいんだ、俺の仕事はお前をイグニスに入れることだからな、それ以上でも以下でもない」
「う、うん……?」
ツキナは不思議そうに首を傾げた、しかしとりあえず目的が達成されるならいいことだと頷く
「そうね!」
相変わらず気持ちの良い返事だった
そうだ、難しいことを考える必要はない、あくまで自分の仕事はそれだ
既にかなり本来の仕事から外れてしまっているが、改めて少年はそう強く思った