邂逅Ⅳ 『見える少女』と『聞こえない少女』 前編
そこに辿り着いたのはユウスケが走り出してから4時間以上後のことだった
剥き出しの岩場の山頂近くにある洞穴で中の空気はひんやりと冷たい
入口から差し込んでくる明かりは朱色、つまりは夕方になっていた
中のスペースは3畳程度はあり、ちょっとした日用品も置いてあるようだ。ここは勿論偶然見つけたわけではなく、いくつか用意してあるユウスケの緊急避難場所である、
生き物除けの結界も貼られてもいるのでそれなりに安全は保障できる
追手を振り切れたのは途中でわかっていたが過去に一度も戦闘したことのない巨大尾兎に追われている状況で
中途半端なところで休息をとりたくなかったユウスケは猛烈なダッシュを続けて辿り着いたというわけだった
「たまんないよ……まったく……」
ユウスケは膝をついて二人をおろすと、そのまま倒れるようにして横になった
「ご、ご苦労さまでした」
「ほんとだよっまったく!」
呼吸こそ荒いが汗を一滴も垂らしていない様子がツキナは気になったが、ユウスケの周囲に見える流れがおかしくて聞くのは憚られた
前に一度、ツキナはそれに似た流れをみたことがあった。それは呪いだ、もしかしてそうなのだろうか、と思ったりもする
「ねぇユウスケって……」
呪われてるの?と聞こうとして慌てて思いとどまる、さすがにそれはストレートすぎる
呪いというのは大抵良くない物だということはさすがに知っていたので、彼女にしては珍しく言葉を選べた
「?何?」
「なっ、なんでもない」
「?……ならいいけど、その子はどう?」
彼は横になっている少女の方に目を向けた
意外と血色は良い、走ってる最中ずっと《治癒》していたからかもしれない
まさか4時間もかけ続けられるとは思わなかったが
「私もここまでかけ続けられるとは思わなかったけどね!」
「は?」
「やってみたら意外とできちゃった!」
「……、……」
堂々と胸を張る姿に化け物かとツッコミたくなったがコイツはもう常識で測れない存在なんだと、ユウスケは割り切りつつあった、勿論それはいろんな意味でである
ちなみに《治癒》の魔術は普通のベテランでも連続して100回も使えれば上出来だ
一度の効果時間が3~10秒程度だとすると時間にして300~1000秒しか使えないのだ
つまり長くても15分程度しかもたない。それを考慮すると4時間というのはにわかには信じがたい数字だ
特別な訓練でも積んでいればあるいは出来なくもないだろうが
「でもここからだよね」
ローブを脱いだツキナは見るからに上等そうな赤と白の服を着ていた、細部にまで刺繍が入っているところを見ると、かなりの高級品だということが伺えた
しかしユウスケはそれよりも真剣な表情が気になって訊ねた
「……?何が?」
その問いに返事をしないまま、ツキナは少女がシッカリと抱きしめているその『右足』をゆっくりと丁寧に取り上げると
今度は少女の右足の傷口に繋げた。そしてツキナは両手をかざす
「《治癒》!!」
唱えると徐々に傷口が塞がり始めた。しかしユウスケはそれを見て表情を曇らせる
「……お前知らないのか、《治癒》で千切れた手足は繋がらない」
「それくらい知ってるけど?」
「じゃあそれは何をしてるんだ」
「治してるのよ」
「知ってるよ、傷口が塞がる場合があるのはな、でも機能は戻らない。せめて《上級治癒》じゃないと」
「……こっちは集中してるんだから黙ってて」
まぁ真剣に治そうとしている気持ちは本物だと思うので水を差すのも無粋だと思ってユウスケは口を噤んだ
そこではたと気づく、このツキナという少女は規格外なところが多々ある
一番は何よりその性格さだが、能力的にも使用前の魔結晶を一方的に砕いたり
流れとやらを読み取って真偽を見抜いたり、謎の技術的な物を使用していたりした
どこまでが真実なのかは確かめきれていないが、いくつかは実際に使用してるところを目撃している
「もしかして本当にそれで治せるのか……?」
「そう言ってるでしょ!」
自信満々な横顔からはその確信ぶりが伺えた。だがそんなことがあるのだろうか、と思わざるを得ない
ヒールでハイ・ヒールと同じことができたら凄いという言葉では表現が追い付かない
そんなものは新たなる術式の発明と同じだ
きっと魔術大国として有名なラティウム魔法国が擁するかの魔術師養成学校から招待状が届いてしまうレベルなのではないだろうか
「嘘だと思うなら、その子の足をくすぐってみたら良いじゃない、それでわかるから」
治療が終わったのか、ふぅ、と一息ついたツキナが挑発的な視線を送った
ユウスケは言われるがままに繋がったと豪語する足のその裏をくすぐってみた
感覚があるかのようにピクリとその足が動く
「え……?」
自体を飲み込むと同時にユウスケの表情は徐々に驚愕に変わる、対照的に勝ち誇ったような笑みをツキナは浮かべていた
「どうどう?ほらじゃんじゃんくすぐって良いのよ、そのうち蹴られるかもしれないけど」
その言葉を体現するように少女は右足を上げて寝返りをうった
「……、……、……眼か」
「せいかーい。私の《治癒》はただの《治癒》なんだけど、なんでだろうね
流れを繋げるように使うと《治癒)》でもこんなことができちゃうみたいなんだよね」
悪戯っ子のようにフフフとツキナが笑う
あまりの出来事にユウスケはたまらず噴出した
「すげぇ」
「おどろいたー?」
「驚いた」
「そうでしょそうでしょ、私もこういうことはねー得意なんだよねー」
「どこかで習ったのか?」
「いやー、それが、恥ずかしい話なんだけど、私がいたところは学校とかなかったから、多分、習ってないかな」
たはは、とはにかむ姿が、本人にはそんなつもりもなくユウスケに衝撃を与えた
ということは独学で魔術とこう言った技術を習得したということだ
なるほど、ヒイヅキツキナという名前を持つだけのことはある、と少年は思うと同時に、自分の感情が冷たくなるのを感じた
「……、……、……なんていうか、天才、だな」
「……、……いやーそこまで真顔で褒められるとなんだか逆にちょっと恥ずかしくなってくるんだけど」
真顔になったのはそういうことが理由ではないのだが、少し照れてきて視線を逸らしてしまったツキナは
彼の言葉に含まれるわずかなトゲに気づかなかった
「でもそれだけの才能があるんなら、なんでわざわざこんなことしてるんだ」
何度か尋ねようとして、やはりやめていた言葉が、思わずユウスケの口を突いてでた
別にこんなことをしなくても、何でもできる未来があるのではないだろうか
本人は半種族みたいな眼を気にしているようだが、これだけ魔術適正あるのであれば
将来はかなり明るいような気がした。大抵の環境は実力で勝ち取れるだろう
その姿は容易に想像できる
答えたツキナの口調は打って変わって重々しい物だった
「それは……、……、……、……、……探してる物があるから」
その声の温度に切迫したものを痛切に感じとり、ユウスケは言葉に詰まった
気軽に「何を?」とは聞けない真剣味があった
「……」
「……」
両者の間に気まずい沈黙が流れた、あるいは気まずい物を感じていたのは一人だけだったのかもしれないが
場の雰囲気を変えるように努めてツキナは明るい声で言った
「そういえば良く助けに来てくれたね」
「ああ、そういえばそんなことしたっけ」
「何その言い方」
「いや、探してたのは探してたんだけど、まさかあんなことになるとは思わなかったから」
事実ユウスケは彼女であれば一人でなんとかしてるだろうと思っていたため助けに行ったつもりなんてさらさらなかった、しかしいざ着いてみると意外とそうでもなさそうに見えて一目見て焦った
そしてとりあえず襲ってきているように見えた兎を殴り飛ばしたら上手くいったという場当たり的な行動だった
「そうだったの……?」
「当たり前だろ、俺は案内人、逃げ専だ、このルートだって何度か使ってるけど巨大尾兎とやりあったことなんか一度もないからな」
「ああ、それでただ走るだけっていうバカみたいな逃げ方だったんだ……なんか納得」
何かを思い出したのか、腹を抑えてクククと笑っている様子を見ていると誰のせいだと糾弾したくなったがまぁその通りであった
「それでもお前にだけはバカだって言われたくないね」
「いや、私はバカみたいなって言ってるだけで本当にバカだとは言ってないからね」
何のフォローにもなっていないんだが?とユウスケが目で訴えるとツキナは疑問符を浮かべた
こういうところは彼女と全然噛み合っていない気がした
何故自分はこの少女のためにわざわざ仕事まで棒に振ってしまったのだろうと突っ込みたくなる
今更言っても後の祭りか、と少年はその思考を隅に追いやった
「……、はぁ、まぁ俺も今回に限ってはバカだったよ」
「そんなこと言ってないのに~ でもまぁ、本当にアレで逃げ切れるなんて思って無かったよ、ユウスケって小さいけどけっこう力持ちなんだね」
彼女の言葉は少年の含めた意味に掠りもしなかったが少年は適当に相槌を打った
「まぁそれなりにないとやっていけない仕事ではあるからな……、……」
それにしてもいくつか腑に落ちない点がユウスケにはあった
結果としては良かったが繁殖期の巨大尾兎の縄張りは本当に危ないエリアとなる
鍛えてはいてもさすがに二人抱えて快足というわけにはいかな彼が
それなのにアッサリ逃げ切れたということだ、勿論ツキナの《盾》による補助などがあったということはあるが
最悪別の手段を使うしかないと思っていた彼はそこが腑に落ちなかった
そしてもう一つは
「そんな場所でこの子はいったい何をしていたんだろうな……」
ユウスケは少女、いや、エルフの少女に目線をやりながら言った
その視線の先にはエルフ特有の長い耳があった、
短めに金髪を切りそろえた、かなり幼く見えるエルフだった
薄々気付いていたらしくツキナも訊ねる
「やっぱりこの子はエルフなの?」
「まず間違いなくそうじゃないか、色白、長耳、金髪、だいたいエルフの特徴だろ。俺もそんなに見たことないけど」
「エルフって皆綺麗っていうけどやっぱりこの子も既に美人さんね」
確かに目鼻立ちは整っているが、言うほどでも無いような気がする、まぁどっちでもいいが
そんなことを思ってるとツキナが、少女の頭を自分の膝の上に乗せてゆっくりと撫で始めた
「癒されるな~」
「お前が癒されてどうするんだ……」
ユウスケは思わずズッコケそうになった
てっきり同情心からの行動だと思ったのだが自分の欲望を満たすためとは、恐ろしい
「まぁいいや、その子が起きないならさすがに俺ちょっと風呂入ってくるから」
「え!あるの!」
「あるよ、天然の奴だけど」
「温泉ってこと!?!?」
彼女は眼を輝かせた。うーん。まぁあの黒くて、そしてとても素のままじゃ入れたものじゃない程に熱く、臭い湯のことを温泉と呼べるのであれば、人によってはそうなのかもしれないな、と彼は頷いた
「やったぁああああああ!!」
「……」
今更違うとは言えない様相でツキナが喜んでいるのでユウスケはなんだかやってしまった気がした
しかしその甲高く病人を全く労わらない音量はさすがにうるさかったらしく、眠る少女の眉がしかめられた
可愛らしく、「うぅん」と言いながら目をこすると、ほどなく徐々に目が開かれる
「あ、気が付いた!」
「……あ、あの!」
いきなり起き上がろうとした少女の額と、教えようとして視線を逸らしていたツキナの顎が強烈にぶつかった
二人はどちらも悶絶した
「だ、大丈夫……か?」
「だ、だいひょーふ……」
涙目になりながらツキナは言った。舌でも噛んだのか呂律が効いてない
少女は比較的平気なのか、慌てて地面に手をついて頭を下げた
「ご、ごめんなさいっ!!」
「だ、大丈夫!痛くないよ!うん!」
「お、お前……偉いな」
涙目をウルウルさせて震えながらも笑顔でそう言い放つ姿をユウスケは初めて手放しで称賛した
思えば本当に心から彼女を称賛したのはこれが初めてなのかもしれなかった
我ながら酷いな、とユウスケは思う
「ごめんなさいごめなさい!私命の恩人様になんてことを!!」
少女はますます頭を床に擦り付けた
「だ、大丈夫だから頭を上げなさい!」
「は、はい!」
少女は頭をあげた、少女の額は真っ赤になっており、その表情は心底申し訳ないと伝えていると見て取るには十分だった
「助けてあげたのにわざわざそんなにオデコを赤くしてちゃだめでしょ!」
「は、はい!」
少女が再び頭を下げるより早く、ツキナは手をかざし少女の額に《治癒》をかけた
「せっかく可愛い顔をしてるんだからね、台無しになっちゃうわよ!」
「あ、ありがとうございます……」
そのわざとらしいウィンクでツキナがみせた怒ったフリは冗談だったということを理解したのか
少女は照れたように目線を下にやった
◇◇◇
ようやく落ち着いた少女、もとい名をミリアと言う少女は怪我の治療のお礼を懇切丁寧に言ったあと二人の質問に答えた
それは少女が一人で何故あんな危険なエリアに足を踏み入れていたのかということだ
「私は、巨大尾兎を調べに来ていたんです」
「なんでそんなことをしてたの?」
「えっとですね……」
どこから話せばいいのだろう、とミリアは眉を寄せた
「実はこの森は、人間の方にわかるかは知りませんがおかしくなっちゃってるんです」
魔素が減少し泉が枯れたり、そのせいで作物などの実りも減少してしまい
生き物はみな連鎖的に食料に飢えて気が立っている、精霊の声も非常に小さくなっており森全体から加護が失われつつあるのではいだろうか
と長老たちは話しているということをミリアは話した
「なんでそれで動物を調べてたの?」
「食料状況が変わってしまって巨大尾兎のような大型獣の分布が変わってきているんです
それで、加護を強めて実りを増やそうとしているのですが、ちゃんと影響が出ているか定期的に調べていたんです」
「それで襲われてたら……世話がないな。エルフっていうのは森の支配者なんだろ?」
ユウスケの知識では、そもそもエルフが森の動物に襲われるということは普通起こり得ない
巨大尾兎は危険性はあるが生来は動物であり魔獣ではない
森の絶対の支配者たるエルフを襲うというのは交尾時期とは言え通常考えられないことの筈だった
当然の指摘を受けて、ミリアは答えにくいことを聞かれたかのようにうつむく
「それは……その、……非常に恥ずかしいことなのですが、私はおちこぼれで……」
「おちこぼれ……?」
「私は……エルフなら誰でも聞こえる精霊の声が聴こえないんです。……『森の息吹』と呼ばれる加護も受けられてなくて
……、それで、他の皆みたいな、……言うなればエルフらしいことが全然できないんです」
自分でも相当気にしているのだろう、しょんぼりと小さくなってしまったミリアを見て
不味い事を聞いたかとユウスケは反省した
「……でもそんなお前が調べる仕事について大丈夫なのか?」
「それは私が言い出したんです、少しでも成長したくて、経験は私達の糧ですから」
もともとお目付け役とも言えるエルフと近くまで付いてきていたらしいのだが、口論になったこともあり、言う事も聞かずに勝手に行動してしまったらしい
「でも失敗してしまいました」と小さく呟くその姿は幼い外見と相まって非常に痛々しい姿だった
「で、でもっ、ほらっ、貴方はまだこんなに小さいんだし、それにしては凄く頑張ってるでしょ!」
なんとか元気を出させようとしたのであろうツキナを、お前やりやがったなという視線でユウスケは見た
え?何かマズかったの?とツキナが聞き返そうとするより早く、ミリアが答えた
「私がこんなに幼い外見をしているのも……、きっとエルフとして未熟者だからです」
エルフの成長は人とは違う、その最大の違いは年齢と外見の成長が一致しないことにある
エルフの外見は『精神の成長』があって初めて相応しい物に『変化』する
故にエルフは知識を求め経験や、知恵を重んじる
外見が老齢のエルフが尊敬され長に選ばれるのはそれだけ『精神が成長した』という証でもあるからだ
そして齢を重ねても幼い外見は成長していない精神の証明になり、『恥』とされる
勿論それと能力は比例しないが、種族全体が指針とする絶対的な価値観だった
「じゃあミリアはいくつなの?」
「人間の数え方だと、43年生きていることになります」
「私の3倍以上……」
ツキナは絶句した
「そういえばお前はいくつなんだ」
「私?私は今年、12歳になったわ!ユウスケはいくつなの?」
「まぁそれは……良いんじゃないか」
ユウスケは咄嗟に言葉を濁した。
まさか自分より年上だったとは、それが知られるととても面倒なことになる気がした
イグニスでは成人は12歳からと定められている、こいつが成人しているという事実が信じられなかった
「ユウスケは年下でしょ」
「決めつけるな」
「小さいしね」
「うるさい、それは関係ない」
周りから見るとじゃれているとしか思えない二人をポカンとミリアは見つめていた
落ちこぼれとは言えまがりなりにもエルフである自分が手に負えなかった巨大尾兎をこの少年と少女がなんとかしたのかと思うと非常に複雑な心境になった
「あ、ごめんなさい、おいてけぼりにしちゃったね」
「……、いえ、そんなことは」
「話がそれたな、理由はわかった。俺も前から森がおかしいっていうのは知ってたんだ」
「そうなのですか?」
「ああ、それで通ってるっていうのもあるから」
一番の理由はイグニス王国の領土内でありながらエルフの自治を認めている『独立領』だということが大きい
大森林の外周部はいわば緩衝地帯のようになっており、二ヵ国間で厳密に決められた巡回ルートがあるため事前に把握していれば出入りするだけなら容易い
「それで?というと?そういえばお二人は何をなさっていたんですか……?」
「……、……」
失言だったなと彼は反省した、外見が幼いのでついペラペラ喋りそうになる
まぁ、案内人をクビとなった今では多少の情報漏洩はいいような気もするが
「……、観光みたいなもんかな、俺はこいつの道案内をしていたんだ」
「そうなのですか……?ああ!丁度、偉大な月が見られる時期だからですね」
少し不思議そうにはしているが、概ね疑ってはいないようだとユウスケは胸をなでおろした
「そういうこと」
「せっかく楽しみに来て下さったときに……大変な迷惑をかけてしまいました」
小さい体をさらに縮こまらせて謝罪する姿に嫌な味を覚えた
「気にしないでください、俺は悪いことをするためにこの森に入っただけでもともと貴方を助けるつもりもなかったんですよ」と言ったらこの少女はどんな顔をするのだろうか?
なんと答えて良いかわからず、 結局彼は「気にするな」とだけ言って外に出た
すっかり日の落ちた夜空には、満点の星と、少しだけ欠け始めた雄大な月が燦燦と輝いていた
◇◇◇
ユウスケは洞窟の入り口からほど近い場所にある、岩山の頂上付近で適当に腰かけると『ヴェグの枝』と呼ばれる10センチ程度の長さの細い棒を取り出し、先端部分に火をつけた
辺りに甘い匂いが漂う、その枝は中心が空気を通す構造になっており、棒の端を加えて息を吸いこむと煙を吸い込むことができる
香りにはいろいろな種類があり、王国では気分転換などに用いられる嗜好品の一つだ
ぼーっとした視線で吐き出した煙が風にのって消えて行くのを眺める、その脳裏によぎるのはミリアの言葉だ
「落ちこぼれか……」
自身もそうであるが故にミリアの言葉は他人事に感じられなかった
もっとも自分にはあそこまでの成長を望む気持ちはもはやないが
「……あいつは首を突っ込みそうだな」
ボケーっと何十本も無意味にヴェグの枝を消費したころ、山頂に昇ってくる人影があった
それは憮然とした顔をしたツキナであった、心なしか怒っているように見えなくもない
「どういう話になったんだ?」
「ちょっと!!!あれの何処が温泉なの!?!」
「な、何の話だ……?」
ツキナは早口で語った、ユウスケを怒らせてしまったと勘違いしたミリアを必死で慰めたこと
そして色々と話してるうちに温泉があるという話になって入りに行こうということになったが場所がわからなかったので探したこと、そしてやっと見つけた温泉がとても温泉と呼べず愕然と立ち尽くしたことを
「あんなの下水道よ下水道!」
「って言ってて一応入ってきたんだな」
ツキナの髪の毛は湿っていてた。文句を言いつつもちゃっかり入ってきたことは間違いない
ローブを着ているのは体を冷やさないためだろう
「浄化の粉?みたいなのをミリアが持っててそれを入れたら入れますよーっていうから一緒に入ったの」
入れたことをアピールするようにツキナは自分の髪の毛を手で風に晒すように持ち上げた
風下にいるユウスケの方へなんとも言えない良い香りが流れてくる
浄化の粉の力なのか不明だが、とてもあれに入った後の匂いには思えなかった
「それは良かったな」
「そうなんだよね、やっぱりエルフって体の作りからして違うのかっていうくらいに何もかもすべすべだったんだから」
はっと何かを思い出したように彼女の表情が切り替わる
「そうじゃなかった、とりあえずあれは温泉じゃないから、これだけが言いたかったの」
「それに関しては……そうだな、悪かった」
「……?素直ね?」
不思議な顔をしながら当然のようにユウスケの咥えていたヴェグの枝を掠め取ると
ツキナはゆったりとした動作で少年の隣りに座る
「これが王国の特産品として有名なヴェグの枝ね?」
躊躇なく咥えて吸い込んだツキナは盛大に咽た
「ゴホッ、ごほっ、っっ!!、~~なにこれ」
「お前……それ結構高いんだぞ」
もっともユウスケが持っている物は貰い物なので懐に直接のダメージはない
「じゃあ嘘の案内をした分っていうことで」
好きにしてくれとため息を一つ吐くと、文句を言うのをやめて次のヴェグの枝に火をつけた
紫煙が流れるさまをぼーっと見ていると自分の隣に座っている相手が何かもじもじしているのが伝わってきた
「……、……」
「……」
「……、……、……」
「……」
「……、……、……、……」
「さっきからなんだよっ 言いたいことがあるならさっさと言ってくれないか?」
たまらずに言うと、ツキナは小さく飛び上がったかのように震えた
「いや、ほら……、明日の事なんだけど」
「ああ」
「……ちょっとあの子を村?町?わかんないけど送り届けたいな~みたいな」
大方予想通りの事を言い出したので少年は即答した
「良いよ別に」
「良いの!?」
下手に出ていた時の声とは打って変わった素っ頓狂な声をツキナはあげた
「?断られると思ってたのか?」
「いや、ほら、ユウスケにも一応計画的な物があるんだろうし、迷惑だろうなぁって思ってたから」
「……、……俺はお前が一応そういうことを考えることができるタイプだったのかと心底驚いてるよ」
「えぇ~~」
「だいたい今日こんなことになったのもお前がその迷惑とやらを考えないで突き進んだからだろ」
「やっぱ怒ってるじゃ~ん」
「怒ってはないよ、……、……っていうか俺はまだ案内人だったんだな」
ツキナは意味がわからず首を傾げた
「助けるかどうかで口論したときにあんな感じだったから」
「?でも結局助けに来てくれたでしょ?」
意味が分からないと言わんばかりの返答にユウスケは面食らった
「それとも助けに来たけど案内はやめるみたいな感じだったの?」
「違う」
「じゃあやっぱりそういうことだね」
「それはそうなんだけどな。……なんつーか。お前とんでもなく都合の良い考え方をしてるな」
「それもあるかもしれないけど……」
ツキナは不意に視線をユウスケの方に向けた、ユウスケもつられて視線が絡む
たまに彼女が見せる、真剣な表情だった
「『言葉より行いが優先される』。よ」
彼女が言ったその言葉は3大宗教の一つである聖教の事だった
「聖教の言葉か、信徒なのか?」
「そういうわけじゃないけど、良い言葉だと思うわ」
ツキナは視線を再び彼方へ向けた、その横顔からは感情が読めない
「行動ね、ああ、そうだ。お前が厄介ごとに首を突っ込むのはもうこの際いいけど、俺は案内人だ、基本的に荒事には向いてない、そういうことが必要な状況になったときに、俺に何かを期待するなよ」
少年の言葉に、彼女は不思議そうに答えた
「もとからしてないけど」
「そうだろうなとは思った」
しばらく二人して黙々とヴェグの枝を噴かす。
今日のように湿度が高くて気温が低く、尚且つ風がないと、空気中を漂う煙の流れがハッキリと見える
それは風の流れが目視できているようにも錯覚できて、ユウスケは尋ねた
「なぁ、お前の見える『流れ』っていうのは、この煙みたいな感じで見るのか?」
「まぁ基本的にはそうだね」
「基本的には?」
「いつでも全部がこう見えてたら何も見えないでしょ」
「それもそうか」
「具体的にいうなら『流れ』に色がついてて見え方を意識するとその見たい色に変わるみたいな感じ」
「わ、わからん……」
「まぁ私もその『流れ』が初めてみたものだと、何かあるんだなくらいにしかわかんないけどね」
「……、そうか、お手本がないもんな」
「そうだねぇ」
便利そうで癖の強い能力だ
歴史ある魔術大学にでも尋ねてみれば何かわかるのかもしれないが。すくなくとも王国内でそんな能力者や種族がいるというのは聞いたことがない
1種や2種能力者と似たような物なのだろうか?とユウスケは首は捻った
「そういやこの森の異常っていうのはお前、何かわかるか?」
「ここに来たことがないからなぁ、確かにここから見ると精霊の力が弱まっている場所が多いっていうのはわかるけど」
「……まさか森の異常が解決するまでいるとか言い出さないよな?」
「さ、さすがに私だってそこまで暇じゃないわよ!」
「なら良いんだけど」
ユウスケは非常に嫌な予感しかしなかった