邂逅Ⅲ バカの感染
「ヒイヅキツキナが俺の命令を無視して行動を起こした場合はどうなる?」
「(先ほどの行為のことを指しているのであれば、契約の反故としては十分だ、最大限の罰を与えよう)」
「それって、やっぱり死ぬのか」
「(そうだ、二十二の内容をお前は一つも違えていな。対して相手は五つの内容に反した)」
ここまでは予想通りの回答だった
「……もしも、『個人の情報を知る者を意図的に見逃した』とするとどの程度の罰になる」
「(それはお前達の間で結ばれている契約にはないが……?)」
「仮にそんな契約を結んでいたとしたらだ」
「(それは私の裁量ではない)」
「そうか……」
「(……、……お前たちの間の『契約』の代価は『死』だ、その契約は、破れば死か?)」
「それはない」
「(死だけが重い罰ではない。それを欲しがるのは人間だ、であれば後悔させる何かだろう)」
「何かってなんだ?」
「(それは私の裁量ではない)」
肝心なところで役に立たないと思ったが、まぁ仕方ないだろうと少年は判断する
そもそも契約精霊はどれもお喋りではないので、これだけ答えてくれるのは幸運だと言えた
「わかった、じゃあいいよ。用は済んだ消えてくれ」
「(いいのか?)」
「良いんだ」
特に何を言うわけでもなく炎が一瞬だけ強く舞い上がり、消える。
(やってしまった……)
これでこの行為は黙認扱いになってしまったことだろう
契約精霊は契約を軽んじる者を嫌う、それは契約を破った者は勿論そうだし、破ったことを許す者に対しても同じだ
おそらく今後いかなる契約違反を彼女が起こしても罰されることはないだろう
契約の崩壊である
しかし不思議と悪い気分ではない
「俺も馬鹿だったのか……」
誰に呟いたわけでもないのに返答があった
「それでは済まん、で、ござるよ」
「……でたか、ござるよお化け」
いつの間にかユウスケの後ろに黒い恰好をした背の高い男がいた、異国風の装束を纏っており、顔を布でぐるぐる巻きにしたその様は、とても異様な雰囲気を放っていたる
「バカは感染るものではあると聞いてはいたが懲りない奴でゴザル」
「うるせぇお前こそとんでもねぇピンハネしやがったらしいじゃねえか!話が違うだろ!」
「……能力的に公平に分配しただけでござる、と言っておられるでゴザル」
この人物こそツキナが密入国の手配を最初に依頼した仲介人だった
とは言え、正確にはその操り人形と言った方が正しい、黒子と呼ばれる無数の覆面兵を操る闇の義賊的活動家であり(ただしお金は取る)
この一人もまたその黒子であった
「しかし名前まで知られた相手を見逃すのはまずいのではないでござらんか」
「まさかここまでアホだとは思わなかったんだ!!」
だいたい普通であれば多少善人面をしていてもこういう状況で『契約』だと言い出せば
「仕方ないですね」と渋々面を作って諦めるものだ、そしてそれは悪ではない
普通なだけだ。時と場合を考えられるというのは普通の人間としては重要なことだ
少なくとも少年はそう思っている
「いや、それでも自分が死ぬって言ってるのにあそこまで即決されるとは思わなかったんだよね」
たとえば本当に危ないのか確認しにいこうとか、頼み込んでくるとか
いろいろやり方はあると思うのだが、それすらしない潔さというか、まぁ、悪く言えば『何も考えていない』のだろうが
そう言った点も踏まえるとツキナの行動を非常に清々しく感じたのもまた事実であった
「楽しそうでござるな」
指摘されて自分がついニヤけていたことにユウスケは気づいた
一応訂正しておく
「楽しくはないよ、本気でムカつく、でもまぁ、これもしょうがないかなって」
「頭領が言うには、『そこまで言うのであればわかっているのだろうな』とのことでゴザル」
「クビか」
「……残念ながら、ござる」
良く知らないけどゴザルの使い方ってそういうことじゃないよね?と言う突っ込みも
クビであるという事実に相殺される
「まぁ契約違反する奴は駄目だよな」
「ござる」
「俺は殺されたりするの?」
「うちはそういう組織ではないでゴザル。しかし頭領と交わされた契約には違反してしまったでゴザル」
さっきのはそれを確認していたんだろう?という意味が言外に込められている
ユウスケも頭領と契約を行った上で仕事を貰っていた、それを裏切ってしまったのだからどうなるかは想像に容易い、殺されないというのは十分良い条件だ
「どうするつもりかはしらないでござるが、ここからは我々のバックアップはないでござる」
「はいよ」
「頭領から最後に一言あるでござる」
「……、……なんだ」
「『お前も人の事言えないアホでござるよ』」
「うるせーんだよヴォケ!」
ユウスケが殴りかかると同時に、男の衣服の裾から白煙が吹き上がって辺りは煙に包まれ、そこには装束だけが残った
手応えが塵ほどもなく勢いのまま倒れそうになった少年はしかしそれを一回転して堪える
慌てて振り向くと男の姿は消えていた
「……会ったときピンハネされた分回収しないとな」
◆◆◆
ツキナは猛烈なスピードで林を駆け下りていた
声の響き方からして大まかな位置は特定できていた
探索の魔術が使えれば早いのだが彼女はそう言った魔術はからっきしである
幸い生まれ持った『眼』からこの先に何か大きな物が動いているであろうことは伝わってきていたので声の出どころと合わせるとおそらく間違いない
林がひらけるとそこいら一帯の樹木は軒並み倒れており、まるでここだけ大伐採があったかのような空間があった
その淵の、少し先の方の木の前に紫色のローブを着た少女が倒れており。右足を抱えて絶叫していた
どうしてすぐさま右足だとわかったかといえば、その少女の右足がある場所には何もなかったからである
「きゃあああああああ!!!」
少女の叫びも空しく、その正面に迫った3メートルはあろうかという巨大な茶色い兎が回転した
その体と同じくらい大きな尾が凄まじい速度で少女に打ち付けられる
「危ないっ!」
咄嗟に一人と一匹の間に入り込んだツキナは、そのまま少女を抱えると風のように走り抜けた
轟音が響いた後ろを振り返ると、先ほどまで少女がいたところにあった樹木が冗談のように吹っ飛んでいるところだった
「や、ヤバすぎ……」
見るのは初めてだったがあれが巨大尾兎なんだろうなとツキナは直感した
ただ巨大なだけではなく、その尾からは魔術的な力の流れが視えた
「あ、あの……」
ツキナの腕に抱かれたままの少女は、ガチガチと歯を鳴らしながらおそるおそると声をだした
安心させるように優しい声でツキナは言った
「あ、もう大丈夫だからね」
その様子を見て怯えてるのだろうと思った
どうやらこの足は彼女の物のようだしそれも仕方ないと思えた
「いやっ……ちがっ」
「っ!」
音は出なかったが特別な眼を持つツキナはそれに気づいた
見ると先ほどの兎が異様に長い足を伸ばして立ち上がり
空に向かって何か鳴いているような仕草をとっていた、いや、事実鳴いているのだ
人間には聞こえない特殊な音域の声で何かを叫んでいる
その音の力の『流れ』をツキナは読み取っていた
突如ひゅるるという風が抜けるような音が聞こえた気がした、直後、再び轟音が鳴り響いた
とても重たい物が落ちてきて着地したのだ
その音は鳴りやまずどんどんと増える、いや、『近寄って』きている
「……ぁぁ」
少女はツキナの腕の中でガタガタと震えていた
ツキナは何も言わずとりあえず走りだした、このまま留まるのは不味い
なるほどこんなヤバイ生き物がいるのであれば、この森が訳アリご用達になるわけだと思った
動物なんて可愛い物じゃない、あれは魔獣クラスの生き物だ
まともな人間なら絶対に近づかないだろう
「あ、ありがとうございます……」
消え入るような小さな声だったが、少女の声はしっかりとツキナに届いた
笑顔でツキナは答えた
「良いのよ別に……、絶対に助けるからね!」
「はっ、はいっ!」
答えた少女が苦しそうな表情を浮かべた。当たり前だ、足が切断されているのだ、とりあえず血を止めないと不味いとツキナは思う
回復魔術は得意だと言えるからそれは問題ない、問題ないのだが、しかし後ろから聞こえてくる音がそんな暇はなさそうだと告げている
(大体私、道とか全然わかんないんだったっ)
今更になって気づく、しかしユウスケがいた方向にいけば「いないルートなんだ」みたいなことを言っていた気がすると思い当たる
ツキナはそちらの方角に逃げることに決めた
(良し、そうしよう)
が、次に足は進まなかった
「えっ!?」
途端、身体に凄まじい圧力がかかってきた。すぐにその理由に気づく
(……重力魔術)
おそらく巨大尾兎が使っているのだろう
自分にかかるとんでもない力の流れが見える、これはもしかすると重唱呪文なのかもしれない
あの様子だと群れで生きる生き物のようだし、群れで生きる生物は重唱術式を本能的に使うことがあると聞いたことがあった
『力』を流しても、まともに立っているのですらキツイ
すぐさまツキナは少女に《壁》をかける。この怪我でこれをまともに受けてはどうなるかわからない
「……絶対、助けるから」
ツキナの耳にひゅるるという音が聞こえてくる、死が降ってくるような気がして、思わず目を閉じた
◆◆◆
「偉そうなことを言ってたのにかなり危なそうだな」
聴こえた声と轟音はほぼ同時に聞こえた
ツキナがドキっとして目を開けると、そこには自身を庇うようにしてユウスケが立っていた。
降ってきたと思った巨大尾兎は何故かいなかった
「あれ、巨大尾兎は……?」
「ああ、あれか?」
ひゅるると同じように落ちてきた巨大尾兎を、ユウスケはおもむろに殴り飛ばした
ぴゅーと殴られた兎が飛んでいき、ズドン、と大きな音が響く
「こうやってだよ」
「え、え、……、ええぇええええええええええ!!!!!!!!!!!」
ツキナは今日で一番の驚愕の声を上げた
「ど、どういう腕力してるのっ……!」
「いや、これは……、腕力とかじゃないんだけど、てかなんでお前そんなに辛そうな顔してるの」
「体が凄く重たいのよ!動けないの!」
「ああ、なるほどね……」
ユウスケは白い三角形の魔結晶を取り出すと地面に叩きつける
するとそこを中心に球場の白いドームが発生した
掛かっていた重さが急にふっと消えて、思わずバランスを崩してツキナは倒れた
「俺は魔術が効かない体質だから気づかなかった、ごめんな」
飛んでくる巨大尾兎を次々と殴り飛ばしながらユウスケは続ける
「まったく隠匿の魔結晶が効いてないな、認識され過ぎたか……」
「っ!、そうだった、それよりユウスケ、この子、さっきから反応がないの!」
「みたいだな……」
ツキナの腕の中で眠っている紫ローブの少女に目をやる
ぐったりとしているところを見ると、気絶しているのかもしれない
「脈があれば死んではないだろ」
「あっ、そうだった!」
基礎中の基礎だろ。だいたいお前の能力で見ればそんなことくらいすぐにわかるのでは?とユウスケは突っ込みたくなったが、その気持ちを代わりに兎にぶつける
あ、でもどんどん見える物が弱まっていってるから焦っているということも考えられるのか、と後で考えたりもした
どうやら少女は生きているようで、ツキナはホッと安堵の息を吐いた
「なんにしてもここにいるのは良くない。離れよう」
「でも、どうやって?」
「……お前はもしかしたらこの兎共が飛んでもなく重いと勘違いしているのかもしれない」
「?でも実際ドシンドシン凄い音がするんだけど」
「重たいのは兎じゃなくてあの尻尾についてる玉だ、あれは多分、本当に重たいが本体はほとんどが毛だ。そして俺でも殴り飛ばせるほどに軽い」
「そ、そうだったのっ!?!?」
驚愕がツキナを襲った。そういわれれば確かに本体からはそこまで重い『流れ』を感じない
知らず知らずの間に見た目のインパクトに引っ張られてしまっていたのだ。
しかし待て、とツキナは眉を寄せた
「いや、ちょっとまってよ、それでも実際に重たいことに変わりないんじゃ……?木も吹っ飛んでいたし」
「……多分それがミソなんだよ、奴らはそんなに難しい術式は使えない、だからここにかかってる重力魔術だって別に地面がへこんだりしてないだろ?」
ツキナが辺りを見回す、そう言われれば周りの環境は特に重力を受けているようには思えない
なるほど、さっきのも私だけが重たくなっていたのか、と納得する
「あれ、じゃあ私がかけてた《壁》は意味なかったの?」とツキナは思った
「きっと特定のタイミングで物を重たくしたり軽くして見せてるんだろう」
つまり当たる瞬間までは軽くしておいて当たるときに重たくしているみたいなことなのだろうか?
その間なら殴り飛ばすような真似もできてしまう程に軽い?
「それでどうするの……?」
「こうする」
ユウスケはツキナを両手で抱え上げた
「ちょっ、ちょっと!!」
「これで行けるはずだ、俺には魔術が効かない、つまりこのまま走り続ければいつか範囲外に出る!!」
言うが早いかユウスケは走り出す
二人を担いでいるにしては早いが、明らかに一人で走っているときより遅い程度の速度だった
「いや、これちょっとわりと恥ずかしい状態なんですけど!」
「我慢しろ!俺の方が恥ずかしい、第一そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
ツキナは自分の腕の中でぐったりとしている少女を見る。それはそうだ
仕方ないと決意した表情を作るとツキナは右手をユウスケにかざして言った
「ああ、もうわかったわよ!|《補助》!」
「気持ちはありがたいけど、それ、俺、効かないんだっ!」
「ええっ!追いつかれたらどうするのよっ!!」
「追いつかれないように頑張るしかない!」
「えええぇ~~~~~~~!!」
それで二人も抱えて走れるの!?いや、走れてもらわないと困ると、ツキナは精霊に祈った