邂逅Ⅰ 黄金の眼の少女
しとしとと雨が降っていた
木々に囲まれて濡れる心配はあまりしなくて良いが、ここに来た目的を考えると少しばかり胃の痛くなる思いがするのも事実だった
少女はローブのフードを少し深めに被りなおすと苛立たし気に口元を歪める
約束の時間からは既に30分が過ぎていた
それとも私がそうだと思っただけで実際はこの時間ではなかったのだろうか?と不安になってくる
料金が前払いでなければこの場を後にしているのに、と後先考えない自分の性分を少し恨めしくも思う
本当に思わずポツリと呟いた時だった
「……帰ろうかな」
「帰るのか?」
「ぇえっ!!」
雨粒が首筋を濡らしでもしたかのように、少女の肩が飛び上がった
周囲の茂みから突如として聞こえた声は続く
「『お前の髪は赤髪か?』」
「えっ、あ!、『赤髪は好きだけど、私は黒髪よ』……だっけ?」
うろ覚えで合っているかわからず恐る恐ると答えると、
正面の茂みから小柄な人物が姿を現した。小柄というより、まだまだ幼さの残る顔をした、少年としか思えない男の子だった
短い黒髪で、純黒のローブを羽織っている、彼女の感覚で言えば可愛いと思えるような顔立ちだった
「あなたが案内人……なの?」
「……そうだけど?」
フードを目深にかぶっていても、彼女の口元が何かを言いたそうに動くのを少年は見逃さなかった
「たまにいるんだよね、あんたみたいに外見でどうのこうの言う奴」
「ご、ごめんなさいっ、だってこういうことの専門家だって聞いていたから」
誤解させてはいけないと慌てて訂正しようとする彼女を、少年は制した
「まぁいいけど別に。俺は本当に本物だから、それより『証』見せて」
ハッとしたようにポケットから赤い石のついた指輪を少女は取り出した
合言葉の次は証合わせだと教えられていたことを思い出したのだ
二人が石を合わせるとお互いの石が砕けた、何が起こるかまでは知らなかった少女はビクリとする
「オッケーじゃあいこうか」
「あ、うん」
フードを被りなおして歩きはじめる男の子について行く
なんだかすごいサクサク感だと少女は思った、少し冷静になってみると自分だけあたふたしてしまったことが少し恥ずかしくもなってくる
どう見てもこの子が案内人で間違いはないのだろう、と彼女は思った
「そういば、約束、間違えてた?私」
「いーや」
「え、だったらなんで」
「俺も時間通りには着いてたよ、でも、いろいろ確かめないと不味いだろ、お互いにさ」
その言葉で彼女は何となく理解した
ようは私がちゃんとした依頼者かどうか観察していたということなのだろうか?
確かにそうだ、彼女はある目的、言ってしまえば密入国するために手引きのできる人間を捜していたのだ
その対象かどうか確認しないということはお互いにとって良い結果を招くとは思えない
念には念を入れておけば間違いはないということなのだろう
いや、それにしたってなにも伝えずに遅れてくるのは失礼ではないのだろうかと、待っている間に溜まっていた怒りがあったことを少女は思い出した
そもそもそれなら事前にそういう段取りだと教えておいてくれれば良いのにと考え
いやそれだと意味がないのかと否定する
それともアウトローな案内人が少年だと思わなかった驚きで、怒るタイミングを失った自分が悪いのだろうか、とそこまで考えて面倒になってやめた
どうも自分は深く考えるのは苦手だ、と彼女は溜息を吐いた
そうとは知らない少年は呑気な口調で言う
「まぁ、本当に一人だとは思わなかったけど」
「?……どうして?」
「前払いでアレだけの大金を出してきたんだから、てっきり護衛くらいはついてくるのかと思ってたよ」
「大金?」
身に覚えのない出来事に彼女は首を捻った
少年もまた首を傾げる
「?……ああ。了解了解、あれは大金じゃないってことね」
肩をすくめて言う少年に彼女はますます疑問符を強めた
「渡したのは精霊石四つだった筈なんだけど」
「は?」
ポツリとつぶやいた後、少年はピタっとその動きを止めた
「いや、まて、え、嘘だろ?何言ってるんだ、お前、確かになんかお前天然な感じがするなとは思ってたんだけどそれは冗談なのか?冗談だよな?」
すごい剣幕の早口を振りながら続けるその姿に圧倒され、思わず少女は後退った
「本当だけど?」
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
プロにあるまじき大音量が雨に負けじと森に響き渡った
◇◇◇
今回少年が仲介人から受け取った依頼料は20万イグニス金貨である
王国勤めの平騎士の給料が年で10万金貨であり、それと比べるとかなり破格の依頼料であると言えた
しかし精霊石という物の価値はそんなものでは済まない
ピンからキリあれど最低鑑定値の精霊石でも50万はくだらないものであり
それが4つなら最低でも200万金貨である。ちょっとした城がポンと建つ、そう、最低でもポンと立つのだ
それを10分の1までピンハネするとはさすがにハネ過ぎである、いやピン過ぎなのか
「なんにせよ許さねぇ……」
怒りのあまりかプルプルと震えている少年に少女はおずおずと声をかけた
「き、気持ちはわかったから、そんなに大声出すと不味いんじゃないの……?」
「……大丈夫だ、今回はかなり高級な隠匿の魔結晶を複数使ってるからな、少なくともここじゃパレードしながら歩いたって見つかりっこないよ」
「そ、そうなんだ……」
まぁこれもお前にとっては高級でもなんでもないのかもな、という言葉を少年はグッと飲み込む
金持ちはどうも好きになれないと少年は思った
「……あほらしい」
絞りだすように声を出したあと、少年は再び歩き出した、その後に少女は続く
次に少年がまともに話したのは日が沈む頃になってからだった
「今日はここまでにしよう」
やっとか、と少女は膝をついて倒れた、これまで用を足す以外は基本的にずっと歩きっぱなしだった
森歩き自体は慣れているとは言え、知らない森の山道だと疲労感はそれなりにある
「徒歩ルートは見つからないかわりに、長いし遅いんだ」
「これ何日くらいかかるの?」
「聞いてないのか、最低でも十日はかかるぞ」
「……」
少女は言葉にならない声をあげた
どうやら甘く見ていたようだなと少年は思った
「まぁ森さえ抜けられればしばらくは乗り物に乗れるから頑張るんだな」
「その森は何日くらいかかるの?」
「五日だな」
「半分森じゃない!!!」
「しょうがないだろ歩くしかないんだから」
基本的に事前にルート説明がなされている筈なのだが、コイツひょっとしてちゃんと聞いてなかったのかと少年は思った
「しかも野宿だし」
次から次へと続く不満の言葉に、少年は呆れたように声を上げた
「不法に入国しようってんだからそれくらい我慢してほしいもんだね」
少年はポケットから魔結晶をとりだして地面に投げると、小さな炎が生まれた
隠匿系の魔結晶のおかげでこの光源や気配は周りに気づかれることがない
念のために定期的に使っている探索系の魔結晶をいくつか使い周囲の再チェックも済ませる
問題はないようだった
ふとみると、倒れていた樹木に腰かけていた少女が自分の足に治癒魔術をかけていた
淡い緑色の光から察するに《治癒》だろう、かなりの万能魔術である
「魔術。使えたのか」
「簡単なのならね、君は魔結晶ばっかり使ってるってことは使えないんだ?」
「使えなくはない」
「ああ、魔素が少ないタイプね」
魔素は魔術を使うために必要な力の根源のことだ
そして魔結晶は基本的に魔術が使えない者が使うそれの消耗品だ
「そんなもんかな」
かなり楽になったのか、バッと音が出そうな程勢いよく立ち上がると、その立ったときの反動で少女がローブのフードを脱いだ
「熱かったぁ~」
肩より少し下まである黒髪がサラリと流れてストンと落ち、首を振る仕草に合わせて流麗に泳ぐ
非常に端整な顔立ちをした少女だった
特に目だ、橙色の双眸は火の光を浴びてキラリと黄金に輝き、その猫のような切れ長の瞼はどこか神秘的な色合いを放っている
フードの隙間から覗くパーツだけでも不細工ではないだろうと思っていた少年だったが
それでもここまでとは思わず、少年の視線は思わず釘付けになった
彼女はその視線にすぐに気づいた、少し怒っているように見える表情で言う
「何よじっと見て」
彼女の容姿に目を奪われていただけだったが、それをおくびにも出さず少年は答えた
「なんでもない」
「気になるんだけど?」
依頼人に関係ないことを尋ねるというのは基本的にタブーであり、また逆もしかりだ
しかし少女はそんなことを気にしていないように訊ねた
どう答えるか、と思いながら少年は答えた
「……その容姿で金持ちとなると、貴族サマなのかと思ってね。まぁそれだとなんで密入国してるのかわかんねーけど」
「……」
少女の表情が露骨に曇った
「いいよ別に、聞かれたから答えただけさ」
少女はぺたりと座った
「まず私は貴族じゃないわ、それと入国証の申請は絶対に通らないのよ」
「絶対、ね」
彼女が向かっている国は通行証の偽造だけなら実際はそこまで難しくはない
しかしそれだけでは抜けられないとなると、つまり正確な情報が割れているということだろうと少年は推察した
貴族やかなりの要職の人物か、その身内など、まぁ、多分その線だろう
貴族ではないという点から没落貴族の令嬢という線が濃厚だろうか、その割にはタフだが
そこまで考えて思考を切り上げる
「まぁ、任せとけばいいよ、俺はこの道のプロだから」
「そうだと助かるわね」
「こんだけ大金もらって失敗させたら名がなくしね」
「そういえば君ってさ、絶対私より年下でしょ、なんでこんなことしてるの?」
今度は少年が顔を曇らせる番だった
彼女の無神経な発言に多少心がざわつくのを少年は自覚した
しかしそれをなるだけ表に出さないようにして答えた
「一言で言えば、金かな」
「ご両親は?」
連続技であった、思わず表に出さないようにしていたことも忘れ少年は反射的に言っていた
「……お前、絶対友達少ないだろ」
「えっ、不味いこと聞いちゃった?」
あちゃーみたいな顔をしてる少女に、少年はますます苛立ちを覚えた
そもそも犯罪行為で身を立てている若者にまともな親がいるわけがない
そういった考えにすぐさま辿り着かないほどのお花畑な生活を送っているのだろうか
そう考えるとどんどん自分が苛立っているのがわかった
フードを外すと、少年は睨むように少女に目を向けた
「まあお前にはわかんねぇだろうな」
自分の口からでた声の大きさに自分でも驚いたが少年は気にしない
「えぇっ、そ、そこまで言わなくてもっ」
「だいたいお前馬鹿なんじゃないか?200万も払って出てきたのが俺みたいなガキで、それにホイホイついてくるって相当やばいぞ、そんな緩み切った危機管理能力の奴にどうのこうの言われたくねーな」
勢いに任せて少年は滅茶苦茶な言葉で罵った
とはいえ完全にでまかせと言うわけでもない、実際大金を払った後でもやっぱりやめますという利用者も少なからずいる
仲介人を通している以上、信用できないなんてことはシステム上絶対にないのだが、みてくれの信用力というのは裏稼業ではそれなりに大事なステータスのようで
絶対にないとわかっていてもそれだけで判断を翻す輩もやはりいるのだ
少年はそれだって別に間違っていることだとは思わない、彼女に比べればまだマシな慎重さを持っていると言えなくもなかった
単純に彼女が出した金額が本人とってははした金であるという可能性もあったが、それはまた面白くない話だ
「は、はした金じゃないわよ!まさかそこまで価値があるとは思わなかったけど、……私だって30個くらいしか持ってなかったし」
「30個っ……」
全財産の六文の一くらい使っちゃったってことでしょ、と彼女は見当違いなことを言った
「ま、まさかとは思うが、今も持ってるのか……?」
「持ってるけど……?」
「……」
「?」
今度は黙り込んでしまった少年を見て少女は首を傾げた
少年の頭の中では直前のやりとりなどどうでも良いと断じるに足るほどの凄まじい計算が行われていた
それだけあれば今こいつからそれを奪い取った方が遥かに美味しいのでは、という計算と
それに対するデメリットである、そもそも精霊石を自分で捌けのか怪しいがそれを踏まえてなお検討に値する内容だった
(というかコイツ本気で何者なんだ)
精霊石26個としても最低でも1300万金貨の価値がある
最低1300万金貨、最高級品が一つでもあれば+1億でもおかしくない
全部がそうであれば26億という桁外れの額になる
26億、26億金貨と言えばナスィーという果実が26兆個買える金額であり、
それはもうあれだ、家が破裂してしまう、果物で家が破裂するとは、恐ろしい
と少年の思考は衝撃のあまり彼方へと走り出した
「ちょっと、もしもしっ、もしも~~~~しっ~~!!」
「はっ!!」
少年は我に返った
少しぼけっとした目で辺りを見渡したあと、ハッとした仕草をして言った
「あれっ、俺の26億がっ!!消えてるっ!!?!?」
どうやらまだ夢の途中であることが見て取れた
その様子を見て彼女はたまらないとばかりに噴き出した
「ふふっ、君、結構可愛いところあるのね」
くすくすとした笑い声をあげる少女に目を向けると
少年の中に何ともいいようのない恥ずかしさがこみあげてきた
凄く顔が熱い
あまりに桁外れの金額に目が点になっていた様はさぞ滑稽だったことだろう
少年は苦し紛れに声をあげた
「うるさい、俺はそれをお前から力尽くで奪おうかと考えていたんだぞ?」
「へぇ、そうなんだ、じゃあ取ってみる?」
苦し紛れの反撃も完全に躱される
まぁ、仕方ないか、と自分の滑稽さを笑うしかない
半ば諦めた表情を作ってしまった少年に先ほどとは違った笑みで少女が笑いかけた
「なぁあてね、ゴメンね、冗談だから」
少年は今更ななんだと怒りを隠さず返した
「あ?」
「怒らせちゃったお詫びに一つ上げるよ、これで済むならね、本当に悪気があったわけじゃないんだ」
少女は精霊石を取り出して渡そうとした
「……いらない」
「あれ?本当に怒っちゃった?」
これはとても価値のあるものではなかったのか、と少女は首を傾げた
「そうじゃない、俺だってプロだ、依頼料以上は受け取らないし、まけもしない」
それは紛れもない本心だった
というか仮に本当にくれたとしても、受け取ることはできないのだ
あるいはそれを知っていて試しているのかもしれないが、それは少年にとってはどっちでも良かった
しかし、恰好はつけてみたものの、さっきの後では説得力がゼロだよなと少年は思った
目線を逸らしたままの少年に、彼女はすっとした笑みを作る
「信じるよ」
その一切の嘘を感じさせない声音に、彼の目線は彼女の瞳に吸い寄せられた
少女はそれをしっかりと受け止めると、顔をさらにずいッと少年に近づけて、自分のオレンジ色の瞳を指さして言った
「私のこの目、おかしいでしょ」
少女が視線を炎の方に向けると、一瞬キラリと瞳が黄金に輝いた
「まるで半種族みたいな眼」
一瞬なんのことかわからなかった少年は、その言葉で合点が言った
二つの種族を親に持つ半種族は、頻繁に色彩的特徴が親から受け継がれる
眼の色にもそれは顕著に現れることがあり
虹彩異色症や別種瞳孔と呼ばれるものである
「まぁ半種族ではないんだけどね。光の入り方でこうなるんだよね、でも見え方が違うのは外からだけじゃない、私の眼はね、とても良く見えるの、いろんなものがね」
少女は魔結晶が放つ炎の周りを指でなぞるような仕草を行った
3メートルは離れている筈なのに、少女が少し指を動かすだけで炎が合わせて揺れていた
「魔術……か?」
「違うわよ、これはね、炎の力の流れに合わせて指を動かしてるだけ
普通の人の眼には見えないけど、この世界にはいろんなエネルギーや力や光が流れてる、それは何にでもあるし、もちろん、人間にもある」
とん、と彼女は少年の肩に指で触れた、それだけで少年の身体が大きく仰け反った
慌てて踏ん張ってみるが、力が全く入らず、少年は倒れそうになる
痛みがあったわけではない、まるで体がそう反応したかのようだった
「ああ、ごめんね、大丈夫?」
少女は慌てて少年を引っ張り起こした
わけがわからなかった少年は自分の肩に触れてみた、痛みがあるわけでもなく、なんの異常も見られなかった
勿論魔術を使ったというわけでもないのだろう
なんだか狐につままれたような気分だった
少女は再び炎の方を向くと、その指をゆらゆらと振る
するとどんどんと炎が弱まっていき、次第に消えていった
辺りを闇が満たす
少年はその行動を威嚇だと受け取った
「なるほどね……安全なんて気にしなくても良いほどにはそれなりに強いってわけか」
「ええっ、違うわよっ」
全く意図していなかった受け取り方をされて少女は驚きの声を上げた
すぐさま訂正する
「そうじゃなくてね、ほら人にも流れがあるって言ったじゃない?
私はね、言葉やその人の身体の周りの流れで、簡単に言えば『本当のことを言ってるかどうか』がわかるのよ」
「……言霊的なことか?」
少年は言霊師が使う技術にはそう言ったものがあると聞いたことがあった
なんでも言葉に宿る力でいろいろなことを読み取れるらしい、本物にあったことはないので眉唾ものなのだが、こいつがそうなのだろうか、と少年は思った
「多分違うかなぁ、言霊とか私わかんないし、とりあえずそれで君のことは信用できそうだなぁって思ったわけ、この眼のおかげで君が強いってこともわかるしね」
「だったらなんで最初驚いてたんだ……」
「えっ、それはほらっ、やっぱりこんな小さい子がちょっと危なそうなことやってるなんてーみたいな?」
(心眼みたいなものがあるはずなのに外見に惑わされるのか……)
「あ。なんか今凄い呆れたでしょ?伝わってきたわよ?」
少年はぎょっとした、ほとんど心が読めるようなもんじゃねーかずるいと思っていると
冗談めかしていた少女の顔が、すぐに真剣に引き絞られる
「まぁでもほら、結局こういう感じだと、正直ちょっと人間っぽくないでしょ?」
「それはそうだろうな」
力の『流れ』とか良くわからないものを見ているだけでも良くわからないのに
お世辞や慰めを言ってもその『流れ』とやらを見てしまう、まさにフォローのしようがない
自分も今さっき似たようなことを思ったし、普通そうだろうと少年は思った
「ただでさえ半種族っぽいだけでも嫌われるのに」
雲の切れ間がさして、少女の瞳が黄金に煌めく
事実はどうあれ彼女はそのことを気にしているらしいと少年は感じた
素直な感想を口に出してみる
「でもその眼だって、満月みたいで綺麗だけどな」
「満月……?」
「知らないのか?月がまん丸く光るってことさ、上見て見ろよ」
少女が仰ぎ見ると、夜空の三分の一を覆いつくさんばかりの黄色い巨大な存在があった
すっぽりと飲み込まれてしまいそうな、そんな圧倒的な輝きを放っている
ここが既に領土内だとすれば、これがイグニス王国の月なのだろうか、と彼女は思った
月の周りの点在する無数の星々を着飾ってでもいるように凛として佇んでいて
そしてなにより、そのどれよりも美しかった
「……き、綺麗」
思わず言葉が漏れていた
「そうだろ?こんなに綺麗な目をしてるんだから別に深く悩むことないだろ」
それは彼が実際に差別されている半種族を身近で見た経験がないからくるからこその軽率な言葉だったが
嘘のない言葉でもあった
そうか、彼はこんなふうに綺麗だよと言ってくれたんだと思って彼女はハッとなった
静かに頬を撫でる夜風に、自分の顔が熱くなっていることに気付かされて、少し胸の鼓動が早くなるのを感じた
彼はどういうつもりでそんなことを言ったのだろうと、彼の流れを視ようとしたがサッパリ読めなかった
さっきは読めたはずなのにおかしいと疑問に思いつつ彼女は言った
「そういえば……、名前も言ってなかったね、私の名前は……〝ツキナ〟、ヒイヅキツキナ」
「え?」
少年が視線を戻して、彼女の方に首を傾げた、その可愛いと思える顔が近づき、彼女の鼓動はさらに早まった
「えっ?」
「ああ、ごめん、知り合いと同じ名前だったから」
「そうなんだ、……、……、……アンタはなんて言うのよ」
「俺は……ユウスケだ、ヨシノユウスケ」
「ヨシノユウスケね、覚えたわ」
「別に覚えなくてもいいよ」
「……え?」
「いや、だって、ほら、ヒイヅキと俺しかいないから、その後は、たぶん会うこともないだろ」
ユウスケと名乗った少年は特別なんとも感じていないように言った
それを見てツキナは急激に冷静になった
「……、……。……それもそうね」
そういえばここが抜群の夜景で、月明りのムードが満点で、二人っきりだったとしても、その相手は
まず間違いなく子供なのであった
何を一人で盛り上がりそうになっていたのだろうと、途端にクールダウンしてくると彼女は無性に背中がかゆくなってきた
自分の好みは意外と年下だったのかなと思ったりもする
(なんだかこいつの周りの『流れ』が危ないせいなのよきっと)
彼女は乱暴にそう結論付けた
出会ったときに接近がわからなかったことと言い、彼の周囲の流れへの干渉力はとても強いような気がした
わかるときがあればわからないときもある
多様な『流れ』が見える故にその『流れ』でいろいろなことを判断する彼女にとって彼は非常に読みづらい相手であると言えた
それ故に知らず知らずのうちに好奇心も刺激されているのだが、それを彼女はまだ自覚していなかった
ツキナが思案しているとそうとは知らない能天気とも言えるような声でユウスケは言った
「そろそろ寝るか」
「そうね、寝ましょうっ、……って!!寝るって、ええっ!!」
落ち着いたばかりの彼女の心臓が再び警鐘のようにドラミングを始めた
その反応を正しく理解できなかったユウスケはまったく的外れな説明をした
「ああ。飯なっ、悪いけどここは巨大尾兎の縄張りの近くだ、満月の夜は交尾期だから気性も荒いしな、念のために起きたらにしようぜ」
それは彼女の混乱を増長させた
「こっ!こうっ!!!……っ!!っ!!」
彼女は過剰に反応しようとする自分の感情を気合と根性で黙らせた
やはり自分はおかしいようだと冷静に判断する
そんな彼女の様子にまったく気づく素振りもなく、ユウスケは塔の魔結晶を展開した
4メートルほどの茶色の建物が即座に現れる
四角い箱に砂を詰めて、ひっくり返したらできそうな粗末な建物だった
「部屋は中で分かれてるから、警戒も俺がやっとくから、いいよ寝てて。じゃあおやすみ」
言うだけ言うと少年は中に入ってバタンとドアを閉めた
「……、……~~~~~~っ!!」
声にならない叫び声の流れが、満月に照らされた森に響き渡った




