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鬼を隠す女

作者: 重原重治

 我が家の鬼は、引きこもりです。

「信也?今日もパソコン?」

「んー?そうだけど。それがどうかしたか?」

「たまには本でも読んだら?」

「なんか面倒くさいんだよなー」

 鬼の信也はいつもネットで動画を見たり、役に立たない雑学を集めていたりします。いったい何が面白いのかわからないけれど、彼にとってはそれくらいしかできることがないというのもわかっています。

 なので、私には何も言えません。

 そもそも彼にこんな不自由を強いているのは私なのだから。

「私、学校に行ってくるから」

「了解」

 彼は家事をしません。というか、まず部屋から出ません。

 鬼だから食事を必要とせず、睡眠を取らず、休憩もいりません。彼は人ではないどころか生物ではないのですから。

 だから、彼に必要なのはパソコンをやる電気代だけ。

 実際にはWiFiを繋げるための費用なども必要。とのことですが、機械音痴の私にはよくわかりません。

 ただ、私よりも一回り大きい身体を持っていても、畳の部屋でただキーボードを打っている姿を見ていると、私は少しだけ泣いてしまいます。

 ああ、どうして彼は鬼なのだろう、と。



 私の名前は朱雀門 栞菜と言います。苗字はなかなか仰々しいので、基本的にはかんちゃん、栞菜と言った呼ばれ方をします。あだ名というものは生まれてこの方つけられたことがありません。

 そんな私は都内の高校に通う女子高生です。なんてことはない普通の身分ですが、世の中にはこの女子高生という称号の女子と過ごしたくて何万円も払う大人がいる、ということを信也から聞きました。なので夜道には気を付けるように、とも。

 心外です。私は夜に外を出歩くような非行少女ではないのです。信也は、どうも私のことを誤解しているような気がします。

 私はごく一般的な高校生です。普通の高校の普通科に属して、普通の友人に恵まれています。

 けれど、そんな普通の友人から見て私はどうやら特殊に見えるようでした。

「かんちゃんさー。まだあの彼氏と別れてないの?」

「え?彼氏って?」

 私に彼氏ができたことはありません。

 そもそも婚約者がいるのですが、それは置いておいても、誰かとお付き合いする、ということは考えられません。だって私には信也が居るから。

 そういうと、友人はため息交じりに抗議します。

「その、彼氏じゃないし家族でもないのに世話焼いてるって絶対おかしいから。しかも家事だってやらないんでしょ?おかしいじゃん」

 私は出来るだけ彼のことを話さないようにしているのですが、どうしても、彼の着ている服(彼は水道代電気代が勿体ないからと言って常に全裸でいようとするけれど)の洗濯をしたり、買ったり、他にも色々と事情があって友達の誘いを断ってしまうときは、どうしても理由を言わなくてはなりません。

 そこから得られる情報を統合した結果。どうやら私は『ろくでもないヒモ男に貢ぎまくっているいたいけな少女』という称号を得てしまったらしいのです。ちなみにこの称号を私に与えたのは信也で、友達の誘いを断るなとその時厳命されましたが、それでも私は信也の世話を怠るつもりはありません。

 私が申し訳ないからです。

「私は彼に罪滅ぼしをしなくてはなりません。だから私は彼について一切の妥協をしません」

「まーた出たその悪い癖。考えすぎでしょ。どうせダメ男なんだからさ。そんなダメ男に付き合うことないって」

「ダメ男じゃありません。仕方なく引きこもってるんです」

「だからそれがダメ男なんだって・・・もういいや」

 ぶつぶつと呟き始める友人は見るからに機嫌が悪そうです。申し訳なく思いますが、私としても譲れないものがあります。

 私は信也を手放すつもりはありません。

 もう、二度と。




 帰る途中、実家の家業に関連する人たちに声をかけられました。

「お嬢様。お久しぶりです」

「はい。お久しぶりです建長さん。お元気ですか?」

「お陰様で」

 建長さんは四十三歳のおじさまです。私の遠い親戚にあたる方で、今は実家、京都から遠く離れた東京で陰陽師として活動しています。

 けれど、私はこの人があまり好きではありません。

「お嬢様。最近鬼と出会いましたか?なにやら鬼気の残り香があるように思えるのですが」

 これです。

 この人はとても優秀な陰陽師で、よく首相官邸などの結界修繕も任されるほどなのですが、それだけに私にとっては不都合なのです。

 普通の陰陽師であっても見分けられないような僅かな残り香、それを見分けてしまう。だからあまり遭遇しないようにしているのですが、まさか下校中に声をかけられるとは誤算でした。

「そうですか?おかしいですね。私は鬼と会えば禊をするので鬼気なんて纏わりつくとは思えないのですが」

 しらばっくれます。

 嘘を吐くのは心が痛みます。けれど、ここで「はい、鬼と会っています」と言ってしまっては、彼はすぐにでも私の家に突入し、信也を殺してしまうでしょう。

 そうなれば、私はどうしたら良いかわからなくなります。

 もしかしたら、死んでしまうかもしれませんし、殺してしまうかもしれません。

 そんなことはしたくはありません。だから私は嘘をつきます。

 それが誰にとっても幸せだから。

 建長さんはしばらく首を傾けていましたが、勘違いだと思ったのでしょう。すぐに私に向き直りました。

「失礼しました。どうやら気のせいだったようです。確かに、お嬢様から鬼の匂いがしたところで気にすることではありませんか」

 建長さんは微笑むと、綺麗に一礼しました。

「では、またの機会に」

「はい、お元気で」

 表面上の言葉でも、建長さんは嬉しそうでした。本音を言えば、お元気で、など口が裂けても言いたくないのですが。






「ただいま帰りましたー」

「おかえりー」

 ただいま、と言えば、お帰り、と返ってくる。このやり取りが私は好きです。

 手を洗ってから、彼の部屋に向かいます。

「信也?何か食べたいものない?」

「俺、鬼だから食べる必要ない」

「そういうことじゃないよ。ケーキとかどう?食べたい?」

「だから食べる必要ない。金の無駄。貯金しとけって」

 信也はこちらに目を向けることがありません。それに、私の言葉にも素気ないです。

 確かに、鬼に食事は必要ないです。しかし、食べることはできます。もしも犬や猫の鬼ならば別かもしれませんが、人の鬼ならば大丈夫のはずです。だって元々は人間なのですから。

 私が不満げにしていることが空気で分かったのでしょう。信也は私を振り向きました。額から生える二本の角だけが印象的ですが、他は上下ジャージというラフな格好です。曰く、楽なのだそうで。

「あのさ、俺、今この時点でもお前に結構迷惑かけてるわけだよ」

 一瞬、言われている意味が分かりませんでした。

 けれど、考えてみればすぐにわかりました。

「迷惑なんて」

「今、俺が話してるから」

 口を噤みます。確かに、人が話している最中に口を挟むのはお行儀が良いとは言えません。

「俺、四六時中ネットしてるわけだ。そのせいで電気代が嵩んでるし、故障すれば修理費も嵩む。お前はそもそもWiFi使わねえから本来なら契約する必要がない。俺が居るだけで結構家計の負担になってるんだよ。分かるか?」

 分かります。分かりたくないけれど、分かります。

 だって信也は引きこもりなのです。外に出ることも出来ません。真っ当な手段で稼ぐことなんてできませんし、稼げたとしても、真っ当な手段ではない以上リスクが伴います。

 信也は確かに、家計面だけでいえば金食い虫です。

「そんな俺が、さらに必要のないケーキとか、そういうもん食えるわけないだろうが」

「違うよ」

 信也は驚いたような顔をしました。完全に私を封じ込めたと思っていたのでしょう。

 甘いです。ちょろあまです。

 確かに、目に見える範囲ではそうかもしれません。信也はなんら建設的なことはしていません。お金を毎日ただ浪費しているだけです。

 けれど、違います。

「私は信也が居るから、今、頑張れてる」

 私の、心の面を信也は分かっていない。

 家に誰かが、いいえ、信也が居るだけで、私がどれだけ救われているか。

 毎日言葉を交わせるだけで、私には生きる活力が湧いてきます。

 一度はなくしたものが、沸々と湧き上がってくる。そんな感覚がします。

 だから、信也の言っていることは間違っています。

「だから、信也。一緒にケーキ食べよう?」

 私が笑いかければ、信也はため息交じりに頭を掻きました。

 けれど、観念した。と言いたげな声音がそこに混じっていることが私には分かります。

「・・・一番安い奴で」

「うん!買ってくるね!」

 私は意気揚々と、制服のまま出かけました。



「あ、お前な。床にケーキ零すなよ」

「ご、ごめんなさい。いま拭くから」

「良いって、俺がやっとくからお前食っとけ」

「・・・うん。ごめんね」

「謝るなよこの程度で」

 その日のおやつは、いつもよりも随分おいしく感じました。



 これは私と、一人の鬼との、ちょっとした因縁の物語。

 その中の、ちょっとした一幕です。

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