人質Ⅳ
血がにじみ出る指を咥えてアイーダが窓を閉めようと手を伸ばすと、液体状の物が腕に滴り落ちた。不思議に思う間もなく、その手が急に上へと引っ張られると同時に、勢い余って上半身を窓から投げ出してしまった。
「ヒュッ――――」
いくら落ちても大丈夫とはいえ、落ちる感覚と恐怖は慣れぬ者にとって簡単に克服できるものではない。喉から掠れた声が漏れる。慌てて体をもう片方の手で支えて部屋へと戻る瞬間、背中へ何かが覆いかぶさる感覚に気付いた。
「えっ!? な、なに!? だ――――がっ……!?」
驚きの声を挙げるも、即座に首周りを締め上げられる。
体が持ち上がってるわけでもなく、単純に何か見えないものが首に巻き付いているようだ。何とか爪を立ててひっかこうとするも、繊維質の束のようで引っ掛かりこそすれほつれることはない。次第に体に力が入らなくなり、彼女は意識を失った。
次にアイーダが目を覚ました時にはいつの間にか布団で眠り、窓も締まった状態に戻されていた。ただの悪夢だったかと安堵するが、違和感に気付いて布団を跳ね上げると、そこには自らの足にしがみ付く巨大な蜘蛛がいるではないか。
恐怖に叫び声を上げかけるが、再び首を絞められるのではないかという恐怖からか、喉の奥へと何とか飲み込むことができた。事実、この蜘蛛はそうするつもりだったのだろう。体が強張った瞬間に首が僅かに締め付けられる感覚があった。
この出来事以降、彼女は四六時中、蜘蛛に見張られ、定期的に血を吸われる時間を過ごしていた。幸いなのは、誰も殺す必要がなかったことだろうか。それでも、精神は徐々に蝕まれて、神経が衰弱するのは一日もあれば十分だった。
「『――――あなた」」
自分が何をしているのかもわかっていないような状態の時に、メリッサから声をかけられた。
ローレンス辺境伯。数々の武勇を誇るファンメル王国でも精鋭中の精鋭。当然、その娘たちに仕えるともなれば生半可な実力では慣れないだろう。
蜘蛛のことなど頭から吹き飛んで、メイドという一人の人間の意思としての畏敬の念で固まってしまった。
「『――――あなたの努力は必ず報われるから。それまでの辛抱よ』」
最初は何のことを言っているのか、まったくわからず。メイドとしての腕を馬鹿にされたのかと思った。実際、許可を公爵から得る前にまるでメイド長かのように振舞い始める姿は、戸惑いすら覚えたほどだ。
夜になってメリッサから渡された睡眠薬とフランから渡された痛み止めを見ながら、はっと目が覚める様な気付きを得た。
「(もしかして、蜘蛛のことに気付いてくれてる!?)」
恐怖で眠れないのであるならば、それを感じぬように睡眠薬を渡したとも考えられる。これほど心強いことはない。蜘蛛も一切反応していない以上、気付かれていないと思えば、彼女の行動は蜘蛛を除去するまで何とか我慢しろ、という風にも取れなくもない。
四日という期限を提示したのもメリッサだ。その時間を何とか乗り越えられれば、助かるかもしれないという希望が生まれた。
そんな希望も三日目で叩き潰された。敵は既に街の東部に展開し、攻め込んできている。騎士たちも頑張っているのだろう。時折、街が震えるような轟音が響き渡るのが聞こえた。四日目を迎える前に占領されて殺されるのだろうと思うと目の前がくらくらしてくる。
今、目の前のハサミを取れないのも蜘蛛が邪魔をしているからだが、何とかメリッサから隠さなければ何をされるかわからない。動かなくなったまま、どうするべきかを思案していると、意識とは別に腕が伸び、箱の中からハサミを一つ掴み上げる。
「(え? 持って行っても良いの?)」
今までは人間の益になるような動きの幾つかは封じられて来た。このまま、持っていけば騎士たちが解放され、蜘蛛としては困ったことになるはずなのに。
そう思っていたアイーダだったが、その顔はすぐに絶望に変わる。
「(う、嘘でしょ? 待って!)」
右手で鷲掴みにしたハサミを持ったまま、体はゆっくりとメリッサの方へと向かう。声を出せないようにするためか、首は少し締め付けられた状態になっていた。
「……ここにはない、か」
運悪くメリッサはアイーダに背を向けている。その背に向けて、ゆっくりと距離を縮めながら右手が振り被られていく。
「(いや、いやよ。そんなこと、できるはずがない。お願い、やめて!!)」
心の中で叫んでもメリッサには届かない。無情にも体が糸に引っ張られる感覚と共に、アイーダはメリッサへとハサミを振り下ろした。
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