駆け引きⅦ
かさり、かさりと音が響く。その音を立てている主の姿は見当たらない。
暗い玄関ホールの中では埃が溜まり、随分と長い時間掃除がされずに放っておかれたままなことが伺えた。その内、空を裂く音が聞こえたかと思うと金属の鎧が床に散らばり、その中から干からびた死体が顔を覗かせる。
やがて腹の皮膚が裂け、中から一匹の蜘蛛が這い出してきた。その直後に部屋のどこかからか声が木霊する。
「やれやれ、せっかくの着物を台無しにしおって、素材はそれで最後だったというのに」
響いた声は女のもので、どこか妖艶な雰囲気を纏っていた。世の男性が聞けば、きっと美女がいるに違いないと周囲を見渡して、その姿を探したことだろう。
しかし、その姿は見えず。ただ声だけが聞こえてくるばかり。床を蜘蛛が這っていると、再び、何かが擦れる音が響く。
「おや、どうしたんだい。そんなに慌てて」
女の声が響き、僅かな時間静寂が部屋を満たす。次の瞬間、聞こえてきたのは女の怒号だった。天井から埃が舞い落ち、曇った窓ガラスが震える。
「この騎士がいた街の奴らか。下らぬ人間風情が……! よくも私のカワイイ子供たちを……!」
軋み音を立てると天井から巨大な蜘蛛が一匹、近くに置かれていた花瓶を吹き飛ばしながら着地する。否、その体は確かに蜘蛛であったが、上半身には女の体が存在していた。その女の手にはマリーの杖を咥えたまま静かに鎮座する手のひら大の蜘蛛。よく見れば、その体の半分は焼け焦げ、脚も一本炭化して崩れ落ちていた。
「可哀そうに。私が今からお前たちの仇を取りに行ってやろう。ちょうど、着物も足りなかったところだ。お前たちを苦しめた奴らを一人残らず狩って、着飾ってやると良い」
くつくつと喉の奥から狂気と歓喜を押し殺した声が鳴る。人の手の形をした腕からはゴキリと骨が音を立てた。そのまま、その手を蜘蛛の咥えた杖へと伸ばし、ゆっくりと摘まみ上げる。
「こちらの術師が使う道具だな。時間は経っているが、まだ微かに臭うぞ……!」
大きく鼻から息を吸い込んだ蜘蛛女は、真っ黒な眼を見開いて、腕を振り下ろす。
杖先から不可視の圧力が解き放たれ、部屋の中で嵐のように荒れ狂う。家具は倒れ、紙は舞い散り、窓ガラスが砕け散った。
「臭いは覚えた。必ず貴様を追い詰めて殺す。ついでにその皮を着て、親族の前で脱ぎ捨ててやろう。当然、そいつらも同じような目に合わせてやる」
今から楽しみで仕方ないとでも言いたげに女の声は上機嫌だ。先程までは復讐に燃えていたのに、いつの間にか目的がころころと入れ替わっていく。
「我が子らよ。支度をするのだ。これより、この騎士がいた街へと向かう。死んでいったお前たちの兄弟の弔い合戦だ」
どこからともなく、何十という細かく何かが擦れる音が至る所から聞こえ始める。もし、この光景を見た者がいたら息を止めて、目を見開いたまま動きを止めていただろう。
天井を走り回るたくさんの蜘蛛。それらが姿を消したと思えば、砕け散った窓の外や閉められた扉を開け放って現れる虚ろな顔をした元村人。
蜘蛛女の手の平とその足元にいる蜘蛛以外、その全ての百数十に上る蜘蛛が人の皮を被って、集結していた。この村を纏めていた男の屋敷は化け物の巣窟と化していたのだ。
杖をもう一振りすると、玄関が突風によって外へと吹き飛ばされる。片方の扉は地面へとそのまま突き刺さり、もう片方は近くの民家の壁を突き破っていった。
空はどんよりと雲に覆われ、月の姿を確認することができない。そんな暗闇の中で、蜘蛛に操られた化け物の軍団が行進を始める。
その足取りはもはや人の者に非ず。行進というのも烏滸がましい化け物の疾走であった。一蹴りで十数メートルも進み、続々と村の外へとその姿が消えていく。
「さぁ、楽しい狩りの時間までもう少し。首を洗って待っているがいい」
その言葉が響いたのは、街道の林が燃えてから二日後のことであった。
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