束の間の休息Ⅶ
水が滴る音が大きな部屋に響く。
「あら、もう戻ったのですか?」
「はい」
「それで、例の子はどうだった?」
跪くクロウに女性は語り掛ける。
その手には杯が握られ、酒を嗜むようにグルグルと中の液体を動かしていた。
「もちろん、無事でした。尤も、後少しで敵の手に渡るところでしたが」
「それは良かった。あの老人の下に連れ去られていたら、どんなことになっていたか。考えるだけでも恐ろしい」
「寄生体ごと吹き飛ばしたので、当分は動けないかと。動くのならば今の内ですが?」
「――――辞めておきましょう。守りが弱まっている今、動けば相手に逆転の一手を打たれる可能性があります。今はまだ堪える時です」
杯を傾けると数滴、液体が零れ落ちる。それを足元にいた蛇が大きく口を開けて飲み込んだ。それで満足したのか。チロチロと舌を出し入れすると、体をくねらせて部屋の隅へと這っていく。それを女性は見ることなくクロウへと視線を投げかけていた。
「それと、もう一人の方は?」
「問題ありません。無事に首輪も起動しています」
「そうですか。そちらはあまり気付かれていないようですね。しかし、よく首輪の起動に必要な魔力源を用意できましたね。それもあなた抜きで」
「あいつなら、それくらい、やってのける力はありますから」
クロウは立ち上がると軽く両手を広げる。
「むしろ、それぐらいできなきゃオカシイ。アレは普通の人間だと思い込んているだけで、その中身は常軌を逸してますからね」
「そう。あなたとどちらが上かしら」
「おかしなことを聞かないでください。どっちも化け物ですよ」
そう言うとクロウはローブを翻して、後ろにある道へと歩いていく。
部屋にコツコツと虚しく足音が響き、時折、何かが羽ばたく音が聞こえた。黒い影が視界の端に映った気がするが、それをクロウは気にせずに歩いていく。その背中に向かって女性はぼそりと呟いた。
「……随分とおしゃべりになりましたね」
「俺は元来おしゃべりですよ」
「あら、聞こえてたんですか。気にしてたのなら、ごめんなさい」
「いえ、構いません。それでは少し休息を戴きます」
その姿が道の先へと進み、姿が見えなくなったところで女性はもう一度呟いた。
「ほんと、面白い子」
暗闇からはもうクロウの声は帰って来なかった。
トンネルのような廊下は魔法石が等距離に置かれ、篝火代わりに道を照らすことができるが、クロウはそれを使わずに進んで行く。
そんな最中、暗闇からクロウに語り掛ける存在がいた。
「なるほど、あれが君の主か。こうしてはっきりと知覚すると、なかなかに恐ろしいな」
「……勝手に話し始めないでくれ。俺の心臓に悪い」
一瞬、間があった後、クロウは返事を返した。その相手はエルフの男、マリーたちを妖精庭園に導いたチャドの声だった。
「いや、何。本当に思ったことを口にしたまでだ。気を悪くしたか?」
「別に。それよりも、あくまであんたは仮の契約で来てもらっただけだ。その内、元の所に帰ることになるが、問題はあるか?」
「私はここに存在できただけでも奇跡みたいなものだと思っている。感謝こそすれ、恨むようなことはないから安心してくれ」
「わかった。今回は協力に感謝する」
短く言葉を交わしていると、耳に何かが羽ばたく音が届く。それが蝙蝠の羽音だとは普通の人間にはわかるまい。わかる前に聞くことができるかどうかすら怪しいだろう。
暗闇の中でクロウはため息をつきながら、その音がする方向へと問いかける。
「あんたも、俺に何か聞きたいことがあるのか?」
「――――――――」
その言葉に対する返事は只の甲高い鳴き声だった。しばらく、クロウはその場に立ち尽くしていたが、それ以上の言葉がないと悟ると、元々の進行方向へと足を進める。
話しかけることはないが、その動向は気になるようで蝙蝠はその後を飛んでついて行く。それを気にせずクロウは、暗闇に溶け込むかのような声で呟いた。
「まぁ、俺のやるべきことは一つだ。精々、足手纏いになるなよ、勇輝」
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