束の間の休日Ⅳ
天井もないのに、ポタリと水滴が頬に落ちて湯船の波に飲み込まれた。
どうやら随分と湯気が多いようで、綺麗な月と虹もぼやけてしまう。涼しい風が頬を撫でて行くが視界はまだぼやけたまま。ユーキは歪んだ視界のまま目を閉じた。
今は何も見たくない。現実も夢も、真実も嘘もどうでもいい。今だけは思考すら必要としない、瞼で仕切られた暗闇と体に染み込んでくる魔力の心地よい感覚で十分だった。
瞼の裏で月光の残像が青く揺らめく。丸い月の形が何度も明滅し、それを追うと光が移動して一本の筋となって軌跡を描く。蛇のように、だが、地面を這わずに縦横無尽に瞼の裏を飛び回る。
それがどこか楽しくてユーキはその光を追い続けた。そして、ふと遠ざかったと思ったその光が一瞬で自分に近づいてくる。咢を大きく開き、まるでユーキを呑み込もうとするようにも見えたが、恐怖など微塵も感じることはなかった。
小さい頃から瞼に映る残像で遊ぶのが癖で、夜寝る時にはいつもそれをやっている内に眠ってしまっていたからだ。
そんなユーキであったが、ふとその口から声が響く。
「―――――やっと、声が、届いたか」
「――――は!?」
思わずユーキは飛び起きた。急いで周りを見回すが自分以外に客はいない。
そもそも、この宿の客は伯爵の騎士たち以外だとほんの数人しか泊まっていなかった。その大勢の騎士も今は警備に駆り出されていない。
そもそも、自分の耳に飛び込んできた声は人間のものとは思えなかった。近いものを上げるとするならば、王都近くで出会ったドラゴンだ。一声発するだけで山が割れんばかりの威圧感。圧倒的な強者が放つカリスマとでも言うべきものが感じられた。
ただ、唯一違ったのは、その声に優しさというか親しみさが感じられた。恐怖というよりは、単純な驚愕に近い。
心臓をバクバクさせながら深呼吸していると、木の壁の向こうから戸惑いの声が聞こえてきた。
「その声、ユーキ……さん? 何かあったの?」
「サクラ、か? いや、転寝してたら、ちょっと沈みかけてさ。そっちこそ、起きてくるには早いじゃないか。体調は大丈夫なのか?」
上手く説明のしようがなかったので、適当に誤魔化しつつユーキはサクラを気遣う。そうすると、本調子ではないもののはっきりとサクラの声が返ってきた。
「うん、大丈夫。ユーキさんが見回りしている間に、私もアイリスちゃんも目を覚ましてね。余裕のあったアイリスちゃんが先にお風呂に入ってたんだけど、それと入れ違いで私が来たの。この温泉、魔力があるってソフィちゃんが言ってたけど、浸かってすぐに体中が楽になるとは思わなかった」
「そうだな。俺も心なしか右腕のコリが解れた気がするよ」
軽く腕を上げてぶるぶると振るわせると、存外に軽いことに衝撃を受けた。
たった数分で体の調子が良くなるのなら、元の世界でも温泉は大繁盛だっただろう。魔法世界様様な効力にありがたみを感じつつも、ユーキは疑問を口にする。
「でも人間の魔力は自然の魔力に侵食されるのに、浸かってて大丈夫なのか?」
「うーん。仕切りの違いじゃないかな? 人間一個人に対して世界はすごく大きいけど、人間の体の中に入ってくる魔力は微量で、その逆みたいな」
「人間の体内なら逆に侵食し返すってことか……。それなら魔法とかすごいのが使えそうだな」
前に聞いたレオ教授の話通りなら、自分の魔力よりも多くの魔力を使うことができる。
「それができたら楽らしいんだけど、すごく難しいらしくて、実際に周囲の魔力を取り込んで自分の魔力にできる人って、そんなにいないんだって」
「何だ、そうなのか。やっぱり、上手い話はそんな簡単に転がってないってわけか」
手で水面を軽く叩いて悔しがると、壁越しにサクラの笑い声が届いた。
「ユーキさんって、本当に不思議だよね。すごい魔法を使うかと思えば、魔法自体を使うのは初めて。かと思えば、短期間でここまで使いこなすなんて」
「全然だよ。コントロールできる、なんて言うには十年早いって言われ――――」
そこまで言ってユーキの思考が止まる。自分は今なんて言おうとしたのか。いや、自分は何でそんなことを言われたことがあると思ったのか。
誰もいない露天風呂でユーキの目だけが大きく見開かれ、頭の中で心臓の鼓動だけが響き、混乱の極致にいた。
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