極彩色の世界Ⅴ
ゴブリンたちは、常に獲物を探していた。森の中の小動物を襲って殺し、弄って殺し、そして狂ったかのように貪り食う。そうやって欲を満たし、仲間を増やし、人間を襲う。成功すればもっと食える。殺戮できる。そんな気持ちが彼らの行動原理だ。
だから、今日もゴブリンは山道を抜けた人間たちの村を襲った。
――――きっと襲えばいい声が聞ける。家畜が鳴き、小麦は踏みつぶされ、男が怒号を上げ、後には女の嗚咽が響く。それが俺たちを待っている。
そして、最後はお腹にたっぷりと何もかもを入れて、次の狩場へと移動するのだ。
勇輝を襲った少数のゴブリンたちは、もともと村があるかどうかを見に行くついでに、獲物がアレば自分たちだけでも襲ってみようというつもりだった。その前に村の人間に自分たちの存在がばれようが構わない。目の前の獲物で楽しめればそれでいい。他の奴らも帰って来なければ、それはそれで勝手に行動を始めるだろう。
そうして、今日も襲うことにした。
「ゲヴォッ!?」
先頭のゴブリンが蹴り飛ばされた。
逃げる側だった獲物が反撃に転じて足が止まる。オロオロとしている内に自分以外は倒れてしまった。
――今は逃げよう。これは楽しくない。
そうして逃げ出したゴブリンは、仲間の元へ戻ることにした。
そして、約半日後、彼は戻ってきた。他の仲間と別行動したのは何の理由もない。ただ、襲えなかったあの人間が通った道だから来ただけだ。
自分についてきた弓使いのゴブリンたちも、何かアテがあるからだと直感的に悟ったからだろう。
夜目も効くゴブリンにとって、この程度の闇はどうってことはない。そもそも彼らは光の届かぬ洞窟の中でさえ暮らせるのだから。
一つ、ゴブリンたちを苛立たせたのは人間の数だった。これでは返り討ちに遭うだけだ。
――やはり面白くない。自分が襲う側でなければ、楽しくない。
だが、金属音が鳴り響いた後、ゴブリンたちは笑みを浮かべる。その視線の先には移動を開始して、数人しか残っていない手薄な防衛線だった。そして何より、松明で照らされて、はっきりと見える獲物の顔に笑みを浮かべる。
「キヒッ!」
そして、矢は放たれた。その矢の行方を見ずにゴブリンは、すぐに矢を番えて射る。その判断は正しく、最初の矢は槍でたたき落とされた。
しかし防がれようが、少しでも皮膚に当たったのなら問題はない。槍を持った人間が崩れ落ちる様を想像して、笑みが止まらなくなる。
加えて、相手がゴブリン側に反撃できないのもいい。棍棒で殴る感触もいいが、相手が一方的に嬲られる姿もたまらない。
――――さぁ、いつまでもつかな?
そう思わせるかのごとく、口からは笑みとよだれが零れ落ちる。
そして、彼らの望んでいた時が来た。矢をひたすら防いでいた槍使いが膝を折り、崩れ、倒れた。
――自分の隣の奴が火球の爆発で吹き飛ばされたようだが、関係ない。俺は今、最高に楽しいんだから。
背中の矢筒から矢を数本引き抜いて番える。本来、弓を扱わないゴブリンが正確に射抜いてくるだけでも脅威なのに、それを連射する。ゴブリンの生態に精通している者が見たら、何の間違いかと目を疑うだろう。
偶然襲われた商人の荷台からくすねられた物の一つに、弓があった。それをゴブリンたちの一体が上手く使えるようになったことが原因で、このゴブリンの一団は棍棒ではなく弓を使える個体が多くいる。そんなことが起こるのは、万に一つどころか、億に一つくらいだろう。
そして、不幸にもその商人が扱っていた物の中には、複数の薬があった。ゴブリンへの反撃に矢へと塗って使われたのだが、逃走する際にそのままだったために、現在はゴブリンに使われているという始末だ。
尤も、その商人に責任を問うことはできない。既にその張本人はこの世にはいない。
「キヒッ」
連射された矢の先には魔法使いの女がいた。矢が女の首めがけて飛んでいくのを見て、さらにゴブリンの顔は狂気に染まった笑みで歪む。
その時、ゴブリンは青い二つの光を見た気がした。
――「眼」を開ける。その先には、もはや暗闇など存在しない。
紫色、暗緑色、赤褐色、銀色、鈍色、紺色、月草色、青色、翡翠色、萌木色、赤色、紅色、黄土色、黄色――景色を埋めるのは、様々な色彩あふれる光だった。
地上に舞い降りたオーロラと言っても過言ではない。ただ一点違うとするならば、オーロラはカーテンのようにはためき色彩を変えていくが、それに対して、勇輝の目の前に広がる光景は、土や木々などの物体に重なり、明滅こそすれども色自体は変化しない。
「――あぁ、見える」
さっきまでの頭痛が嘘のように和らいでいる。代わりに得たのは、見えないはずの暗闇に広がる「極彩色の世界」。
日の当たらぬ木々や草は暗緑色。近くで燃える篝火は肉眼で見るよりも濃い赤色。道となる土は黄色。転がる槍は金と銀。魔術師のマントは青色。突き刺さった矢の先は黄と紫。そして黒色にもかかわらず、黒い光と認識するものは――
「そうか、お前か!」
そのただ一つ浮かぶ光を確認した後、まずは宙より降る三条の紫と黄色の閃光を手に持った棒で叩き落とす。リシアの頭部や喉を狙った矢は直前で、方向を変えて地面に転がった。小石が弾き飛ばされ、小さな音と土煙を上げる。
「――――ッ!」
自分が狙われていることに気付いたのだろう。リシアは、そのまま後ずさる。
だが、反撃をするべきなのか、ウッドを治療するべきなのかに迷っているようで、何度も正面とウッドを交互に見つめていた。
彼女が混乱していた大きな原因の一つは、勇輝の豹変であることは間違いない。
勇輝の変化は、先ほどまでの雰囲気だけではない。そもそも飛んでくる矢を叩き落すという行為は、ウッドこそ当たり前のようにやっていたが、暗闇の中で行うにはかなりの練度と集中力が必要とされる。実際にウッドは掠り傷とはいえ、完全に防ぎきることができなかった。
そんなリシアの動揺を知ってか知らずか、勇輝は前に走る。ゴブリンが油断していたのかどうかはわからないが、意外とその距離は短く、五十メートルも開いていなかった。棒を持っていたとしても七、八秒あれば十分接近できる。
それまでに射ることができるのは先ほどのような連続の射方だと、矢筒から矢を取り出す動作で二回。単発ならば、指に挟んだ矢の数で最大四回だろうと、適当な計算を頭の片隅で考えつつ勇輝は疾走した。
「ギヒィッ!」
耳障りな声が聞こえる。そう知覚した瞬間、ゴブリンの手元から閃光が迸った。
だが、それは外れるとわかっている。
もう一度、ゴブリンから閃光が襲ってくるが、それも避けられる。
顔を右に逸らすことで矢は後方の地面に突き刺さった。距離が近くなれば、その分だけ当てやすくなり、同時に避けるまでの時間が短くなる。
「ふっ!」
さらに二、三度と射掛けられる矢は、しかし、勇輝の身に触れることはない。その攻撃が近付かれて当てやすくなっているはずなのにもかかわらず、だ。
矢じりには毒があり、掠っただけでも成人男性を動かなくさせるだけのものが使われていた。腹部などに命中すれば数秒立たずに昏倒するだろう。十発も喰らえば、それで内蔵の動きが止まることも考えられる。
故に相手が近付くにつれて、胸や胴を狙うことで確実に当てられるようにと、ゴブリンは考えたのかもしれない。普通ならば接近に慌てて一撃で仕留めようと、頭のような急所を狙うことが多いこの場面で、歴戦の兵のようにゴブリンは確実に当てることを優先したようだが、それすらも躱しきった。
流石のゴブリンも勇輝の異常性に気付いたのだろう。逃走を図ろうと踵を返す姿を勇輝は捉えた。
だが、悲しいかな。その逃走の判断は、あまりにも遅すぎた。
「ギィッ!?」
勇輝の振りかぶった棒は、ゴブリンの後ろから脳天に直撃する。ゴブリンの足はもつれ、数歩前に進んだ後、手で庇うこともなく顔面から倒れこむ。脳震盪を起こしたのか、何とか体を動かそうとする気配はあるが、生まれたての小鹿にも劣る弱弱しさだった。
その様子を見て手を止めるほど勇輝も甘くなかった。ましてや闇討ちに毒仕込みをしていた相手だ。どのような残虐行為をするのかをジョージから聞かされていた勇輝は、折れた棒を投げ捨ててためらうことなく、その頭を――
「うおおおおおらぁ!」
――蹴る、潰す、蹴る、蹴る、潰す、潰す、潰す、蹴る、潰す、蹴る、潰す、潰す、潰す、つぶす、ツブス、ツブス、ツブス、ツブス、ツブス、ツブス!
何度か繰り返し、上がった息とともに肩を揺らしながら、黒く濡れた地面を見下ろした。
「――――ははっ!」
思わず笑みがこぼれる。少なくとも、今、この場にいる人たちを守ることはできた。たった一体しか倒せなかったが、昼間よりも達成感がある。
周りを見渡して、忌々しい黒い光が見えないことを確認すると――勇輝は意識を手放した。
目を覚ますと、そこは見知らぬ天井でした――などということはなかった。
どうやらジョージの家で寝ていたようで、その天井には見覚えがあった。勇輝は体を起こそうとして、やけに体が重いことに気付く。重いのは自分の体ではなく、その上に誰かが乗っているかららしい。
何とかして重さを感じる腹部へと視線を向けると、そこには見覚えのある茶髪と三角帽子が見えた。
「んー、ぁー」
どうやら本格的にリシアは夢の世界に飛び立っているようだ。面白そうなので頬をつついてみようと思いながらも、勇輝はとまどった後に肩へ手を伸ばした――瞬間、悪寒が走った。
硬直した体の目の前を左から細長い棒状のものが通り過ぎて、目の前で止まる。それが壁に刺さった矢であると認識するには、たっぷり三秒もの時間を要した。
ロボットのように首をきしませながら左側を向くと、どこかで見たことがある金髪の女性が立っている。すぐさま、冒険者組の弓使い――レナと呼ばれていた人物――であることを思い出した。
「どーも、おはようございます。ご気分はいかがですか? ド変態」
どうやら、勇輝は変態と彼女に認識されてしまったらしい。ここで違うと自己主張しないのはヘタレなのか、日本人の性なのか、はたまた自分の頭のねじがぶっ飛んでるのか。
とにかく、勇輝は彼女に話しかけることにした。
「お、おはようございます。体調はいいですが、その矢はしまっていただけませんか? えーと、レナさん?」
「ド変態に名前で呼ばれる筋合いはない。だけど、とりあえず体調面で問題がないのはいいこと」
レナは淡々と機械のようにしゃべる。そして変態と言いながらも構えを解いてくれる程度には、常識人のようだった。尤も、既に矢を放っている時点で常識人かどうかも疑わしいのは、この際置いておく。
そのままレナはリシアの横まで歩いてきて言った。
「リシアから聞いた。二人を助けてくれてありがとう」
その言葉に抑揚はないが、少なくとも、本当に感謝しているような温かみが感じられた。急なお礼に――しかも、美人から――勇輝は返答に困るが、数秒おいて何とか言葉を紡ぎ出す。
「いえ、俺も二人に助けられた身です。お互い様ってことで――――こちらこそ、ありがとうございます」
「まぁ、あなたがド変態であることに変更はないけど」
(なんだろう、すごい複雑な気分になってきたぞ……)
とにもかくにも、この現状を何とかしなければならない。
そんな状況に勇輝は苦笑いを浮かべることしかできずにいた。ようやく動き始めた頭は、そもそもド変態と言われる原因となった目の前の女性をどうにかすることが先決だと気付く。
もし他の人がこの現場を見れば、さらに大きな誤解を生むことは間違いない。
「じゃあ、そのド変態の魔の手からお仲間を救うべく、リシアさんを動かしてはいただけませんでしょうか?」
「ん、わかった」
心の中でジャンピング土下座をする気持ちに一分ほどの皮肉を込めて、勇輝はレナにお願いした。
レナは一瞬、リシアを見て動きを止めたが、歩み寄るとリシアの両脇から両手を差し込んで、どかすだけでなく、わざわざ足に持ち替えて引きずる形で部屋を出て行く。
階段の方から、間隔を置いてゴスゴスと鈍い音が定期的に聞こえてきたのは気のせいだと思いたい。後半では抗議の悲鳴が聞こえたような気もするが、多分、空耳だろう。
ベッドから起き上がり椅子代わりに座り込んで、肩や手足の様子を見ていく。肩をまわしたり、膝や肘を曲げ伸ばしするが、目立った怪我はないようだった。
一通り確認して背伸びをした後、二人に遅れて階段を下りる。すると、そこにはジョージ夫妻と冒険者四人が集まっていた。
「おう、目を覚ましたか! よかったよかった!」
相変わらず大きな声で笑うジョージ。寝起きの頭に響く声だ。
それよりも気になるのは、ここに冒険者たち四人がそろっていること。その中でもひときわ目立つのがウッドだ。さっきからニヤニヤと何か言いたげに勇輝を見ている。
「よう、坊主。昨夜はお楽しみで――――げっほぅ!?」
「そういった下劣な冗談を言うな。アホ」
ウッドの腹に裏拳をぶち当てる赤髪の冒険者。腹を抱えて蹲るウッド。そんなウッドを気にせずに赤髪の冒険者は立ち上がって、勇輝に向き直った。
「昨晩は俺の仲間が世話になった。パーティーを代表してお礼を言わせてくれ。ありがとう」
「いえ、こちらこそ二人に助けていただきました。ありがとうございます」
視線を交わした後、どちらからともなく固い握手を交わした。この男からもレナと同じような暖かさを感じさせる。
「そうだ、あの後のことなんだが……」
そう続けて口を開く。それは簡単ではあるが、勇輝が気絶した後にどうなったかの説明だった。
結論から言うと、無事に村と作物を守り通すことができたようだ。東側を守っていた人たちが少なからず怪我を負ったみたいだが、命に別状はないらしい。
これは一つのハッピーエンドの形としても捉えていいはずだ。既に朝日は登ってしまったが、勇輝の異世界生活一日目は、こうして幕を閉じたのだった。
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