消えぬ怒りⅢ
ユーキの瞳から目が離せなくなったクレアだったが、ユーキはすぐに踵を返す。
一先ずの所、争いは避けられた形になった。たかが一般人程度の問題で和の国が国際問題として扱う可能性は限りなく低い。
一つ懸念があるとすれば、ユーキとサクラが二人とも名字を持っていることだ。少なくとも、名字を持つ者は一定の階級であることが多いファンメル王国において、そう言った立場の者が国外にて迫害されれば、大なり小なり動くことがあり得る。
クレアがマリーから聞いている情報は少なく、サクラは両親或いは祖父母の代に没落したという話を聞いている。こちらの場合、コトノハ家からの抗議があっても国が動くことはないだろう。
問題はユーキの方である。ウチモリという名の貴族は少なくとも、クレアは聞いたことがない。故に可能性としてはサクラと同じ没落した家系。或いは武士や魔法を生業とする家系。そして、最後は神職にまつわる家系。この三つが考えられる。
その中で、クレアは一つだけ引っかかるものがあった。
「(まさか……ユーキが……? いや、あれだけの戦闘力があるとするなら、万が一という可能性も……)」
当然、ユーキはこの世界の人間ではないので、クレアの考えていることは杞憂に過ぎない。しかし、それを知っているのはユーキ本人のみである。
伯爵家の領地を守るために、ここに来てから色々と知識を叩き込まれ、今もこうして現場で領地の仕事をしながら学んでいるクレアにとっては後悔の念しかなかった。
まさか名前一つで国際問題かどうかを判断するとはおもっていなかったからだ。
「悪いがユーキ。店を出て右にある家の調査をサクラと頼んでいいか?」
「あぁ、ここは任せるよ」
振り返ったユーキをクレアはまじまじと見つめる。いつの間にかユーキの瞳はいつも通りに戻っていた。気のせいだと自分に言い聞かせたくなったクレアだったが、脳裏にはまだ、新月の晩のような暗い瞳がちらついていた。
「サクラ。行こうか」
「え? あ、うん」
コロコロと変わるユーキの表情や態度にサクラは唖然としながらも、促されて店の外へと出て行く。
歩きながらもユーキの顔を何度か見るが、驚くほどのその顔からは気迫が消えていた。隣の店に消えていく様子を見たフランとアイリスは顔を見合わせる。
「ユーキ、大丈夫かな?」
「一歩間違えば乱闘騒ぎでしたね。普段のユーキさんからは、ちょっと想像がつかない言動だったから驚きました」
見ていていつの間にか息がつまっていたのか、ため息をつきながらフランが呟いた。
消えていった方を見つめていると、老齢の騎士から声がかかる。
「嬢ちゃんたち。心配なのはわかるが、まずはやるべきことをやってからにしよう。早く終わらせて合流した方が安心だからな」
「そうですね。頑張りましょうか」
「その息だ。それじゃ、行こう」
ユーキがいなくなってやり場のない怒りを抱えたままだろう店主は、不満げな表情を浮かべながら騎士たちへと道を開ける。
その横を通り過ぎる瞬間、アイリスが僅かに杖をほんの少し上から下へ振る動作をしたことを、フランは見逃さなかった。
「うおっ!? なんだ!?」
店主の慌てる声に驚いてフランが後ろを向くと、胸のあたりから上がびしょ濡れになった店主が立っていた。まるで上から水でも振って来たかのように、天井を見て首を捻っている。
「――――ユーキに酷いこと言った。お返し」
「アイリスさん。そういうのはやってもただの自己満足ですよ」
「む、じゃあどうすればいい?」
「それは……頑張って話し合う、とか?」
店主から離れながら二人は声を潜めながら、騎士の後ろをついて行く。
幸いにも店主には聞こえなかったらしく。悪態をつきながら頭に着いた水を払う姿が目に入った。その後ろから投げかけられた無言の視線については、気付かないふりでやり過ごす。
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