渾沌、七竅に死なずⅤ
後ろを振り返ったフェイは、再び体勢を立て直した渾沌の姿を確認する。
まだ、ユーキたちの所までには川幅二十メートルを挟んで、更に三十メートルほど距離がある。最低でも岸まで走り、できるだけ近づいておきたいが、ほんの少し時間が足りない。渾沌が飛び掛かってきたとして、次も伯爵が上手く止められるとは限らないのが恐ろしく感じる。。
フェイは横目で伯爵の腕を見た。
「全力で何度もあの大剣を叩きつけていたんだ。平気そうに振舞っているが、握力ももう限界に近いかもしれない」
走っているからわからないが、実際に伯爵の手は震えていた。伯爵自身も、残りの振れる回数はそこまで多くないという自覚があった。正直、フェイがいなければどうなっていたかわからないほどだ。
渾沌の体が僅かに低くなる。
しかし、その体が前に出る前に、その顔面で炎が爆ぜた。
「フェイ! 今の内に走れ! 早く!」
城壁にいた騎士たちが槍の穂先を渾沌へ向けて、魔法を一斉に放つ。
一発一発はビクトリアやマリーに劣るものの、数十発もの魔法が正確に顔面へと突き刺さっていく。それでもなお、渾沌が止まったのは一秒に満たない。
即座に爆炎を突き破ってフェイへと肉薄する。
「くっ!?」
繰り出されたのは噛みつき攻撃ではなく、その太い足についた短い爪だった。凄まじい膂力から繰り出されたひっかき攻撃は、フェイの体に致命傷を負わせるには十分だ。
しかし、その一撃は肉を抉るどころか右肩から腰までを貫通していた。何人かが息を飲む音が聞こえたが、ユーキは焦ることなくガンドを撃つ準備をして待ち構えている。
「前に見た時と同じ残像――――幻か!」
フェイの背後には緑色の光が集まっている。それはフェイを取り巻いていた風の圧縮された塊だ。本来の場所から僅かに違う位置に本人は存在している。
よほど鍛錬したのだろう。風が均一に圧縮されているためか、幻は魔法で直接生み出したのではなく、光の屈折という自然現象で存在している。ユーキの魔眼でも、場所を誤認しかけてしまう程だった。
そのまま走り続けるフェイの幻に渾沌は、ついに牙を剥いた。
「そこね!」
その瞬間を待っていたとばかりに、ビクトリアが杖を向ける。
岩が突き出てその口の中へと飛び込んでいく。それだけではない。大小さまざまな岩の槍が罪人を取り押さえるかのように腕や首の周りへと突き出る。さらにその槍の表面からまた別の槍が飛び出て、さながら岩でできた茨のようでもあった。
口の中に入ってきた槍を噛み砕こうとする渾沌だが、更に口の奥へ入ろうとする槍に思わず口を開けてしまう。何とかして破壊しようと前脚が動くが、その前にウンディーネが動くのが先だった。
『不安定な足場では力も出せませんよね』
渾沌の後ろ脚が急に泥濘に変化した地面へと沈んでいき、破壊しようとした槍を支えにして、何とか姿勢を維持しようとする形になる。
「くらえ! あたしの全力攻撃!」
マリーの全力の魔力を込めた火球が放たれると、サクラやアイリスたちも同様に魔法を放っていく。
ユーキもまた、ガンドを撃ち放つ。魔眼には既に次のビジョンが見えていた。
崩れ落ちる岩の槍、僅かに開いた口の中に飛び込む数々の魔法。それを理解すると同時に現実となっていく。
ビクトリアの解除した岩の槍の狭間を、残っていた岩ごとマリーの火球が中へと押し込むと、次々に魔法が押し込まれ、最後にユーキのガンドが入りきらない魔力の塊を押し込むように飛び込んだ。
「――――おい、どうなってるんだ? 魔法を呑み込んでから、あいつ動かないぞ?」
「もしかして、無傷?」
マリーとアイリスが不安げな声を上げる。
ユーキはその間にも魔眼で渾沌を見ていたが、その色は目まぐるしく変化していた。
黒は茶に、赤は鮮やかな真紅に染まり、渦を巻いている。やがて、真紅の光が体の中心に集まり始めると振動しながら小さな球体になり、光度を上げて行く。
「まずい……弾けるぞ!」
ユーキが叫ぶと同時に、全員が一斉に残った魔力で身体強化をした上で、魔力障壁を展開する。
遅れて、轟音と共に大きな火柱が上がり、空の雲を突き抜けていった。
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