詰め込み作業Ⅲ
ほとんど読み流しているかのような速度で、本へと向かうユーキを見て、オースティンはここ十数時間の出来事を思い出す。
王都からの緊急の伝令を受けて、文字通り飛び出していったため、領内のあれやこれやを代行することとなったオースティン。魔物だけでなく、隣国の蓮華帝国の侵略にも備えなければならないのだが、最強の騎士にして領主のアレックス・ド・ローレンスは王都へ出向いている。
ここで元宮廷魔術師であるビクトリアまでいなくなったことが伝われば、間違いなく蓮華帝国は何らかのアクションを起こすだろう。
ただ両名の逸話が凄すぎるため、単純に侵略してくることがないことは救いだ。もし、そんなことをすれば、あの二人のことだ。間違いなく国が消えかねない。
オースティンは一人で苦笑いを浮かべながら、隣国の宰相を気の毒に思う。ここを奪うとなれば生半可な策では通用しない。落とすことはできても奪い返されるのが関の山だ。
そうとはいえ、いくら領主が有能でも間諜の類を全て防ぐことは難しい。何らかの形でこちらに不利益な行動を起こすことが予想される。
「ちょっと出てくるから、帰ってくるまでよろしくね! 兵とかその他諸々のことは、全部お願いするわ!」
そう告げた昨夜、笑顔で飛び出していったビクトリアだったが、ここ数年で見たことがないほどの焦り具合だったのをオースティンは見逃さなかった。
それでも何かあってはいけないと、即座に兵を招集し、あらかじめマークしていた間諜を一斉検挙。幸運にもビクトリアの帰宅は思いのほか早く、他国からのちょっかいに関しては杞憂に終わることとなった。
おまけに間諜たちも寝耳に水だったらしく、何か指令を受けていたわけではないので相当焦ったのだろう。聞いてもいないことまで話してくれたのは収穫だった。
問題は目の前の少年である。意外にも早い帰還かと思いきや、帰ってくるなり彼の世話を頼まれる。
ビクトリア曰く「この子、相当な修羅場を潜ったみたいよ。壊してしまうには惜しい存在だわ」と自ら部屋の用意までし始める始末だ。屋敷中が大騒ぎになったのは言うまでもない。
半分はビクトリア自身がせっせとベッドなどを魔法で運んだりしている様子を見て、普段しないことをしているとは一体何事か、というちょっと失礼な声。
もう半分は、ついにクレア様の婿を他国から攫ってきてしまったか、という大分失礼な声だった。
「オースティンさん。どうかされましたか?」
「いえ、ちょっと奥様がお帰りになった時の皆さんの反応を思い出してしまいましてね」
ユーキと本から目線を話さずメリッサが話し掛ける。
どうやら眉間に皺が寄っていたらしい。元々、ビクトリアが小さい頃から仕えていた身だ。最近の若いメイドたちのビクトリアに対する敬意が、今一つ感じられないというのは、屋敷の一切を取り仕切る執事長として非常に不満ではあった。
一度、不満を打ち明けてみたことがあるが、その際には一笑に付されてしまった。その為、よほどのことがない限りは口を出さないようにしているが、顔に出てしまう癖は抜けないようだ。
「『心と体の流れる時間が違う』とお聞きしましたが、未だに私には実感がわきません」
オースティンの心情を察してか、メリッサは話題を切り替えた。
彼女が若くして、ビクトリアの信頼を得て、傍で世話をしているのは、人の心の機微を敏感に察知するからだろう。
「そうですね。死線を潜り抜ける瞬間、時が止まったかのような感覚になるなどと言いますが、それではないでしょうか」
「なるほど。興味深いですね。常に世界がゆっくりに見えるなら、戦闘の時にはとても便利そうです」
頷きながらメリッサは本のページを捲る。ユーキがページの右下か左下を見ると、その部分が視線に反応して赤く光るようだ。会話をしているようで、光が灯った瞬間にメリッサの魔法でページが瞬時に捲られる。
「そうでもありませんよ。実際、彼のように肉体を動かす感覚がついて行かなくなった結果、体を動かす力加減がわからなくなれば、それは重りと一緒です」
「それは面倒ですね。何事も多すぎ、少なすぎは良くない、と」
「まぁ、そういうことでしょう。それともう一つ。声を風の魔法で高速にして伝えないと上手く聞こえていないということは、我々の今の声は雑音にしかなっていない可能性があります。ただでさえ、お客様のお世話中なのです。ここからは静かにしましょう」
わかりました、と言いかけて、メリッサは口を閉じて頷いた。
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