死の舞踏Ⅷ
白衣に身を包んだ若い女性が眠たそうな顔で扉の前に立っていた。しかし、翡翠色の目だけは鋭く光っている。金髪の髪をまとめ上げ、薄い口紅が魔法石の光に照らされて艶やかに煌めいていた。
ルーカスたちが近近付いてきたことに、彼女は気付いて眉を僅かに動かす。
「このような時間にどうしましたか? ただでさえゴルドーの件で大変な騒ぎですのに、この部屋を――」
ルーカスの魔法に抱えられたユーキの腕を見た瞬間、表情が変わる。ルーカスと違い、焦りよりは感心といったようにサクラたちには見えた。
「――把握しました。それならば、この部屋が最適ですね」
振り返ってリリアンは様々な幾何学模様が刻まれた白い扉を開く。重厚な音が響いて、見た目よりも重いことがわかる。
「さぁ、どうぞ。お入りください。少しばかり気分が悪くなるかもしれませんが、ご承知おきを」
「足元に気を付けるのじゃ。思ったよりも体が動かなくなるからの」
マリーが最初に勇んで入ると、途端につま先が石畳を擦り転んでしまう。
「うおっ!?」
「マリー! ――あっ!」
それを追いかけたサクラもそのマリーの背中に倒れこんでしまう。ただ一人、アイリスだけは何事もなく、二人の横まで来て屈みこんだ。
「軽度の魔力酔い。気を付ける」
「あぁ、道理で体が上手く言うことを聞かないわけだ。オドを意識して活性化させないと、マナが感覚を狂わせてきやがる」
息を一気に吐いて、マリーは立ち上がる。その腰にサクラも抱き着きながら立つことができた。
「なるほど、優秀な生徒さんたちですね。もう慣れるとは」
「あぁ、どの子も素晴らしい才能の持ち主じゃよ」
そう会話をしながらルーカスは中央のベッドにユーキを寝かせる。様々な幾何学模様が床、天井、壁を走っている。それは時折、砂に混じる砂金のように不規則に輝いていた。
「ルーカス先生。ユーキは、どんな状態?」
アイリスが横たわるユーキの傍でルーカスを見上げて問う。ルーカスは微笑みこそするが、慎重に言葉を選ぼうとしているのが見て取れる。
「一度に魔力を放出しすぎたことで、体内の魔力の流れが乱れているのじゃ。普通の魔法使いになら起こらぬが、彼はまだ初心者。飛ぶことを覚え始めた鳥がいきなり嵐の中に放り込まれたかの如く、彼の体は魔力をどのように流せばいいのかわからなくなっておる。普通ならば、そう説明するのだが――」
「もっとはっきり言ったらどうですか。魔力を通す架空神経が流入する魔力に耐え切れず、現実の肉体がボロボロになるって」
「――リリアン……!」
――肉体がボロボロになる。
三人はその言葉が言葉以上の悲惨さを持っていることを感じ取った。そんな様子を見たリリアンは手を振った。
「あなたたちが思っているほどに深刻じゃありません。いわゆる酷くても筋断裂とか骨折で済むレベルの話です。乱れを正し、魔力が流れる架空神経の修復か、体が魔力の流れを覚えるまで流し続けてあげれば、どんなに重症でも数日から数週間の治療で肉体的な損傷も完治します。ほら、こんな感じに――」
ユーキの心臓付近に手を当てたリリアンは一瞬で手を引っ込める。熱湯と知らずに手を突っ込んだ人のような反応だった。驚く三人と厳しい顔つきのルーカスの目がリリアンに注がれる。
「儂が慌てた理由がわかるじゃろ?」
「はい。とんでもない患者を連れてきましたね。既に肉体損傷レベルに片足突っ込んでますよ。おまけに――」
白衣の中からポーションを取り出し、一気に煽る。それも試験管の一本や二本ではない。十本を立て続けに一気に飲み干した。普段から悪戯していて大抵のことには驚かないマリーすらも、その異常さに唖然となる。
「――何なんですか? 完全にオドの流れを掌握してるじゃないですか!」
「いいや、掌握してるのではなく、掌握させられているのじゃ。行使した魔法に」
もはや、二人の会話をサクラたちは理解できていなかった。焦燥感を表情に出すサクラとマリーだったが、アイリスだけが無表情で見つめている。
「なぁ、アイリス。あたしはさっぱりわからないんだけど、言ってることがわかるか?」
「普段、体に流れている魔力の状態じゃない。魔法を使うために魔力を流す状態になっている。そうですね? ルーカス先生」
アイリスの言葉にルーカスは頷いて、ユーキの腕を指差した。
「先ほど彼は右腕で魔法を行使したようだ。おそらく強力な威力にするために、普段行使する速さ以上で魔力を集めたのじゃろう。魔法を放った後も右腕に魔力が集まり続けるという異常な状態じゃ。先ほどの例にするならば、彼は嵐の中の突風に揉まれているのではなく、身を任せ、追い風として飛んでいる状態じゃな。だが、彼は減速の仕方を知らぬ。何とかして、この魔力の流れを停滞させて、体全体に行き届かせなければならぬ。――頼めるかの? リリアン」
「言われなくても、そのつもりです。久しぶりに私好みの患者が来たので、全力で行かせていただきます。ただし、今回は分が悪いですね。嵐の中に放り込まれた雛鳥は、もしかすると私の方かもしれません」
そう言って、近くの棚から試験管やフラスコを取り出して並べ始める。中には毒々しいまでの色を放つ液体もあり、とてもではないが飲みたいとは思えない。さらには泡立っているものもあって、思わずサクラは頬をひくつかせた。
「あ、あの、私にも手伝えることはありますか?」
サクラがリリアンにおずおずと尋ねた。
先ほど助けられたユーキを今度は助けたい。そんな気持ちから出た言葉だった。
しかし、リリアンは顔をしかめる。それはそうだ。普通、医療行為に素人を参加させるなどありえない。口を開こうとしたリリアンの横でルーカスが頷いた。
「彼女は彼の体に最初に魔力を通した子じゃ。ある意味、彼の通常の魔力の流れに触れている唯一の人物だろう」
そういうとルーカスはサクラだけに見えるようにウィンクをした。
口を開けたまま、その先の言葉を封じられたリリアンは長い溜息をついた後、さらに追加で試験管を並べる。そして、アイリスとマリーを指差した。
「あなたたちは助手の助手。彼女の体調を見て逐一報告すること。最悪、あなたたちにも同じことをやってもらうから、作業もよく見ていてください。尤も、肝心なのは見えないところなのですが」
続けてサクラの顔をリリアンはじっと見つめた。その獣のような目がサクラを射抜く。
「可能な限り、あなたが魔力を流した時のことを思い出しなさい。そして、あなたがその時に感じていた体温、呼吸、感触といったことも思い出しながらやれば、少しでも上手くいく確率が上がります。まずは私が魔力の流れを遅くします。そこからはあなたに交代するので――頑張ってくださいとしか言えませんね。準備はいいですか?」
「――ハイ」
緊張で渇いた喉からサクラの声が力強く言い放たれた。アイリスとマリーも頷く。
「なに、助けられた借りは返さないとな」
「友達を助けるのは、当然」
そんな三人をリリアンは見渡して、ルーカスに視線を向ける。ルーカスは申し訳なさそうに、口を開いた。
「すまぬ。儂はゴルドーの捕縛と調査を命じられておるので、ここを離れなければならない。リリアン、みんな、彼を頼んだぞ」
そう言って、ルーカスは足早に部屋を出ていった。扉が閉まったのを確認し、リリアンはユーキの傍へと近づく。
「現状を説明します。この部屋にはマナを満たしています。このおかげで、ある程度は魔力が暴走しても食い止められます。本来ならば、このマナをどかして放出させたいところですが、この魔力量だと何が起こるかわからないので、我々の安全を最優先にした上での施術です。しかし、いつまでも続けていると架空神経の容量が耐え切れなくなり、身体に影響が出始めます。現在第二段階――体内の発熱が起こっていますが、既に第三段階の身体損傷が起こり始めようとしているところです」
足、腹、胸、腕の数カ所を指し示しながら、状態を説明する。そして、右腕を指差してサクラに顔を向ける。
「私は物理的に体を冷やすと同時に、自身の魔力を流し込み、魔力の巡る速度を停滞させます。およそ、これが完了するまでに十五分。――いや、十分ほどかかります。私が合図をしたら、あなたは右腕に流れ込もうとする魔力の流れを正常と思われる形に誘導してください。因みに、火を灯す魔法の連続発動状態は授業で習っていますね? どれくらい続けられますか?」
「ろうそくくらいの大きさなら二時間以上はできると思います」
「それは授業でやってみての疲労感からの推測ですか?」
「はい」
よどみなく質問に答えたサクラに、リリアンは目を瞑る。何やら自問自答をするように呟いた後、目を開いた。
「魔力を流し続けるのは最大三十分までとします。ポーションで魔力を回復させつつ、休憩を挟んで何度も繰り返しますよ」
いくつかの試験管を台から取って、サクラに渡す。青色に輝くポーションが三本だ。
「あなたは交代の合図と一緒に飲んでください。効果が完全にでるまで五分はかかりますから。では、行きますよ」
ユーキの胸と腹にそれぞれ手を翳し、少しずつ近付けていく。指一本入るかどうかというところまで近付くと、数秒間動きが止まった。
「なるほど、猪突猛進という言葉が似合いそうな感じですね。それでは――力比べと行きましょうか!」
そう声を張り上げて、手をユーキの体に触れさせた。
外から見ると何も起こっていないように見えるが、リリアンだけがユーキの状態を腕から感じ取れる。
「――私の魔力を無いとでもいうかのような勢いですね。少しばかり自信がなくなりますが、慌てずに待ちましょうか」
リリアンの流し込む魔力は、荒れ狂うユーキの魔力に次々と飲み込まれていき、止めるどころか遅延にすらもなっていなかった。そんな状態が三十秒……一分……二分……三分と経過し、四分を過ぎたあたりで変化が起こった。
「右腕内部への蓄積を確認、ここから徐々に引き寄せる……!」
リリアンの行った方法は魔力の流れに逆らわず、魔力が一番多く流れる場所からゴール地点の右腕までに自分の魔力をつなげること。そこまで来たら、今度は魔力の流れをずらす。
それが上手く行けば、右腕に風船のように膨らんで収束していた魔力は、勢いが減った流入に対して逆に拡散を始める。
「拡散を確認、右腕内部に残った魔力の引き寄せで拡散を早めて、流れを一時的に止める」
リリアンは現状と作業手順を口にしながら、ユーキの顔色を逐一観察する。額には汗で髪が張り付き、荒い呼吸を繰り返していた。
リリアンの作業開始から八分後。心配して揺れるサクラの瞳にリリアンのゆっくりと顔を上げる姿が映った。そして、はっきりとサクラへ交代の合図が口から紡がれる。
「出番よ。さっさと、この濁流を清流に戻してあげなさい」
一息にポーションを飲み込んで、サクラはリリアンの両手の間に手を添えた。
深呼吸をして、ユーキの顔を見る。凍結魔法をかけられても、熱にうなされている様な状態にサクラは下唇を噛む。
数秒後、ユーキを見つめていたサクラは呟くと同時に、両手をユーキに押し付けた。
「今度は、私が助ける番だよ。ユーキさん!」
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