温泉Ⅴ
勇輝の手がおへその辺りまで伸び、そのまま優しく上下に動く。その度に桜の吐息が漏れ、抱き着くような形で洗っている勇輝の耳に染みこんだ来た。
すぐ顔の目の前にある黒髪はわずかに濡れて、月虹のような色を微かに浮かべる。仄かに鼻腔をくすぐる爽やかな匂いに、勇輝は頭の中が揺すられている感覚に陥ってしまった。もう、呪いで襲われるということすら考えも及ばず、全神経が目の前にいる桜の一挙手一投足に集中している。
「あ、勇輝さん。上は、杖先に気を付けて」
ゆっくりと手を上に挙げていくと、桜の左手が動く。それと同時に手拭いが一カ所鋭く盛り上がり、それに釣られて手拭いも浮き上がった。
どうやら、隠している杖が勇輝に当たりそうだと桜が持ち上げてくれたのだろう。勇輝は短く返事を返して、袋を握った右手を上へ上へと移動させていく。
「んっ」
不意に親指が柔らかな膨らみに触れた。腕や腹の柔らかさとはまた違うそれに、勇輝の鼓動が更に強くなる。一瞬のためらいの後、その手を上に這わせた瞬間、桜の肩が静かに跳ねた。
「ゆ、勇輝さん!」
「あ、悪い。やっぱり、嫌だったか? それとも痛かった――――」
勇輝が慌てて手を放すと、桜が勢いよく振り返った。目が潤み、頬は上気しているようにも見える。その表情に何度目ともわからない胸の鼓動を感じてしまっていた。あまりにも心臓が胸を叩くので、触れている桜にも音が聞こえてしまうのではないかとさえ思えて来る。
口のわずかな隙間から、桜に気付かれないように大きく深呼吸をしていると桜が口を開いた。
「も、もーさんから連絡が来たんだけど、村の人が何人か温泉に入ろうとしてるみたい」
「え゛っ!?」
どうもこの宿は、宿泊施設としてだけでなく、銭湯としての役割もあるらしい。名簿に名前を書いて金を払えば、誰でも入浴が可能なのだとか。
「(そう言えば、宿泊名簿の隣に別の本があったな――――って、そんな場合じゃない!)」
呑気に納得しかけていた勇輝だが、すぐに桜の腕を取って立ち上がらせる。
「桜の体を他の男に見せたくない。とりあえず、今は上がろう!」
「う、うん」
戸惑いながらも二人で入口の方へと早足で向かう。
すると、戸の向こうから別の引き戸が開けられる音と共に、数人の声がそれぞれの部屋から響いて来た。
「じゃあ、出たところで待ってるから」
勇輝は桜を戸まで送り届けると、片手を挙げて戸に手をかける。桜が少しだけ眉尻を下げて肩を落としながらも、同じように手を振り返してくれた。
脱衣所への戸を開けて中へと入ると、三人ばかりの老齢の方々が入ってきているところだった。老齢とは言ってもガタイは良く、何か力仕事をしているのだと察することができる。
「(お爺さんとは言え、桜の裸体を見せるのは気が引けるな)」
こちらの世界での常識はどうかわからないが、少なくとも、海京の銭湯では男女別に分かれていた。その為、混浴が当たり前ではない勇輝の世界と同じ感覚でも間違いではないはずだ。仮にそうであったとしても、やはり同じ行動を取っていただろうと勇輝は自信をもって言える。
束の間の息抜きの時間が、唐突な緊張の時間に早変わり。そうかと思えば、落胆へと転じてしまったことにどっと疲れが押し寄せていく。
大きなため息をついていると、隣にいた爺様から声がかかった。
「おう、若いの。そんな若い内からため息なんてしてると、浦島の太郎になっちまうぞ」
「はっはっはっ、口が玉手箱になるってか?」
二人の老人は手拭いを片手に温泉へと続く戸へ向かっていく。
その中でただ一人だけ、勇輝の隣で着替えていた老人が通り過ぎ様に小さく呟いた。
「悪いことは言わん。余所者は巻き込まれる前に逃げなされ」
「え?」
勇輝は驚いて振り返るが、老人は既に通り過ぎていた。勇輝はその背中に声をかけようとするも、なかなか声が出てこない。恐らく、「声をかけても彼は何も答えてはくれないだろう」と思っていたからだ。
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