非才は時に才と成るⅤ
翌日、ユーキの目の前には一人の老人が座っていた。
冒険者ギルドにて魔眼を診察した人物で、名をルーカス・フォーサイス。その正体は王立ファンメル魔法学園の学園長にして、魔術師ギルド長でもある。
ちょうど時間は正午を過ぎた頃で、空腹が気になる時間ではあるが、ユーキはそれどころではなかった。目の前の人物から感じるプレッシャーに冷や汗が頬を伝う。
目の前の老人は優し気な印象を受けるが、その二つの目だけは決して笑っていない。その目は岩の如く、揺らぎもせずにユーキを見つめていた。まるで取り調べ室の刑事のような印象をもったのも、あながち間違いではないだろう。何せユーキはこの学園長直々に取り調べを受けている真っ最中なのだから。
「――さて、説明をしてもらえるかね。いったい何が起こったのかのぅ?」
魔眼を見る時に輝かせていた少年のような面影は、そこにはない。覚悟を決めて乾いた唇を開き、ユーキは話し始めた。始まりは一時間ほど前、ちょっとした好奇心が招いた事件だった。
この世界でも暦の概念は同じのようで、一年が三百六十五日、十二の月に一週間は七日、月曜日に始まり日曜日に終わる。
今日は、泉で気絶した翌日で月曜日だ。元の世界で言うならば七月中旬、日本ではこれから本格的に暑くなってくる。王都も例に漏れず若干の気温の上昇がみられ、店頭に果物を氷漬けにした商品が並び、涼をとりながら食べる人が出始めていた。
ユーキが不思議に思うのは、いくら魔法での氷結が可能とは言え、こちらとユーキの世界での食文化に――少なくとも日本で見るものと――違いが少ないことだ。
店員曰く、「食に関してはちょっとばかりこだわる国があるから、そこから流れて来る調理法を学んでいる」という。
「……かき氷くらいはあると思ったけど、それは売ってないのか」
そんな疑問も含めて、少しずつファンメル王国や周辺の国について学んでいるユーキだったが、相変わらず地道にお金とギルドへの貢献度を稼ぐため、魔法学園に薬草採取に来ていた。
現在の総資産は約金貨一枚。これでは生きていくのに心もとない。
この世界の一年がどのように変化していくかわからない以上、お金があるに越したことはないだろう。最悪、冬が来て薬草採取ができずに三か月ほど収入なしで過ごすことも考えなければいけないのだ。キリギリスのような甘えた考えはせず、薬草・毒草を刈り取る作業に励む。
八時から作業をはじめ、五十分の作業と十分の休憩を三度繰り返した。以前よりも作業する時間が伸びたことと採取作業に慣れたことにより効率もよくなっている。新たに購入した大きめの革袋の中には金額に換算すると、およそ四万円以上の薬草が納まっていた。
ギルドに換金しに行って昼ご飯を食べようと思うが、まだ腹は減っていない。そんなユーキは人差し指を天に向けた。
「『――火よ灯れ』」
発火の魔法は成功するが、ユーキの頭の中に疑問が浮かぶ。せっかく、魔法を使えるようになった身としては、初めて魔法を発動させようとした時から考えていた疑問があった。
(なぜ、オドのみでは魔法が発動しないんだ?)
一度手を振って、火を消した後、魔眼を発動する。指に魔力を集中させて発動させるが、失敗する。指先から出た瞬間に、無色の対流――これがマナなのかもしれない――に混じって拡散してしまう。
「だったら、これでどうだっ!」
次は詠唱せず、指先に魔力を溜めるイメージをする。魔眼を通して、指先に鮮やかな青色の球体が形成されるのが見えた。しかし、同時に体外にあるためか無色の対流も巻き込んでしまう。徐々に光が強くなり、魔法は発動しそうな雰囲気を纏っている。それでも詠唱して炎が生まれない以上、失敗であることには変わりない。
ユーキは何気なく、そのまま指を上に振り払ってしまった。
下から上に振り上げた瞬間、指先の球体は重力を感じさせずに真上へと飛んでいく。重力や空気摩擦を一切無視した等速直線運動は、そのまま空へとシャボン玉のように消えていくかに思われた。魔法学園の最も高い塔を超えて、城の上空に辿り着くまでおよそ十秒を超えて、さらに数秒。ユーキは荷物を片付けて、既に門へと向けて歩き始めていた。
そんなユーキの真上で薄氷が割れるような乾いた音が鳴ったような気がした。
――――ゴーン、ゴーン、ゴーン……
今まで聞いたことのない学園の鐘が響き渡る。次いで、女性の声が球場アナウンスのように木霊した。
その声には若干の焦りが感じられ、早口気味に聞こえてくるのが、より緊迫感を煽る。
『ただいま、学園の結界に内部からの攻撃が確認されました。生徒は、近くの教員の指示に従い、屋外にいる者は屋内に避難してください。上空および地上をガーゴイルが巡回します。落ち着いて、誘導に従ってください。繰り返し連絡します――』
天空を見上げ、呆然とするユーキ。数秒遅れて、現実に思考が追いついた。
(もしかして、とんでもないことをしでかした!?)
状況確認。
Q.ここはどこ?
A.大国の首都にあるすごいでかい魔法学園。
Q.その学園の結界を破壊したかもしれない。責任はどうとる?
A.莫大な賠償金または司法制度によっては死刑の可能性。
Q.つまり、現状は?
A.ヤバイ!
そんな自問自答をしていると上空から黒い影が舞い降りた。黒く滑らかだが、硬質的な肌を感じさせる悪魔のような風貌をした存在。すなわち、ガーゴイルだった。
「ソコノオマエ、アヤシイ、ツイテクル」
いつも入り口で会うガーゴイルとは違う個体のようで、オマエ呼ばわりされてしまう。下手に逆らうと、その鋭い牙や爪で正当防衛で攻撃されてしまいそうなので、ユーキは大人しく従うことにした。
「ジットシテロ、学園長ノトコロニ、ハコブ」
後ろから羽交い絞めにされた瞬間、足が地面から離れる。ゴツゴツとした腕に抱かれ、ユーキは今日、生まれて初めての空の旅を経験した。
(飛行機にも乗ったことのない俺の初飛行が、筋肉ムキムキの悪魔の石像に抱かれてかよ……)
さっきまでの思考はどこへやら。黄昏ながら宙に足をぶらぶらさせて、悲しみに包まれながら一番高い塔に連れていかれるのだった。
ここまでに至る過程をユーキから聞き、ルーカスはため息をついた。
「――つまり、収束させて用意した魔力が霧散して消える前に放ってしまった、と。また随分と初歩的なミスを……」
顎から伸びる白髭を撫でながら、長いこと呻く。
若干、プレッシャーが弱まり、ユーキは少しだけ息がしやすくなった。椅子の背もたれに体重を預けると、部屋の隅にいるガーゴイルが睨んできた気がするが、気のせいということにしておく。
魔眼のことは話さずに、オドとマナのそれぞれ単体や混ぜる比率について考えて行った結果ということで話を誤魔化した。嘘ではないので、完璧に心を読まれなければ、隠し通す自信はある。
そんなユーキの考えを知ってか知らずか、ルーカスは身を乗り出して話し始めた。
「よく覚えておきなさい。君の使ったそれは『ガンド』と呼ばれるものじゃ。指を差して相手に魔力を流し込み、体調を崩させる一種の呪い。体の中に自分のものとは異なる攻撃性のある魔力が入ってきて、それを追い出そうとする結果、本来は発熱や頭痛、あるいは被弾した場所の鈍痛を訴える程度なのじゃが――」
ユーキの目を覗き込むようにして話を続ける。ルーカスはその間も目をそらさずにユーキを見つめていた。
「――君の放ったのは少々、特殊なガンドでな。即座に物理的被害を加えるレベルのものだったのじゃろう。一部の魔法使いの間では、この威力をもつ類のガンドを『死の一撃』と呼んでおる。不可視の魔力の弾丸は暗殺者の一撃に等しいからの。そう呼ばれるのも無理はあるまい」
ルーカスの視線が一瞬険しくなり、再びユーキは息を詰まらせる。そんな狼狽えるユーキを見て、ルーカスは優しく微笑んで両手を広げた。
「実に見事! 我が学園の生徒ではないが、その探求心と才能は目を見張るものがある。いったい、どこの誰に師事をしたのかね?」
ユーキにとって痛いところを突かれた。まだ、自分だけの責任になるならいい。しかし、サクラを巻き込むのならば話は別だ。このルーカスという老人も優しく、人の良い見た目をしているが、一匹どころか団体で猫を被っていそうだ。
返答に困っていると、校長室の扉を誰かがノックした。ルーカスは片方の眉を動かし、ユーキから視線を外す。
「ふむ、入ってもよいぞ」
片手に口を当てて、その場から声をかける。ユーキはこの状況で振り返るわけにはいかないので、ルーカスの方を見ていた。
「おや、生徒は出歩かないように指示が出ていたはずじゃが……」
「すいません。少し確かめたいことがありまして」
ユーキは背後から聞こえて来たサクラの声に心臓が口から飛び出そうになった。それでも、無表情を貫くことには成功して、目を動かさないようにする。
ルーカスは不思議そうに首を傾げた。そのまま、数秒硬直した後、拍手をする。
一体、どのような方法を使ったのか。椅子が部屋の隅からカーリングよろしく床を滑ってきた。息の上がったサクラを手招きして隣の席に座らせると、ルーカスは彼女の呼吸の乱れが治まるまで待った。
三十秒ほどすると、サクラも落ち着いた。肩の動きも見られなくなり、ルーカスの方に一度頭を下げて話し始める。
「その、知り合いがガーゴイルで運ばれていたのを見た気がしたので……」
「おかしいですね。ここに運ばれて来たのは、俺だけのようですよ?」
即座にユーキはサクラの話に割り込む。ここで黙っていたら、サクラの発言からユーキとの関係性は自ずとわかってしまうからだ。
一瞬、サクラは何を言っているのかわからない、という顔をした。だが、その状況をルーカスは的確に見抜いていたらしい。恐らくはサクラが扉をくぐった時から。
そして、ユーキの言葉に対するサクラの表情を見て、ルーカスは確信を抱いたようだった。
「なるほど、ミス・コトノハが君の師匠かね」
その言葉を聞いた瞬間、ユーキの視線が鋭くなる。
同時に体の中が急に熱を帯び始めた。最近、火を灯す魔法のおかげで何となく感じていたが、恐らくは魔力が全身にたぎると表現するのが近いだろうか。
ユーキは、こうも簡単に激昂したことはあっただろうか、と冷静に自分自身を分析する自分がいることに気が付く。そのような中、頭の中で撃鉄が上がるような音が響いた気がした。まるで、「いつでも放つ準備はできている」とでも言わんばかりに。
自分のせいとはいえ、今回の事件にサクラを巻き込むのは許せないという考えもあったのだろう。後になって考えれば魔法使いの長を務める人間が、数日、魔法を学んだだけの人間に魔法で負けるわけがない。その余りにも滑稽な威嚇をルーカスは飄々と受け流し、ユーキへ手をかざした。
「安心するがいい、少年よ。特段、君にも彼女にも責任を負わせるつもりは儂にはない」
まるで心を読んだかの如く、ルーカスは宥めるように告げた。
ユーキは自分の考えがバレていたことに驚くと同時に恥ずかしくなった。途端に、自分の中にあった大きな感情が急速に萎んでいくのを感じる。同時にふと疑問が浮かんできた。
――そもそも、何故、自分はここまで怒り、彼女を守ろうとしたのか。
いくら助けてくれたとはいえ、出会って数日の人間にそこまでするほど自分は他人想いの人間ではなかったはずだ。言い換えれば、そこまでの常識知らず。或いは、社会性のない人間ではない。
混乱の最中にいるユーキに、ルーカスはさらに言葉を続けた。
「若気の至りとはいえ、血気盛んなのは玉に瑕と言えなくもないが、ミス・コトノハを想っての行動ならばわからなくはない。察するに彼女まで同罪とされることを防ごうとした、といったところじゃろうか。先程も言ったが、この件は君の好奇心・探求心に従って起きた事故じゃ。運良く人的被害もない。この程度なんぞ、被害の内にも入らんよ」
指をパチンッと鳴らして、嬉しそうにユーキとサクラを見る。音が鳴ったと同時に見えない何かがルーカスから発せられたのがわかった。
「ほら、すべて元通りじゃ。大丈夫、我が学園のモットーは『探求心こそが人を育てる』じゃ。それに従った人物になぜ罰を与えねばならん? 安心して、戻るがいい。いや、待て。どうせなら、この学園に入って学ぶのはどうじゃ?」
捲し立てるように問いかけるルーカスに、ユーキは頭を下げた。
「天涯孤独の身で、生活するのが精一杯です。今回の魔法も休憩していた合間に行ったこと。本格的に学ぶにも中途半端になってしまい教員の方々にも失礼になってしまいます。何より結界の損壊という罪を犯した自分が罰を受けることはあっても、そのような待遇を受けるわけには行きません。申し訳ありませんが、その申し出はお断りさせていただきます」
述べたことは嘘偽りのない事実だ。今は生活を安定させることの方が優先、それに元の世界へと戻る方法も探さなければいけない。もちろん、探す方法として魔法も含まれるので、いずれは習得したいが、それには下準備が少なすぎた。
そして、もう一つ。このルーカスという学園長のことを信用できない部分もある。不注意とはいえ、ここまでの大事になったのにもかかわらず、その原因を招こうとするのには裏があるように感じる。
再びユーキは頭を下げる。何より、最大の原因である己の不始末の責任を取らないまま許されるのは納得がいかない。そのまま、視線は下にして、ルーカスへと言葉を述べた。
「今回、学園内をお騒がせして申し訳ありませんでした。しばらくの間、学園には入らないようにしたいと思います」
しばらくして、ゆっくりと顔を上げたユーキをルーカスは残念そうに見つめた。果たして、残念がったのは学園に入らないことなのか、罰しないと言っているのに自ら罰を望む姿か。
「――和の国の人間は、みんなこうなのかね?」
どうやら後者のようで、同意を求められたサクラも苦笑いしていた。
「はい、責任感があるといえば、聞こえはいいかもしれませんが……」
髭を撫でながら、ルーカスは部屋を見渡して唸る。視線が一周した時、手を叩いて言い放った。
「ならばこうしよう。学園の中に毒草が増えすぎて、虫や動物が寄り付かなくなってしまったところがある。明日から三日間をそこで活動してもらいたいのじゃが、どうかな?」
ルーカスの言葉を言い換えるならば「草むしりという罰則の名のもと、毒草を集めてギルドに持っていけばいい。どちらにも有益だろう」という内容にも受け取れる。
恐らく、ルーカスが考える最大限の譲歩なのだろう。流石にこれを蹴るわけにはいかないので、ユーキは一拍おいて、ゆっくりと頷いた。
「わかりました。誠心誠意、毒草駆除に努めます」
ルーカスは満足気に頷いて、サクラにユーキを駆除場所を教えるように頼んだ。どうやら、午後は休校らしく、既に外には警戒を解除された生徒たちが昼ご飯を求めて移動する声が、塔の上まで響いてくる。
サクラに後を追い、部屋から出ていくユーキにルーカスは声をかけた。
「君の扱う魔法。その扱い方には十分留意するように。ただし、『必要と思ったなら迷うことなく使いなさい』。いいね?」
ユーキは何も言わず、頭を下げて退室した。
ルーカスは、それを見届けて、背もたれに体重をかける。ゆっくりと立てた指の先に炎を灯した。
「発火の魔法の練習で死の一撃か。その程度の術式や魔力量で城の結界が破損するレベルの物理的威力を持たせるなどありえない話なのじゃが……」
瞼を閉じて、ユーキの言葉をルーカスは呟いた。
――――オドとマナの比率。オドのみで魔法は失敗した。
ユーキはそう証言した。
ルーカスに言わせればおかしな話だ。効率の問題でオドだろうがマナだろうが魔力は魔力。オドのみでも魔法は使えるのだから。
しばし、彼は思考の海に沈むことになる。なぜなら彼もまた、探求心を持ち続ける魔法使いの一人だからだ。
【読者の皆様へのお願い】
・この作品が少しでも面白いと思った。
・続きが気になる!
・気に入った
以上のような感想をもっていただけたら、
後書きの下側にある〔☆☆☆☆☆〕を押して、評価をしていただけると作者が喜びます。
また、ブックマークの登録をしていただけると、次回からは既読部分に自動的に栞が挿入されて読み進めやすくなります。
今後とも、本作品をよろしくお願いいたします。




