器の偏りⅡ
「だめだー、何にもわかんねー」
マリーは十冊目になる本を本棚へと戻して、テーブルに突っ伏してしまう。その目の前に座るアイリスは僅かに顔を上げて、すぐに手元の本へと視線を戻した。その横にはマリーの読んだ本の厚さの軽く二倍はある本が何冊も並べられていた。当然、すべてを読んでいるわけではなく、流し読みをして重要そうなところだけをじっくり読み進めているようだ。
「吸血鬼の内容がダメなら、普通の人間の病気とかの本も探さないといけないかも……」
サクラも本から目を離すと目頭を押さえて揉み解す。サクラ自身の腹時計が何度も抗議をしてきていたが、自分からはなかなか言い出せる雰囲気ではない。アイリスに負けず劣らずの量の本を並べてサクラも読み込んでいたが、その成果は芳しくないようだ。
ユーキも古びた厚い本を四冊ほど読んでいたが、最後の一冊を閉じると両腕を上に伸ばして軽く体側を伸ばす。気付けば正午の時間を通り過ぎており、ユーキの時計の短針は一時を示していた。自然と欠伸が漏れて、予想以上に脳を酷使していたことを自覚する。運動の疲れと勉強の疲れは別物なのだと再確認しながら、本を抱えて立ち上がった。
「じゃあ、本を元に戻したら昼ご飯にでもしようか。今ならどこも空き始めてそうだしね」
「わかった。じゃあ私も本を片付けてくる」
「おっひるーおっひるー。おっひるごっはーん」
本と魔法と食べ物に目がないアイリスは、許される限りのスピードで本を元に戻していく。背が低いにもかかわらず、手慣れた様子で高い棚へ戻していく姿は妖精のように軽やかだった。
既に本棚に戻し終えたマリーは体をテーブルに預けたまま、その姿を見つめている。やわらかい頬がテーブルに潰されて、口はまるで蛸のようになっていた。
「もうこんなに調べてもないんだったら、禁書庫くらいにしかないんじゃないの?」
「まだ、調べてないのはたくさんあるんだから、泣き言は言わないの」
「ちょっとくらい禁書庫開けてくれたっていいじゃん。後で外からだけもいいから見てみようぜ」
「わふっ!」
いつの間にか回廊から首だけを出したベロが、マリーへと注意するかのように吠えたてる。
その姿と声にマリーは苦笑いして手を振った。
「冗談だよ、冗談。そんなことするのは、うちの姉さんだけで十分だぜ」
ベロは一瞬考えこむように首をひねると、そのまま何度か振るって本棚の陰に消えていった。その様子を見たユーキはベロの後ろ姿を見送りながら疑問を呈した。
「なぁ、あの犬。本当に普通の犬か? 完全に言ってること理解してるんじゃないか?」
「魔法使いと契約した生物は知能や能力、寿命が向上するって、言われてるんだぜ。多分、司書さんの使い魔なんじゃないかな。少なくとも、姉さんが入学する前からはいるみたいだし」
「ふーん」
何気なく魔眼を開いたユーキはベロの姿を追った。
その後ろ姿は犬そのものなのに、立ち上る青白い輝きは天井にまで届かんとしていた。全身の毛穴から汗が噴き出て、足先から指先までの震えをユーキが知覚したとき、天井付近の光の塊がユーキの方へと蠢く。そのオーラが犬の顔をしていたと理解した時には、既に目の前にまで迫ってきていた。
「ユーキ、ごはんだよ」
「――――っ!? あ、ああ。今行く」
アイリスに引っ張られた衝撃でユーキの視界が元に戻る。先程まで感じていた悪寒もいつの間にか消え去っていた。それにも関わらず、ユーキの心臓は早鐘を打ち、今にでも張り裂けそうになっている。全力疾走した後のように、両膝へ両手をついて息を浅く、何度も吸い込んだ。不安げに顔を上げるとさっきまでいたベロの姿はどこかに消え去っていた。
「ユーキさん。どうしたの?」
「いや……何でもない。お腹が、空き過ぎて、背中とくっつきそうなんだ」
「あはは、それなら早く行かないとね」
アイリスを先頭にユーキたちはベロが返っていった道へと後を追うように歩み始めた。一瞬、戸惑いを覚えたユーキも三人の後ろへと着いていくが、そこにはもうベロの姿はなかった。左右を見回してみても本棚の陰に潜んでいるようには見えない。安心感からか長い息を吐くと共に心臓の音が収まっていく。
階段を下りるころにはユーキも白昼夢か何かの勘違いだろうと思うことにして歩き始めていた。その後ろを二匹の犬が階段の上から見下ろしているとも知らずに。
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