茨の鎖Ⅴ
ユーキの首も腕も足も、ひりつくような痛み以外は普段の感触と何一つ変わっていなかった。神経がマヒしているかのような錯覚に陥ったが、掌に爪を思いきり突き立てると感覚が正常なことがわかる。
フランの姿をした何かを背負っていることを意識したからか、一歩一歩が重く感じられ、喉がいつの間にか乾いていた。全身が心臓になったかのように拍動し、耳朶の先まで感覚が研ぎ澄まされたようだった。脈が巨人の足音となって駆け抜ける中で、ユーキの視線はいつの間にか下へ下へと落ちていく。
「――――き、――――き、――――ユーキ!」
「な、何だ?」
「足が止まってる。早く」
「あ、あぁ……」
思わず止まっていた足をアイリスの言葉で動かし始める。一歩進むごとにやはり触手はユーキの体へと真綿で絞殺しにかかるようにまとわりついてきた。暑さではなく、恐怖から浮かんだ汗がユーキの額を滑っていく。
先程とは真逆で、ユーキの足の速さは次第に早くなっていかざるを得なくなった。
「(やばい、魔力が持たない。魔力が尽きるまでにリリアンさんの所に間に合わなかったら、俺は――――)」
頭の中に過ぎった不安をかき消すかのように、歩調が速くなる。不思議そうな顔をするアイリスを追い抜いて、後ろに背負ったフランの容体など気にせずに駆け出した。医務室までたどり着けば何とかなるという希望が、ユーキの足を前に進ませる。
「(見えてきた。あと十メートル。――――五、いや、あと三、二、一!」
フランの足から片手を離して、扉を吹き飛ばす勢いで入ると駆け寄ってきたリリアンが、すぐにフランをユーキから引きはがした。
そのまま、お姫様抱っこでベッドまで運ぶとすぐにいくつかの薬品を並べ始める。いつか見た毒々しい色ではなく、仄かに緑色に光る薬品が並んでいた。
「久しぶりに見たと思ったら、急患ですか。おまけに最近話題になっていた少女とは、運がいいのか悪いのか。――――或いはあなたが疫病神なのか」
「失礼な。こっちは、友人を助けたいだけだ」
「そういうことにしておきましょうか」
リリアンは微笑すると杖を一振りして、ベッドへ体を拘束した。革のベルトが何重にも胴や手足を縛りつけていく。
「あの、それはやりすぎなのでは……」
「彼女の力を一番近くで見ていたあなたたちが、それを言えますか?」
圧倒的な膂力で人間を吹き飛ばすほどの力を一度見たことがあったユーキたちは、リリアンの言葉にそれ以上口が開けない。もし、ここで拘束なしで暴れられたら誰も止めることができる保証はどこにもないからだ。
「治療方法は、あるんですよね?」
「あると信じたいものです。何せ、吸血鬼の真祖と出くわすなんてこと自体が稀ですから」
吸血鬼の真祖という存在自体が種として、どのような特徴を保有しているかは古い文献にしか出てこない。その中で治療法を見つけるというのは、困難極まりない。
「魔法を使った後に気分が悪くなったということらしいですから、とりあえず魔力の補充を優先すれば問題ないかと。あまり大げさに捉えると呼びたくもないものを呼び込んでしまいかねませんから。あなたたちは、お帰りなさい。ここにいてもできることはないし、前回と違って命に別状はなさそうですから」
「……そうですか。よろしくお願いします」
リリアンの言葉に押され、ユーキたちは部屋を出ることにした。ユーキが振り返った時に見たのは、蒼白なままの顔と魔眼に映る触手が消えていくところだった。
重い音を立てて扉が閉まると居心地の悪い静寂が辺りを支配する。生暖かい風が階下から登ってきて、張り付いた髪を揺らした。
「それで、どうしてこんなことに?」
「私たちもわからない。フランさんの魔法が止まらなくなって、気付いたらあんな状態で」
「止まらなくなった?」
「そう。杖を離してやっと発動が止まった」
事情を聴きながら階段を下り始めると真っ先に受かんだのは、自分と真逆の現象だ。
初めて魔法を使うときに、ユーキは魔法が発動しなかった。その理由は、体内の魔力が体外の魔力に侵食されて、指向性を失ってしまっていた。つまりは、使いたくても使えない状態だ。
逆に今回は使いたくなくても使ってしまう状態と考えることもできる。その場合は、どのようなことが原因となるのかをユーキは考えながら足を進めていく。
レオ教授に習ったことを思い出そうとしていると、下からわざとらしく靴の音を響かせて上がってくる男がいた。その後ろには騎士が二名、護衛するような形で付いてきている。
「まったく、あれだけ首輪をつけておくべきだと進言したのに、一月とかからずにこの様かね。一体、筋肉達磨も何を考えているやら。王都を廃都に変えるつもりか?」
「その……我々には何とも言えないことですので……」
「騎士にも教養が必要だったかと思うがね。まったく嘆かわしい。一度、その頭蓋を取り換えた方がいいかもしれんな」
「モルガン殿、ご容赦願いたい。無能には無能なりの矜持があるのです」
「ふん。それならば、さっさと腕を磨いておけ。使えないのならば切り捨てるまでだからな」
伸びきった髪を後ろに束ね、無精ひげもそのままにした男がねちっこく騎士をいじりながら登ってくる。頬はこけて、今にも倒れそうな顔つきだが、目の奥には首を刎ねても動き出しそうなほどの光が宿っていた。
思わず無言で脇に避けると最初からいなかったかのように、我が物顔で通り過ぎていく。一瞬だけ、ぎらついた目がマリーの方へと向けられたが、当の本人は何事かと肩を竦めるだけだった。
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