内通者Ⅷ
時が止まった。それは数秒かもしれないし、須臾のひと時だったかもしれない。
全身に心の臓が鐘の如く重く響く。
ユーキは横で誰かが叫ぶ声を聞いた。響いた鐘の音が消える前に、頭の片隅で撃鉄が上がる。右肩から腕にかけて、筋肉が膨れ上がる錯覚が起こるほどに魔力が集まり始める。
「穿て――――」
ガンドを放とうとして、ユーキは動きを止める。魔眼は貫かれたフェイの陰に、もう一人の姿を視認した。
「ヒィッ――――?」
バケモノが戸惑うのも無理はない。貫いたと思っていた頭部の感触があまりにも空虚だったからだ。鎧を砕き、皮膚を突き破り、頭蓋を貫き、血と肉を挽き潰す。その一切が突き出した右手から感じられない。
思わず体を後退させようとしたのは、知識でも経験でもなく本能に近かった。だが、それでもまだ足りない。
顔を貫かれたはずのフェイがそのまま剣を切り上げる。完全に意表を突かれ、その剣が薄皮一枚で左の脇腹から右肩にかけてをなぞっていく。
しかし、剣が切ったのは胴体ではなく戻しきれていない右手首だった。しかも見事に空中へと右手が舞い上がる。
大半の騎士たちが唖然とする中、フェイの顔から腕が血を吹き出しながらズレていく。そこには傷一つないフェイの顔が存在していた。驚くべきことにその右側にはもう一人のフェイが剣を振り切っている姿で存在している。
「ギイィィィ!」
痛みか。混乱か。はたまた恐怖からか。口から泡を吹いて叫び声をあげる。
そこへ、実態を持たないフェイの後頭部を突き破ってワイアットの槍が出現する。そのまま、槍は右肩へと直撃して背中へと通り抜けた。それと共にフェイの分身が陽炎のように消え去る。
「これで、終わりだっ!」
バランスを崩してもんどりうったところへ、フェイの剣が振り下ろされる。
しかし、ここまでしてもバケモノじみた動きで槍を半ばから叩き折って地面を転がり、一足跳びに距離を取った。転がった衝撃で腰につけていた革袋やポケットの中身が地面に転がる。
「ギィィ……ギギッ!」
肩にまだ残る槍を掴んで引き抜くと脱兎のごとく逃亡へと転じた。その姿を見て遠くから魔法を準備していた騎士が一斉に射撃を開始する。
ユーキもガンドを撃って援護射撃を行う。弾幕のいくつかが背や足を撃ち抜くが走る速度は衰えず、鞭打たれる馬と見紛うかのような加速をする。
一瞬、振り返って騎士たちを見た顔がにんまりと嗤っていた。苛立ちを覚える騎士たちの前で、その後頭部に風の弾丸がぶち込まれる。
森の中から放たれた一撃は、今までアランの顔を映していた魔法を一瞬だけかき消す。遠目からわかったのは、茶色の髪と角ばった顔の輪郭くらいだった。
流石に止まるかと思われた逃走劇だったが、顔面から地面に転がっても、文字通り獣のように四肢を使って跳躍するほどの異常さだ。なりふり構わず森の中へと飛び込み、闇の中へと消えていった。
群青に染まった空へ何羽かの鳥たちが悲鳴を上げて飛び立つ。静寂が戻ると誰もが武器を下ろして胸を撫でおろした。
「何とか、なったか?」
「いい突撃だったぜ。ちょっとばかり驚いたけどな」
「いえ、初見であそこまで合わせられたのは少し驚きました。お強いんですね」
「いやいや、まぐれだよ。まーぐーれっ」
ワイアットは散らばった品を拾い集めながら、苦笑いで返す。フェイは背を向ける男に、森の中に消えた襲撃者とは別の恐ろしさを感じていた。
「おーい。フェイ、大丈夫だったか!」
振り向くとマリーが全力疾走で走って来ているところだった。その後ろには追ってくるユーキたちの姿も見える。無事なことを伝えようと右手を挙げたところに、マリーの右ストレートが放たれた。
「もっ!?」
辛うじて顔面直撃は避けたものの右の頬を掠っていく。フェイは自分の後方へと流れている拳を目で追ったまま硬直していた。当然、後を追ってきた残りのメンバーも時が止まる。
「あれ、当たった?」
「今、あれだよね。心配して駆け寄ってくる流れだったよね!? 何で攻撃されてるの、僕!?」
「いやぁ、あれだけ危ないことされたら心配しちゃって。何であたしがこんなにハラハラさせられなきゃいけないのかなぁって思ってたら……つい」
「「えぇ……」」
マリー以外が困惑の声を上げるが、当の本人はあっけらかんと笑っていた。後にフェイは語っている。やはり、彼女も伯爵の血を引いた規格外の人だった、と。
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