非才は時に才と成るⅡ
(――今まで生きててよかった)
本気でそう感じるほどの多幸感の波は凄まじいものだった。叶うことならば、そのまま一生浸っていたい、と。
余韻に浸っているユーキにサクラは起き上がるよう呼びかける。
「では、ユーキさん。そのまま座ってください。今から魔法の発動の訓練を始めますよ」
肩を叩くと同時にサクラの体重が背中から消えた。ベッドに腰かけて、催眠状態のような焦点の合わない顔でユーキは前を向く。頭の中にも靄がかかったような感覚で、サクラの声もエコーがかかって聞こえてくるようだ。
「人差し指を上に向けて、その先に力を溜めるようなイメージをしてください。指の根元から爪の先へとゆっくり、そして、そのまま爪の先から漏れ出すように」
ユーキは言われた通りに右手を差し出して、人差し指に力を籠めてみる。サクラが人差し指の先をつまんで揉み解す。
「はい、そのままでもいいですよ。ちょっと緊張しているみたいだから、指の力を少しだけ抜きましょう。そのまま、ろうそくのように火が灯るところを想像してください。そして、唱えましょう『――火よ灯れ』」
「『――火よ灯れ』」
サクラが指を放しながら唱えた言葉を復唱する。その指先からは部屋を覆いつくすほどの炎が――などということは起こらず、何もない空間が存在しているだけだった。
「――って、えぇー!?」
静寂が部屋を満たした後、サクラの声が響き渡る。何事かとユーキが顔を向けると、両手で頭を抱えるサクラ。そして数秒の後、ユーキは魔法の発動が失敗したことを悟った。さっきまでボーっとしていた頭も次第にはっきりしてくる。
何も一回でできるはずはないという考えもあったわけで、それほど落ち込んでいない自分との差に驚きながらも、サクラへと声をかけた。
「えーっと、その、なんだ。初めてだし、一発成功なんてなかなかないんじゃないかなぁ?」
手を床について落ち込んでいるサクラにユーキが声をかける。普通、こういうことは失敗したユーキにかけられるべき言葉では、と思っていることをサクラには口が裂けても言えない。
そんな呑気なことを考えているユーキだったが、次のサクラの言葉で一抹の不安が浮かび上がってくる。
「その、私たちの授業では失敗した人が一人もいなかったので……」
「つまり、どう対応していいかわからない、と?」
火を灯す魔法は、非常に簡単な呪文らしい。実際、ユーキの買った本の生活に使える魔法で一番最初に紹介されていた魔法である。
ユーキが考えてしまった不安とは、魔法の適性があると言われているにもかかわらず、魔法が使えないのではないかということだった。サクラも同様の不安があったようで、いろいろな本を引っ張り出して説明を始める。
本質的な話とはずれるが、初めて使う魔法は、必ずこの魔法から行うのが決まりらしい。
理由は二つあり、一つは歴史的な側面で、「人が最初に手に入れた魔法(道具)は火であった」と言われることから。もう一つは、少し科学的な――魔法を科学で語るのはどうかと思うが――理論で、火が「徐々に消費する魔力の感覚を掴みやすい」魔法だからだ。
ユーキはサクラの話を聞きながら、自身のことを思い出して苦笑していた。この魔法を教えてくれている少女は、あくまでも魔法を使える人であって、魔法を教える人ではないということだ。
(中学校の教師が中学校の問題を解けるだけでなれないのと一緒だよな。小学校の内容や卒業後の高校の内容とのつながりも考えた上で解説や授業をしなきゃいけないんだから)
つまり、今までの経験と知識だけしかないサクラでは、物事の本質のほんの一部にしか触れられていない。もちろん、そんなサクラの助言で上手く物事が進むこともあれば、いかないことも当然あり得る。ましてや、教師でさえ失敗することはあるのだから、サクラに責任を押し付けるのは酷な話だ。
ユーキは教員であった経験から、サクラの助力に感謝しつつ、もう一度、魔法の発動を試みる。
「うーん。『火よ灯れ』」
しかし、その指先に火が灯ることはない。左手にしてみたり、指を変えてみたり、精神統一して何度もやってみたが、どれもうまくいかなかった。
だんだん、サクラの顔にも影が落ちてくる。先ほどまで開いていた教科書も完全に閉じてしまっていた。
魔法が使えるという期待を持たせておいて、実際に使えませんでした。そんなことになってしまった原因は自分であると、思い込んでしまっているのかもしれない。
「ごめんなさい。私の教え方が下手だから……」
サクラは俯いてしまい、その目尻には涙がたまっていた。
ここまで手伝ってくれたサクラを泣かせるのはマズイ、とユーキは慌てて思考を張り巡らす。何とかして、魔法を使える姿で彼女の笑みを取り戻さなければならない。その為には何よりもユーキに欲しいのは情報だった。
漫画やアニメから魔法という存在に憧れて、様々な文献を読み漁ったこともある。しかし、いくら知識を持っていても、こちらの本当に魔法の存在する世界では使えないこともあるだろう。この世界から得られる情報だけで、最初の一歩だけは踏み出さないといけない。自分の世界の知識を流用するのはそれからだ。
そんなことを考えているうちに、ふと、あることに気が付いた。それは、何故今まで気づかなかったのか、というほどにユーキ自身にとっては、簡単な方法だったからだ。
思い立ったが吉日とばかりにユーキはサクラへと呼びかけた。
「そうだ。サクラ、今の魔法のお手本を見せてくれないかな。もしかしたら、それで上手くできるようになるかも!」
サクラとしても新たに役割を与えられて、暗かった表情が少しずつ変わっていく。サクラは手で目をこすった後、立ち上がった。
「はい、任せてください」
さっきまでの表情と違い、やる気に満ち溢れ、文字通り鬼気迫るほどの真剣な顔立ちだった。呪文を唱えていないのに、その背後に炎が見えたのは気のせいではないだろう。
深呼吸をしたサクラは、指を立ててゆっくりと言葉を紡いだ。
「いきます。『――火よ灯れ』」
気合を入れすぎたせいか、若干、ろうそくというよりは野球ボールのような大きさになっていた。
それが生まれるまでの一連の動作を、ユーキは魔眼を開いて観察する。
全身から指先に流れる赤と白。それらが混じり合った桜色の奔流。ゆったりと静かに、だが、途切れることなく、力強く指先か光があふれる。指の付け根辺りから、その奔流も紅蓮に変化し、そのまま指先から迸って火球を形成していた。
指の周りにも、よく眼を凝らすと、光が屈折したような――熱された金属を見るかの如く――空気の歪みが見えて、指や手全体に吸い込まれていくのが見えた。
その光景を見ていたユーキは何となくではあるが、魔法が失敗した原因に気が付いた。
「ありがとう、サクラ。とても参考になったよ。ところで一つ聞きたいんだけれど、魔力っていうのは、どういったものなんだろう」
「えーっと、魔力ですか?」
火を徐々に弱めて、最後は指を払ってサクラは火を掻き消した。
「魔力というのは自分の中の生命力。もっと単純に言えば体力と言い換えてもいいかもしれません。そのエネルギーのことを言います。あとはこの国では、あらゆる場所に存在する四大元素『地』『水』『火』『風』を主軸にする自然のエネルギーのことです。前者を小源、後者を大源と言います」
正確にいうならば四大元素とは、現実の土や水のことを意味するのではなく、世界を構成する性質の状態を区別したことを意味しているらしい。ただ、ここでユーキは知りたかった情報を得ることができた。
魔眼を開いたまま、ユーキは自分の指を見つめる。サクラとは違い、明るい青寄りの紫色が体から指へと集まってくる。手の周りにも見にくいが、蜃気楼で揺らめく空気のような対流ができ始めていた。
もし、このまま成功するならそれでいいのだが、ユーキはここでもう一つ手を加えてみる。
「サクラ。指じゃなくていいから、俺の手を少し持っててくれないか。その方がきっと成功する気がする」
落ち込んでいたサクラに、発動できた喜びを感じてほしいと思ったユーキの作戦だった。サクラは一瞬ためらった後、頷いて、ゆっくりと右手首を優しく掴む。
「どう。力が入りすぎてないかな?」
「大丈夫だと思います。今度こそ、成功するといいですね」
その言葉に頷いて息を深く吸い込む。一度呼吸を止めると、心臓の早鐘がユーキの耳奥で鳴り響く。一度、二度、三度――――――。
四度目の鼓動が鳴るとともに、口からは心臓とは正反対に落ち着いた声が紡がれた。
「『――火よ灯れ』」
指先に火が灯った。灯ったのだが――横にいるサクラの顔を見ると指先を見つめて、何と声をかけるべきか悩んでいるようだった。その視線の先には爪の上に、ろうそくよりもはるかに小さい火が揺れており、今にも消えてしまいそうであった。
正直、その大きさを見て、自分の才能に落胆しかけた。しかし、隣でそれを見て、表情が暗くなりかけたサクラの方がユーキには気がかりだった。そんなサクラにユーキは声を張り上げた。
「よし、できた! 今の見ただろう? しっかりと火が出たんだ! サクラのおかげだよ! ありがとう!」
そう言って、火を掻き消してサクラが掴んでいた手を取った。面喰った表情になるサクラだが、次の瞬間に表情はぱっと明るくなり、笑顔で頷いた。
「はい、おめでとうございます。でも、これからが本番です。毎日、練習していきましょう!」
サクラが元気になったのを見て、ユーキも安心した。教え子が何だかんだで上手くできるようになることは、教えている側からすると嬉しい以外の何物でもない。
ユーキはサクラから手を放して、もう一度、魔眼を開き直す。その瞳に見つめられたサクラは不思議そうに首を傾けた。
サクラを見ると全身にピンク色の光が渦巻いていた。ユーキの荒々しい流れと違い、ゆっくりと全身を巡っている。その姿を見て、思わずユーキの口から感想がこぼれ出た。
「桜のは、きれいだよな」
「えっ、な、何が、ですか?」
それに驚かされたのはサクラだろう。唐突な発言の意図を読めなかったようで、サクラは目を見開いて背を反らした。
ユーキはそのことに気付かず見つめ続ける。だが、その時にとてつもないことに気付いてしまう。
サクラの体を包むオーラが体の線に沿ってくっきり浮かんでいた。薬草採取の時、草の輪郭に沿って、白い光が浮かんでいたことをユーキは思い出す。つまり、サクラの周りにある光は、彼女の体のラインそのもの――
「えっと、ユーキさん。今のって?」
「さ、ささささ、さて? 今日は成果が出たし、もう一度、薬草採取でもしようかな!」
サクラの言葉をさえぎって、ユーキは立ち上がる。無理やり顔から下に降りそうになった目線を引き上げて、魔眼を閉じた。
善意で魔法の使い方を教えてくれたサクラに、いやらしい視線を送るなど、ユーキ自身が許せなかった。男としての本能の部分が反応する前に、理性が総動員されたおかげで事なきを得る。
何か言及される前にユーキは、サクラへと振り返りお礼を言うことにした。
「サクラ、今日はありがとう。感謝してもしたりないくらいだよ。もし、機会があれば、またお礼をさせてくれ」
そう言って、頭を下げたユーキにサクラは慌てていた。先程まで握られていた手は所在なくさまよっている。わたわたと手を体の前で動かした後、サクラは膝の上に手を置き直して頭を下げた――今度は頭をぶつけずに。
互いに顔を上げた後、サクラは微笑んだままユーキに告げる。
「私は、何もしてないです。ほんのちょっと、ユーキさんができるように手伝っただけです。だから、ユーキさんは自信をもってください。まだまだ、魔法使いの道は長く続いていくんですから」
「そうか、俺ももっと魔法が使えるようになるかな?」
「また、一緒に練習しませんか? きっと二人でやれば、もっと上手くなれると思いますから。いつも、休日の二日間は暇してますし、六日後はどうですか? よかったら、いつでもいいのでガーゴイルさんに伝言を頼んでください」
「あぁ、そうするよ。それまでに自分で練習しておく」
短時間ではあったが、ちょっと絆が深まった気がする。ユーキはそう感じながら、サクラに寮の出口まで案内された。その向かう最中もサクラの顔からは微笑みが消えることはなく、自分がどんな魔法の練習をしてきたかを楽しくユーキに話してくれる。
ガーゴイルの下で手を振ってサクラと別れた後、ユーキは宿に直行した。部屋に戻った瞬間に魔眼を開く。
ひたすら自分の魔力の流れをサクラのようにするために、魔眼で体を見ながら精神統一に励む。サクラがさらに喜んでくれるのが目に浮かび、ユーキは自然と顔が綻んだ。尤も、サクラの魔力の流れをイメージするたびに、邪なイメージが思い浮かんできて、訓練と呼べるものにはならなかったのは、また別の話。
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