水の都オアシスⅥ
オアシスに着いて二日目の朝。
ユーキは一階の食堂で朝食を食べた後、薬草採取のために魔法学園へ向かった。
門番であるガーゴイルに用件を告げて、昨日の場所まで行ったユーキは眉を顰める。目の前には大量に採取したはずの薬草が、まるで何もなかったかのように生え始めていたからだ。
「もう、薬草が生え始めてるのか？」
薬草たちの再生力は非常に高いようで、既に切り口――或いは別の土の部分から芽が伸び始めていた。長さから言えば三、四日ほどで元の状態に戻るだろう。
多少、驚きの出来事に見舞われたが、薬草が一定周期で安定して採取できることには、諸手を上げて喜ぶべきことだ。
ユーキは皮手袋をはめて短剣を握り、腰を下ろす。午前中だけでも銀貨三枚は稼いで、宿泊費以上のノルマは達成しておきたい。
腕時計で確認すると、午前八時を示していた。正午までの四時間で昨日の早さで行けば銀貨六枚。多少のペースダウンは考慮しても銀貨五枚はいけそうだ。
日本でのかつての風景としては、田植えや草取りなどが挙げられるだろうが、腰や足を曲げて低い姿勢を保つというのは見た目以上に疲れる重労働。体が若くても、二、三十分に一度は休憩を挟まないと関節が悲鳴を上げてしまう。
近くの長椅子で時々座って水分補給をし、ひたすら刈り続けること二時間弱。慣れた手つきでしまおうとした薬草にユーキは違和感を感じた。
（葉が多くて、葉脈もくっきりしている。これがソラスメテル薬草か？）
初めて見るせいでどうしても確信がもてず、依頼書の図と見比べていても悩んでしまう。とりあえず三つ目の革袋に突っ込めばいいものを、考え込んでしまうのはユーキ自身の性分なのかもしれない。
光に透かしたり、他の薬草と見比べているうちに、あの視界に切り替わる。
（また、魔眼が――！？）
てっきり暗闇で目を凝らさないと発動しないと思っていた魔眼だが、無意識に開くことができてしまった。手元からは暗緑色ではなく、全体的にエメラルドグリーンの光が放たれ、それに少量の白い光が混じっていた。
以前までは気づかなかったが、草以外の物体も含め、淡い白い光がくっきりと物の輪郭を浮かび上がらせている。そして、今まで採取していた薬草と目の前の薬草の違いに気付く。
（白い光の量が違うな）
悩んでいた草の方が、比較対象のレメテル薬草よりも白い光が強い。ソラスメテル薬草の可能性を信じて、ユーキは三つ目の革袋にしまった。そして、ユーキは地面に向かって魔眼を向けてみる。先ほどと同じような光が立ち昇る中、強い白い光や紫の光が視界に入った。
「紫色はデメテル毒草か……？」
かつてウッドを襲った麻痺毒の矢も紫と黄の二色だったことを思い出す。そこから魔眼に関して、一つの仮説が浮かんできた。消去法からして、紫の色を放つのは毒草くらいしか思いつかず、麻痺毒の矢の色も紫と黄とくれば、誰もがその結論に辿り着くだろう。
「物質の特性を色で識別しているのか？」
もし、その仮説が正しいのであれば――と、ユーキは笑みを浮かべた。
冒険者ギルド依頼報告窓口で猫耳受付嬢は、頭を抱えそうになりながら対応していた。思わずしっぽがへにょりと萎れてしまうくらいには、気落ちしていると言っても過言ではないだろう。
その原因は目の前にいる相手。先日登録したばかりの新人であり、異国の青年である。その青年から受け渡された袋の重さから、相当量の薬草を搔き集めてきたのだと推測できた。
通常、これだけの量を持ってくれば、第三者の視点からすると、なかなか見込みがある者だと受け取られるだろう。しかし、一年も受付嬢をしていれば、登録したての新人が持ってきた物が選別されているかどうかを疑いたくなってしまうものである。チェックしなければいけない立場としては、非常に面倒な相手だ。
加えて、青年はソラスメテル薬草の依頼書も同時に提出している。余計に疑わしく思うのは当然だろう。近くにいた他の職員にも声をかけて、手早く仕分けることに決めた受付嬢。ため息をつきたくなる気持ちを抑えて、数による誤魔化しなどがないように一つずつ確かめていく。
「――ンニャ？」
しかし、その数を確かめていくにつれて、次第に驚きへと表情が変化していった。それは、いきなり呼び出されて手伝っていた同僚も同様らしく、目を丸くしている。
途中で猫耳受付嬢は、同僚に目配せで「後は一人でやる」と伝えて、仕分ける速度を上げた。最後まで数え終えた後、受付嬢は背筋を正して、確認作業の終了を告げる。
「ただいま、確認をいたしましたニャ。レメテル薬草五十本。デメテル毒草二百本。そして――」
受付嬢は横目で渡された最後の革袋を見る。その目には未だに信じられないという文字が浮かんでいた。新人かどうかは関係なく、ベテランであっても王都内において複数のソラスメテル薬草を確保するのは至難の業である。それを目の前の青年は――――
「――ソラスメテル薬草三十本ですニャ。合わせて三万六千五百クルとなりますニャ」
銀貨三十六枚、銅貨五十枚がユーキの前に積まれる。そこそこの重さになるため、ギルドの口座へ半分以上を入れるようにユーキは申請した。その顔には若干、誇らしげな雰囲気さえある。受付嬢は、どんな魔法を使ったのかと訝しんでいたが、職務の遂行を優先したようで咳払いをして説明を始めた。
「また、依頼の達成により貢献度が規定数を越えましたので、ランクをＥに更新させていただきます。次のランクに向けて頑張ってください。ありがとうございました」
ユーキは受付嬢に頭を下げた後、踵を返して、そのまま下級ポーション引換券を使うべく歩を進める。ポーションは主に二種類。体力や怪我などを回復させる物と魔力を回復させる物がある。
どちらのポーションも難点は飲んでから吸収までに時間がかかることだろう。タイミングを計って飲まなくてはいけないので、簡単な戦闘依頼では、ポーション使用の練習という意味合いもあるようだ。
腕時計を見れば、時刻はまだ十二時前だった。時給の良さに思わず笑みを浮かべる。
ユーキがやったのは至って単純なこと。魔眼で片っ端から毒草を集め、白い光が強い場所を見つければ、そこでソラスメテル薬草を探す。これをひたすら繰り返したのだ。
ただ、ソラスメテル薬草を取りつくして、生えなくなったら問題だ。そんなことにならないように良心的な範囲での取り方に留めている。
もし、その気になれば、あと五十本は余裕で集めることができただろう。
「明日は別の場所で探さないとな。ローテーションを組めるように三ヶ所くらいあるといいんだけど」
ソラスメテル薬草を見つけまくっている瞬間を他の冒険者に見られるわけにもいかない。そのため、採取場所も限定される。そう考えると可能な場所はかなり限られてくる。
悩んだ末に、昼食を適当な店で食べて、レナに紹介されたアラバスター商会の近くの空き地に向かうことにした。しかし、空き地での結果は惨敗に近く。毒草も取りつくされた感が残るところで、むしろ雑草が多かった。それでも六千クル程度の薬草と毒草を集めることができたのは、不幸中の幸いと言ったところだろう。
毒草狩りという名の薬草採取は、午後五時頃に切り上げて、途中でアラバスター商会の中にも入ってみることにした。
「いらっしゃいませ」
中に入ると、武器・防具・薬品・魔導書など様々なものが店を埋め尽くしていた。陳列されている棚自体も年季の入った木で出来ているのも見栄えが良い。王都の中でも最も有名な店の一つに数えられるということもあり、人の数も半端なものではなかった。
ユーキ自身は体験したことがないが、東京の百貨店などに放り込まれたら、このような気分になるのだろうと立ち尽くしてしまう。
そんな中、男としての本能がうずいたのか、ユーキはまっすぐ武器のコーナーに向かった。メジャーな武器は当然として、誰が使うのかというヘンテコ武器やロマン武器。また量産品から一品物まで幅広く取りそろえられていた。その中でユーキは一つの武器に魅入られる。
「これは……まさか……」
目の前の武器の商品名は「巌切久義」と書かれていた。「銘」の付け方からしても、見た目的にも立派な日本刀である。
ほんの少し反り返り、店の明かりに反射して薄紫色に反射する波紋。心を奪われたが、その値段は何と金貨十八枚分。日本円にして百八十万円である。製作者が久義、巌切は大きな岩でも切った逸話でもあったのだろうか。随分と大きく出たものだと思ってしまう。
到底、手の届かない値段にため息をつき、周りをぐるりと見渡す。ふと、薬草のように武器を魔眼で見たらどうなるだろうか、と思い意識してみる。
鈍色や銀色、さらには赤・青・黄・緑など様々な光が武器たちから発せられていた。薬草の時もそうだったが、どちらかというと湯気のように立ち上っているという表現の方が適切なのかもしれない。
少しずつ魔眼に慣れ始め、光を観察する余裕が出てきたようだ。強烈な光を放つ武器の名を見ていくと興味深いものがあった。
――「ミスティルティン」、「レーヴァテイン」、「ダーインスレイヴ」、「ティルヴィング」
どこかの神話から飛び出してきたかのような名前だ。
もし、本当であるならば凄いなんてレベルではない。そんな物を装備していくようならば、一体どこのドラゴンや魔王――実際にいるのかもしれないが――と戦うつもりだと、ユーキのいた世界の人ならば思うはずだ。
（エクスカリバーなんて売り出されないよな……）
聖剣と言われれば、まっさきに挙げられるであろう剣のことを考えながら、そのガラスの先に仰々しく飾られている剣を見る。
じっと見つめていると、隣にも同じように見つめる少女が一人いた。鮮やかな紅い髪を後ろで束ね、色白の肌に薄く桜色が浮かぶ頬、目を細めて食い入るように剣を見つめている。
背はユーキより少し低いが、年齢は同じか年上くらいにも見える。華奢な体からは到底、見つめている剣を振る姿は想像できない。事実に少女が腰に装備していたのは短剣だった。
そんな彼女を見ていると目が合う。細かった目が睨みつけるように変化した。若干、下からのぞき込むような形で見てくるので、良くない兆候であることをユーキは感じ取る。
「何、あたしになんか用？」
「いや、隣にいたから気になっただけですよ」
そう返したが、少女はそれが気に入らなかったようだ。半歩、間を詰めて語気を強める。
「どうせ、『君には、その剣は振るえないだろう』とかでも思ってたんでしょ」
腰に手を当てて、下から睨みつけられるというのは、実際にされてみると気分がいいものではない。ユーキとしては、こういう手合いの人間は苦手だ。面倒ごとにしかならない、と思いつつも、しっかりと返事をして怒りを収めようと会話を続ける。
「いや、俺と同じで、こんないい剣が使えたらいいと思うような人がいるんだな――って見ていただけですよ。ほら、武器を扱う者としては仲間が増えるみたいで嬉しいじゃないですか。反面、いつ買われてしまうのかという不安もありますけれどね。他意はないですよ」
そう言って、ユーキは少女の目を見返した。紅い髪に反して、瞳はターコイズを思わせるような薄い水色だ。ぶれない瞳に思わず目を逸らしてしまいたくなる。数秒間続いた沈黙は、少女が元の位置に後退することで破られた。
「そうか、悪かったな。この剣の良さがわかる奴なのに、つっかかっちまって」
照れくさそうに頬を掻きながら微笑んだ。どうやら、機嫌を直してくれたらしい。
顔つきも柔和になった少女は、ユーキを頭の先からつま先までを一通り見渡した後で首を傾げた。
「あんたの装備を見ると冒険者なり立ての新人、ってところか。この剣を買って扱えるようには、どんなに早くても五年以上はかかるぞ」
ガラスケースを軽く小突きながら値札を示す。
一、十、百、千、万……
ゼロが六つ以上あったのを見て、数えるのをやめた。確かに手が出るものではないらしい。おそらく、大貴族や王族向けの品で、普段は客寄せ用に展示しているのかもしれない。
少なくとも、一般庶民に手が出る代物ではないことは確かだ。
「――って、もう帰らないと宿の飯の時間に遅れちゃうな。じゃあ、あたしはここで失礼するよ。縁があったら、どこかで！」
片手を上げて人ごみの中をぶつかることなく進んでいった。
一言で彼女を説明するなら、嵐のような少女だ。傍から見ていたら、ころころと表情が変わる可愛げな少女で通るかもしれないが、初対面としてはインパクトが強すぎた。ユーキは彼女が去っていた方を呆然と見つめる。
名前をお互い知らないが、どこかでまた出会いそうな予感がした。
姿が見えなくなってからも、放心状態というか。何が起こったかを把握できていなかったユーキは我に返る。先程の少女が焦っていたように、自分も宿に泊まっている身。早く戻らなければならないのでは、と焦りが生まれる。
「さて、明日も薬草採取という名の金稼ぎを頑張りますかね。でも、その前に俺も晩飯に間に合うようにしないとな！」
慌てて、ユーキが商会を出ると、紺色に染まり行く東の空に星が瞬き始めていた。
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