第3章 その6
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一方、皇女はこの盈月にお互いを認識しあった事により、常世と現世が交わる盈月の晩のみ、お互いを認識できるのだと云う事を悟った。しかし、認識が出来るというだけで、結局は触れ合う事も言葉を交わす事も出来ないことには変わりない。それ以外の月夜では皇女にしか、皇子の姿は見えない。
外へ出て、彼の人を探したとて、彼女は彼をただ遠くから見つめることしかできない。
しかしきっと彼は私を捜している。
だけど彼の人には私が見えないようだった。
声すらも届かない。
あの盈月の晩ならば、お互いを認識できた。
視線を交わすことができた、あたたかな瞬間。
しかし、見つめあうだけで、見えない壁のようなものが二人の間を隔てているかのように、お互いに近づく事は出来なかったのだった。
もどかしい。
そして皇子もまた、伶俐で美しい顔をこちらに向け、皇女を見つめるだけで、立ち去ってしまうのだった。彼の人の瞳の奥に憂いを感じ、皇女の胸は痛んだ。
「皇女様」
「なあに?」
「実は、皇女様にお渡ししたいものがございます。」
螺鈿の箱を手に携えて、乳母が皇女の前へ座った。
「昨晩、私の目の前を七色に輝く黒い蝶が飛んできて、この箱に止まったのでございます。その時に、皇女様へお渡しをするようにと、私の大事な御方の声を聞いたような気がしたのでございます。」
皇女は螺鈿の箱を乳母から手渡され、蓋を静かに開いた。
中には星を散りばめた夜空のような大きな玉で細工された首飾りが輝いていた。
「これは・・・」
皇女が玉の首飾りを手に取った瞬間、蝶のようなものがそれを持つ手の中から飛び去ったように見えた。
そして、手中の玉を通じ、体の中に何かあたたかいものが流れ込むような感覚を覚えた。
それはとても神々しいような清らかで確かな気配。深い夜空の色彩が宇宙の源へと繋がる。
「?!もしや・・・皇女様ならお判りになりますか?」
「なぜ、これを?」
「この玉の首飾りは昔私が伊勢の斎宮様より賜ったものでございます。今回の事件で、皇女様をお守りするためにもお渡しすべきもののように感じたのでございます。」
乳母は思考を巡らせるように天を仰いだ。
「私がまだ幼い頃の事でございます。今はもう冥府の方となられましたが…」
昔、乳母がまだ幼き頃に当時の伊勢の斎宮様から授けられたものということだった。
まだ幼い少女だった頃の乳母は、伊勢の斎宮 大伯皇女という方に仕えていたという。大伯皇女は人の気持ちを酌み取る事が上手な彼女をいたく気に入られており、彼女を大事にされ、いつも側に置いていたのだそうだ。
「大伯皇女様は穢れのために斎宮の職を解任されましたが、私も皇女様に従い、伊勢を離れました。」
「都へ戻ってからは、私はこの通りでありますが・・・。大伯皇女様がお隠れになる前の年のことでありました。皇女様が隠居されていた夏見寺へ呼ばれ参じましたところ、皇女様は片時も離さずに身につけていたその勾玉の首飾りを「きっといつか必要になる時が来るであろう」とおっしゃって、吾めにお授けになられたのでございます。」
そしてその首飾りというのが、今、皇女が身につけているものだった。
否、皇女はこの玉を身につけた時に本当の力を理解したのであった。この玉は、しかるべき者が身につけると、常世と現世を繋げる力を持つものだ、ということを。かの斎宮様はこの事を予見されていたのであろうか、私の乳母へと授けたのだった。