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蝶々の宴  作者: 和紀河忍
第一章
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序章〜第1章

この作品には、小説バージョンと戯曲バージョンがあります。

今回は小説バージョンからアップさせていただきます。

どうぞ最後までお付き合い下さいませ。


古代史ものになります。歴史ファンタジー?かな?一応(笑)

序章に多少の流血描写ありです。

序章



金烏きんう、西舎にらひ、

皷声こせい短命をうながす。

泉路賓主無し、

此夕べ家をさかりて向かふ。


 紅く滲む大きな日輪が、炎のように揺らめきながら、西の空に今、沈もうとしていた。

 炎は罪人つみびとたちを、万物を焼き尽くすかのように紅く妖しく揺らめき立っている。

 しかし、その色は大地を輝くような錦色に美しく染めた。

 それは、せめてもの黄泉への旅立ちの餞なのか。

 人魚の鱗のような雲は時折、金色に輝やいては燃え立つような赤と濃紫を映し出し、そして遠くの天を覆い尽くすように渦巻いていた。



 遠くで鐘の聲が響いている。

 荘厳にそして悲しげに、全てを終わらせる鐘の音が鳴ったのだ。

 皆、さめざめと泣いていた。失うものの大きさに。


 どこからともなく読経が聞こえてくる。

 深い闇の中で瞑想している青年は、死するようにゆっくりと前のめりに倒れて行く。

 なおも無常に響き渡る鐘の聲。


 それに入り交じるように響く馬蹄。

 馬から飛び降りたその女は、髪を振り乱し、裸足で人だかりの中へ駆け寄った。

 人波をかき分け、その先に見える処刑を執行された男たちの血溜りを見た女の顔は蒼白だった。

 女の声にならない絶叫は、銀色の細く長い線が天を貫くような苦痛と悲しみの旋律だった。

 そして天は血の海のように哀しく、深い色に染まっていく。


----たとえ、時潮が我らを引き裂こうとも、必ずまた巡り逢い、背の君とともに歩みます。


 女は、腰に佩いていた剣を抜き払うと、人々の静止を振り払い邸の中へと走り出した。

 人々はこれから起こるであろう惨劇に悲しげに目を伏せた。

 天地を揺るがすように鳴り響く鐘の聲、そして茜の天に僧侶たちの読経は高鳴っていった。



 彼女にとって、日頃から慣れた道だった。

 彼女は、鬢も結わず乱れた髪のまま、裸足で裸馬に跨がり、馬を駆った。

 彼女もまた、捕われていたのだ。

 運命の時が近づくと、彼女は邸へ火を放った。

 寝殿の中は炎の舌先が柱や壁を舐め回し、あっという間に灼熱の塊と化した。

 混乱に乗じて邸を抜け出すのは容易だった。

 隠し持っていた剣を振るい、馬を奪い、訳語田の邸へと馬を向けた。

 愛しき皇子みこの元へ。


 振り返れば、彼女が捕われていた邸は紅蓮の炎の中に呑み込まれていた。

 

 訳語田へつくと、既に刑の執行は始まっていた。

 皇子の親しき人々の無惨な姿を目の当たりにした皇女は、腰に佩いていた剣を抜き払い、馬を捨て走り出した。

 鬼神のような形相で、剣を振りかざして邸へと走る皇女を止める事が出来るものなど、誰もいなかった。

 既に燃え盛る炎に巻かれている邸の中へ、皇女は髪を振り乱して走った。

 ただ、愛する夫と最後の時を迎えるためだけに。


 知り尽くした皇子の屋敷の中を皇女は夫の名を呼び、彼の人の姿を探し求めた。

 庭を向く形で、血溜まりの中に倒れている背の君を見つけた彼女は、夫を抱きしめ、剣で自身の喉をついた。

 心の臓は太鼓のように大きく激しく打つ。

 口腔に血潮が泡のようにわき上がり、喉が詰まった。




 やがて、激しい苦しみが薄れ、掠れてゆく記憶の中、幸せなあの頃の美しい記憶が走馬灯のように蘇る----。


 少年は両の足でしっかりと大地を踏み締め、キッと天照を睨みつけるように立っていた。

 きりっとした太い眉に大きな聡明な瞳、筋の通った鼻に朱くやや厚めの唇。

 十を越えたか越えぬかのまだ幼い面には鬟がよく似合っている。

 少年は鬟を結っている紐を解いた。そして手を伸ばし、それを風に飛ばす。

 彼はきっと戦に向かうのだ。

 私たちは再び出会うまでの、しばしの別れを告げた。


 そして、私はこの人に恋をしたのだった。


 あれは暖かくやわらかな日差しの日だった。山裾の野原で野草を摘んでいた。

 八重の菫を見つけ、そのかわいらしさに、草を摘む手を止めた。

 二羽の錦の織物を着飾った大きな蝶々が、濃い紫の菫の花弁を揺らしながら、折り重なるように優雅にゆったりと菫のまわりを舞っている。

 皇女ひめみこがそっと菫へと手を伸ばすと、蝶々は雌雄二羽に別れて、皇女の鬢の上にふわりと舞い上がり、止まった。

「あら。あなたたち、夫婦だったのね。」

 彼女はゆったりと笑みを浮かべた。

 鬢に小さな手を伸ばした、その時、逞しく温かい感触がその手を包んだ。

「背の君?」

 そしてもう片方の腕が彼女の身体を包み込む。頬を赤らめて振り返った。

吾妹わぎもよ、みつけたぞ。」

 お互いに向き合うと、二人で悪戯っぽく笑いあった。

「ねえ、ご覧になって?」

 と鬢の上の蝶々を皇子に見せようと俯いた刹那、皇女の身体がふわりと宙に浮いた。

 気がつけば、皇女は皇子の逞しい胸の中へ抱きかかえられていた。

 皇女はするりと皇子の方へ手を伸ばし、胸の中にもたれかかった。


 あたたかい----。背の君の心の音が聞こえる。

 さやさやと緑の香の風が、若葉を揺らし、囁きながら遊んだ。

 いつしか、風の彼方から、幼子の泣く声が聞こえて来た。


 緑が生い茂る草原の中、乳母が母を求めてむずがるわが子を抱えて、慌てたようにこちらへやってくる。

「わたしったら、粟津王と同じね。」

 と、くすりと笑った。


 そうして、私たちの意識は闇の中へ飛散した----。



第1章



 ひっそりと、神の秘密をはらむような静かな夜だった。

 銀色の風が吹き染めて、白銀の月は小さな鈴の音を奏でながら揺らめく。


 胸を濡らしてゆくように、とおのいてゆらめいて、そしてそっと近づいてくる----影。

 凍れる月の色は悲しくて切なくて夜闇に溶けてゆく。


----月影の霧の中に、夜毎、現れる、あなたは誰?


 月影のように優しく遥かな風采、夜の薫を秘めている。

 わたしの記憶の糸を捕らえて放さない。


----あの人は?


 悲しくて苦くて、なぜか懐かしい。




 中空。

 今宵も月は朧げに揺れていた。

 冥顕を繋げる月に明るく照らされる深山は濡れた草の匂いを染み渡らせていた。

 闇は深く、丑の刻頃に皇女ひめみこはふと目を醒ました。

 月の美しさに捕らわれたのか、不思議と月のさやけき真夜中、眼を醒ますことが多い。


 彼女は身体の火照りを冷まそうと、妻戸を開いて風にあたった。

 艶やかな黒髪が、暖かな風にやわらかく吹き染められる。

 蒼い月影は皇女の身体にひっそりと舞い降りた。

 几帳が、薄い風にたおやかにゆらされ、彼女は夜風に誘われるように外に出た。


 皇女の足取りは、自然軽い。

 門前に伸びる彼女の影。門を守る衛司たちは皇女にも気付かずに眠りこけているようだ。

 屋敷の者たちに気どられぬよう、こっそりと門をくぐった。


 幾多もの星のまたたきが心をうずめる。


 彼女の眼差しの先には冥い山。

 毎夜同じとき、山裾の草原から美しい貴公子の白い影が現れる。その姿はゆらめきながら、いつもその山の中へゆっくりと消えてゆく。彼女は遠くからこっそりとそれを見届けると、満ち足りた笑顔をたたえながら寝所しんじょへ戻り、そしてやさしい夢を見て眠る。夢の中では、あの貴公子が、美しいほほ笑みを浮かべ、彼女の前へと現れるのだった。


----毎夜、その繰り返しだった。


 皇女の脳裡に焼き付けられた、何とも涼しげな貴公子然とした風采。

 自ずとそなわった、優美な気品。

 結い上げもせずに長く垂れた髪は、月影の下で美しいしろがね色に輝き、月読命つくよみを思わせた。

 減張のきいた、きりっとした太めの眉はその人の意志の強さを表している。

 その双眸は清流の如く、聡明。それでいて、どこか憂いと哀しみの色を秘めていた。大きく立派な体躯をしているが、どこか繊細さを感じさせる蒼月のようなひと


 ああ、あの人が背の君であったなら。


 彼女は彼の憂いを含んだ表情が気になり、そして惹かれた。月光の下でひたひたと山裾を過ぎて行く彼の人を、皇女は月影を見つめるようにうっとりとただ遠くから見つめているだけだった。

 しかし、その胸のうちで静かに燃え出す炎の気配を密かに感じていた。名も素性も知らぬ、貴公子。それでも募りゆく想い。

 いつしか、皇女は心が燃え立つような恋に落ちていた。


----何故なにゆえわたくしは、あの人のことをこんなにも想うのだろう?

 判ラナイ。

 自分だけではその答えを見つけだすことは難しい。ただ、なんとなく気になった、美しい人。

 いつのまにか好きになって、いつのまにか恋して、恋痛し----。

 それだって、いつのまにか消滅することもあるかもしれない。


 恋心とは理屈では語れぬものだから。

 ここへ通うようになったのも、気まぐれだった。

 ある時、夢に誘われたのだ。

 そう、あれは盈月えいげつの晩。

 私は神の秘密に捕われてしまった。

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