風の娘は、帝国に望まれる【第一章終了】
「……子供を、殺す?」
鉄線は、萩波の言葉にガタガタと身体を震わせた。子供を殺す?あの小さな子ども達を?あんなまだ幼く、か弱い子ども達を。
「子供を……」
「忠望」
萩波に名を呼ばれ、忠望が鉄線の腕を掴む。しかし、それを鉄線は振り払った。
「ふざけるな!」
「鉄線」
「子供を殺すなんて冗談じゃない! あの子達の命はあの子達のものだ!! 私達が好き勝手にその行く末を決めていいものじゃないんだっ!!」
鉄線の叫びに、百合亜はグッと唇を噛み締める。修羅は目を伏せ、典晶は戸惑ったように明睡と茨戯を見つめた。
「分かりました、鉄線」
「萩波」
「忠望」
「なんだ?」
「やりなさい」
え?と鉄線が忠望を見た。その忠望の手に、握られたナイフに気付いた時、彼の身体は鉄線へと向かっていた。
ドスッと強い衝撃に、鉄線は目を見開いた。
楓はようやく、魔物に追いついた。
ふらふらと足元はふらつき、とうとう地面に座り込む。ただ、このまま気絶はしていられない。
何とか頭を横にふって、必死に身を見開いた楓の耳に、覚えのある声が悲鳴となって届く。
ギョッとした楓がそちらに視線を向け、思わず目を大きく見開いた。
「……な……んで」
忠望のナイフによって深く刺し貫かれた茨戯は、驚愕の目で萩波の後ろ姿を見つめていた。
「命令違反は重罪でしょう?」
「そ、それ、は」
それは鉄線だと、茨戯は血を吐きながら言う。ナイフは的確に茨戯の急所を刺し貫いていた。このままにしておけば、そう長くなく彼の命は絶えるだろう。
「鉄線は命令違反はしていませんよ。する予定ではありますが--貴方は完全にアウトです」
「アタシ、を、殺す、の?」
「ええ、『貴方』は殺します。茨戯は殺しませんが」
呆然としていた鉄線が、萩波の言葉にふらふらと彼を見る。
「ど、どういう」
「それは茨戯じゃない」
「え?」
答えたのは明睡だった。
「茨戯は待機組だ。果竪達の居るテントのな。茨戯と朱詩に萩波は命じた。そこに待機して果竪達を守る様に、と。茨戯は色々とあれだが、緊急時に萩波の命令に反する--いや、自分が任された守る存在をほったらかして来る程馬鹿じゃねぇよ」
明睡は、茨戯の姿をしたそれに近づくと、ガンッと横に蹴り倒す。そして、忠望の手から離れ身体に突き刺さったままのそれを、思い切り足で踏みつけた。
「ぐ、が、はぁっ」
「誰だお前?」
より深く突き刺さったナイフに肉を割かれ、血が吹き出る。しかし、明睡はその血を浴びながら尋問を続けた。
「--ああ、答えなくてもいい。どうせ聞いても知らないだろうし、それに--」
血にぬれた顔で、明睡は笑う。
ニタリと、狂気に満ちた恐ろしささえ感じさせる美しい笑みだった。
決して、涼雪達には見せない、その笑みに茨戯の姿をしたそれは、見た。
それが死刑宣告と同等である事を、それは知らない。しかし、身体は本能的に理解した筈だ。
「大事なのは、お前があの魔物達を操っている事だ。一体何が目的だ? お前、王都でも同じ事をしたな?」
報せを聞いて、明睡は王都の事件現場を訪れた。そして、そこに残された気配や術の欠片を探った。それと同じ物がこいつから感じられる。
「しかも、ご丁寧に魔物の遺骸を調べられないように、きちんと細工までしてくれて、なぁ?」
「く、か、はっ」
「さあ、全部話して貰おうか? その為に俺はお前を殺さないようにしているんだ。それとも、もっと痛いのが好みか?」
明睡は、それの胸倉を掴む。そして、その目に手を添えた。
「ひ、ひぁっ-----!!」
ぐちゅギチグチィ--。
形容しがたい音と共に、それの片目がえぐり取られる。
「痛いか? 子供達はもっと痛いんだ。なあ、何が目的だ? 教えてくれよ? せめて、あの子達にとって最高の冥土への土産になる様に」
何とも言えない、言葉に出来ない歪んだ笑みを浮かべた明睡に、それは残った片目を閉じる事も出来ずに怯えた。
殺される。
殺されるのだ。
生きて帰る事は出来ない。
恐い、恐い、恐い。
恐怖にガタガタと歯が鳴る。
次は舌か--と笑う相手が化け物に見えた。いや、化け物だ。
後ずさろうにも、四肢が動かなくなってきている。それに、足で踏みつけられていて動けない。
死ぬ、死ぬ、死ぬ--。
ならば、せめて。
「--だ」
「あん?」
「道連れに、してやるっ」
それが笑った。
「ガキども全員道連れにしてやる! ミンチにしてやるガゲホッ--」
明睡の足元で叫んでいたそれが、大量の血を吐き身体を痙攣させる。
「死なないようにしていたんだがな」
「明睡のせいじゃないよ」
明睡はギリギリで殺さないようにしていた。だから、違うと修羅は断言する。それよりも、身体の内側からそれは起きていた。
まるで身体の中から爆発する様な衝撃を受け、男が絶命した後--それは、本来の容姿に戻った。茨戯とは似ても似つかない顔立ち。
「なんだ、これ--いや」
明睡は動かなくなった男から視線を外し、魔物を見る。
「やばいな」
全く気配を感じさせなかったから分からなかった。ただ、この男が死んだ事で、魔物は暴走する。
忠望、そして典晶が素速く動き出す。その魔物の後ろに回るべく、彼等は恐ろしい速さで移動した。
「っ!」
「うぉっ!」
その魔物を守る様に、二体の魔物が現れた。
それは標的となる魔物の左右に位置し、決して後ろに回れないように触手を伸ばしてくる。
「まだ居たの?!」
「いえ、居たのと言うよりは」
新しく現れたと言うべきだろう。
だが、魔物が現れた事で、こちらの旗色が悪くなったのは確かだ。裏切り--いや、偽物を仕留めるまでは、仲間を動かす事は出来なかった。
全て、子ども達を捕らえている魔物よりも前方で他の魔物達を暴れさせたせいで、戦える者達は全て魔物達にとって前面に配置する形となってしまった。
しかも、萩波は自分をマークする気配に気付いていたから、そのまま前から向かうしかなかった。
もう、あの魔物はなりふり構わない。いや、枷が外された今、思うがままに振る舞うだろう。
それでも、たった一つの願いだけは叶えるはずだ。
死んだ男の、最後の願いを叶えるべく。
魔物が動く。
子ども達を捕らえた触手に魔力が集中していく。
叩き付けるか、それとも爆発させるか。
どちらにしろ、子ども達は--。
「……」
少しずつ戦える者達が背後へと、全体に散らばり出す。しかし、この魔物の後ろに回れる者は--。
「--え?」
萩波は、少しずつ膨れあがっていく気配に、目を見開く。
魔物の分厚い身体を通して、萩波は見えない筈のそこに居る存在を見た。
怒りで目の前が真っ赤になる。
グッタリとした子ども達に、今にもトドメを誘うとする魔物。それを助けようとする、魔物。
出来れば傷つけたくは無い。
けれど、最初に子ども達を攫い、傷つけようとしたのは、向こうだ。
楓は相手を傷つけるのは嫌いだ。
しかし、傷つけられて黙っていられる程、お神好しでは無い。
楓を中心に、風が発生し始める。
それはどんどん強さを増す。
と同時に、楓の中からあふれ出る物を抑えつけようとする力を感じた。
五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い
いいから、私の思うとおりに、力を振るわせろ
左手
腕
指
そこから全身に広がる力。
大きな布で身体を覆われ、抑えつけられる様な感覚を必死に弾こうとする。
「いい加減にしなさい」
それは誰に向けての言葉か。
楓は、ゆっくりと右手を前に突き出した。
一、二、三--十二。
たった十二本。
全部、全部。
たかだか十二本の触手など。
一際強い抑えの力を、楓は絶叫と共に弾き飛ばした。ビシリと、左手の薬指から音が鳴る。
「子ども達を、返せええぇぇぇぇぇぇぇぇえええっ!!」
空気を震わす大絶叫に、離れた所に居た修羅達が思わず耳を塞いだ。と、彼等の目の前で、子ども達を捕らえていた触手が同時に、全て、切り落とされていく。
それが風によって起こされたものであると知った時には、修羅達の横を風が駆け抜けていった。
「あ--」
驚いた。
けれど、身体は勝手に動いていた。
触手を切り落とされ、共に地面に落下していく子ども達を、忠望と典晶、修羅、百合亜、明睡、鉄線が次々と受け止める。丁度そこに駆けつけた、他の面々も子ども達を受け止めた。
そして--。
風に胴体を切り裂かれた魔物。
子ども達を捕らえていた魔物を守るように現れた二体の魔物は、萩波の放った新たな神術で粉々に破壊された。
障壁が消えた事が、大きな敗因だったが--それについて魔物達が何かを思う暇はきっと無かっただろう。
「子ども達はっ」
「大丈夫! 息はあるわっ」
「衰弱しているが、生きている!!」
十二神の子ども達は皆無事に取り戻した。
それを確認した修羅は、そこであの風を生み出した存在に思い当たる。
「っ! 楓っ」
あれが楓の声だった事には気付いていた。
修羅が急いで風が放たれた場所に行くと、そこには楓が真っ青な顔をして倒れていた。
「楓!!」
身体に触れた瞬間、楓の身体が痙攣を始めたのが分かった。
「っ--!!」
「早く抱き起こせ、ショックを起こしている」
遅れて駆けつけた忠望が珍しくせかすような早口で修羅を促した。それに頷き、修羅は楓を抱き起こし、抱えた。
「楓は無事ですか?!」
百合亜も真っ青な顔で駆けつけてくる。鉄線や典晶も駆けつけ、楓に声をかけた。しかしその後、楓は何度か呼吸停止し、その度に蘇生される事を繰り返し、ようやく身体が安定したのはそれから三日後の事だった。
だが、そんな楓の下に、いや、萩波の下に再び新たな問題が持ち込まれる事となる。
「萩波……」
明睡が気遣うように、声をかける。
萩波は美しい笑みの下で、痛む頭を抑えた。
まだ、三日前の襲撃の処理も捜査も済んでいないというのに。
先日、萩波の下にやってきた苑舞帝国の使者は美しい笑みを浮かべ、新たな皇帝からの書状を携えてきた。
そこに書かれていたのは
『そなたの軍で、『最も美しく聡明な女性』として、先日の襲撃で多大なる功績を挙げた女性--楓を我が帝国とそなたの軍の同盟の証としたい』
一体何故そうなったのか?
襲撃時は苑舞帝国の使者に同行し、彼等と行動を共にした軍の者達にもそれは分からなかった。
「楓お姉ちゃん、あ~ん」
「果竪、そこは普通、果物が宜しいかと」
「いきなり大根の漬物はお腹に堪えるんじゃない?」
「いえ、大根は好きですし」
「楓お姉ちゃん好き~~」
そんな事を知らない楓は、のんびりと寝台の上で果竪達と食事を取っていた。そう、自分の身に何が起きているか等、全く知らずに。