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風の娘と帝王の鳥籠(大根と王妃の過去番外編)  作者: 大雪
第一章 風の娘は帝国に望まれる
3/23

風の娘は帝都で騒動に巻き込まれる

「大きいですね」


 涼雪の言葉に、他の者達が頷いた。


 帝都は多くの神々で賑わっていた。

 他国からの商神達、または帝国全土から商神が集まってきている事もあって、多くの店が建ち並んでいた。


 露店も数多い。


「ここからは、何神かに分かれた方が良いか」


 一日二回、午前と午後に分かれてグループごとに気分転換に向かう。年少の子ども達が多いので、当然ながら自分達は午前組だ。


「まずは買い物しましょうよ」

「俺、何か食べたい」

「賛成~っ」

「私はそこのお店を見たいなぁ」


 嬉しそうな声が次々と上がる中、楓は辺りをキョロキョロと見まわしていた。その手を、葵花がそっと掴む。


「楓様?」

「ん?」


 こちらを心配そうに見上げる葵花に、楓は首を傾げた。


「どうしたの?」

「……だいじょうぶ、ですか?」

「え?」

「……なんだか、くるしそう」


 苦しそう?


 楓はまた首を傾げた。


 この帝都に来た時、楓が感じたのは--いや、今もずっと感じているのは不思議な感覚だった。懐かしい様な、知っている様な、それでいて心がざわざわする様な、落ち着くような、今すぐ走り出してどこかに行きたい様な--。


 そんな気持ちがグルグルとなって、楓は少し落ち着かない気持ちになっていた。


 けれど、自分を心配する葵花に楓は優しく微笑んだ。


「大丈夫よ。どこも苦しくなんてないよ」


 その時、小さな小さな棘が刺さった様な気がしたが、楓はそれを黙殺した。


 後から思えば、どうしてその様な事をしたのか--。



 気付いた時、楓と葵花は二神だけになっていた。辺りを見まわしても、他の面々は居ない。


「みんな、どこ……」


 葵花が不安げに周囲をキョロキョロとしている。


 ほんの、ほんの少しだけ、楓は周囲に気を取られていた。その隙に、周りとはぐれてしまったらしい。神の流れは多く、ある意味当然の結果ではあるが--。


「葵花ちゃん、大丈夫。すぐに会えるわ」


 他の者達の心配はしていない。保護者役は今回多く来ているし、彼等が側に居るだろう。問題は自分達だ。楓だけならまだしも、葵花も道連れに迷ってしまっている。

 現在位置は分かっているから、いざとなれば帝都の門か、その外の軍に戻っていれば良い。


 一応、迷った時はそうしようと決めていたが、まさか楓は自分がそうなるとは思わなかった。


「それより、葵花ちゃん。何か欲しいものは無い? 茨戯いばらぎ様からきちんとお小遣いを預かっているから、何か欲しいものがあれば教えてね」


 楓がそう言うと、葵花はその不安げな顔に小さく笑みを浮かべた。楓はホッと小さく息を漏すと、葵花の頭を優しく撫でた。


 それから、近くのお店を周りつつ他のメンバー達を探した。しかし、葵花の右手に林檎飴、飛騨の小脇にふかふかのぬいぐるみが抱えられるようになっても、他のメンバーは見つからなかった。


「う~ん……一度門に戻った方が良いかなぁ」


 そう言いつつ、楓は地図を見る。帝都内の観光地図で現在位置を確かめると、結構中に来ている。ここから帝都外の軍に行くには、馬車を使って一時間という所か。


「楓様、あれ、あれ」


 葵花が何かを訴える。指差す方向を見れば、そこには。


「……」


 露店にあったのは、大根のぬいぐるみだった。可愛らしいフォルムだが、白い身体と緑の葉っぱのコントラストが素晴らしく絶妙だった。


「……果竪ちゃんに?」

「うん」


 果竪と言えば大根。

 葵花は果竪へのお土産にしたいと口にした。


「……買おうか」


 一応、お金はまだまだ残っている。楓はその露店に向けて足を進めた。


「楓様--」


 手を繋いでいた葵花の息が詰まった様な声に、楓はハッと反射的にそちらを振り向いた。程なく、悲鳴と破壊音が鳴り響いた。





 その頃、萩波達は会議を一時休憩していた。たぶん、今日はもうこのままお開きになるだろう。思いの外、会議は手こずっていた。

 それは、やはり天帝軍の存在だろう。


 一時は減衰の兆しも見せていたが、再び勢いを取り戻した天帝軍は確実に迫っていた。数だけでは、反乱を起こした幾つもの軍を全て合わせた数の方が勝るが、長年神々の世界を支配していた天帝率いる軍はやはり一筋縄ではいかない。


 というか、現在の天帝は歴史上最高の愚帝だが、今まで培ってきた彼の血筋が生み出したものが厄介なのだ。


 この帝国だって馬鹿では無い。

 現在の天帝とその一派による腐りきった治世に吐き気を覚えつつも、動きはかなり慎重だ。下手な行動を取れば、自分の首を絞めると分かっている。


 女帝は傀儡の帝では無い。


 萩波は幾つかのやりとりの中で--いや、此処に来るまでの間にしっかりと理解していた。女帝も、現上層部、そして女帝と上層部の関係者及び協力者達もそうだ。


 女帝即位後--十五年で帝国をここまで立て直した。

 しかし、ここまで帝国内に影響を及ぼすには、十五年では効かなかっただろう。女帝がまだ女帝となる前--そう、皇妃だった時から、少しずつ、着実に土を耕し種をまき、栄養を注入していたのだ。


 またこの混乱のご時世。

 二つの小国と一つの中規模国家たる隣国が帝国と併合するかどうかとさえ言われている。自らそれを望んで居ると言うから、それだけの魅力がこの帝国にはあるのだろう。


 それらの国々も、決して愚かな国では無い。いや、一つは愚かだが、他はそれなりに国を治めていた。ただ、どんどん激しくなる戦火の前には、強い国と併合しなければやっていけないのだ。


 小国は淘汰され、中規模の国も存在が危うくなっていく。

 倒れた国、滅亡した国も多かった。

 そうして、この帝国を含めて逆に強国として残っていく国もある。


 帝国はきっと、この世界を巻き込んだ戦いの後も残っていくだろう。


 女帝と上層部と出会って確信した。


 静謐な空気を醸し出す、美貌の女帝。

 理知的な瞳が美しい『彼女』を一目見た瞬間、萩波は敵に回す事を止めた。


 必要であれば戦うが、なければ戦わない。

 それは向こうも同じだった。


 萩波率いる軍は、幾つもの軍の中でも名だたる強さを誇る。いや、強さだけではない。知謀と組織力、個神力にも優れ、幾つもの神脈を有する。


 幾つかの軍と同盟も結んでいるし、有事の時には駆けつける仲だ。


 帝国がいかに強大であろうとも、複数の軍から攻め入られれば無事では済まなくなる。


 そして帝国は、一度は萩波達を国土に引き入れた。天帝軍と敵対する意思があるという事だ。しかし、それはそれ、これはこれ。


 意思はあっても、無条件に手を組むわけではない。


 それは当然の事だ。

 例え敵対する意思はあっても、反乱軍と称されている軍を自国に引き入れるのと入れないのとでは違う。特に、萩波の軍は天帝軍に目の敵にされている軍の一つであり、今まで引き入れ通り抜けを了承したり、休憩場所として提供した軍に比べれば断然扱いが違う。


 もはや完全に敵対していると言えるが、天帝軍も馬鹿ばかりではない。それらに目を瞑って--と譲歩の提案をしてくるかもしれない。


 帝国は一枚岩に近い。けれど、完全な一枚岩ではない。


 膿もかなり出してはいるが、全ての膿を取り除いているわけではない。


 だからこそ、慎重に動かなければ。


 特に今は何が起きてもおかしくはない。


 そして、女帝と上層部に決断させる完璧な旨味--切り札となるものとしては、萩波の持つ手札は今回決定打にはならなかった。

 ただそれだけである。


「少し時間がかかりますね」

「もう少し話し合いを有利に進められると思ったんですけどね」

「まあ、仕方ありません」


 そもそも、この帝国を超えた先にある『結界』は特殊な物だ。それを解除する為の代物は帝国にとっての『宝』でもある。

 おいそれと渡す事は出来ないだろう。


「それに、『結界』を解かれる事で少なからずこの帝国にも影響はあるでしょうし」


 こちらが打ち損じる事はしないが、絶対とも言えない。

 元々、『結界』はかなり壊れてはきている。しかし、それでも機能している限りは『結界を解いた』状態よりも余程安全だった。


「なんにしろ、やるだけの事はやりました。後は待ちましょう」


 向こうも完全に『拒否』というわけではない。ただ、旨味の部分が少し足りなかっただけである。出来る協力はすると伝えてあるから、その足りない部分の旨味として、向こうが何か条件を提示してくるだろう。


「色々と物資の補給も手伝って貰いますしね」

「物々交換の代物はきちんと用意してあるが」

「それでも、一万という大軍です。民達には影響はどうしても出ます」


 自分達の生活に影響が出るとなれば民達は黙っていない。不満がどうしても出る。しかし、それ以上に旨味が大きいとなれば、民達はその不満を飲み込んで耐えてくれるだろう。


「しっかりと学んでおいた方がよいですよ」

「ん?」

「この帝国は、国としては上位に位置します。政治含む色々な面で。財政管理も素晴らしいですし、このご時世の中で治安も比較的維持されています」


 もし仮に国を統治する立場となるならば、学んで置く事は多い--。


 そう告げる萩波に、明睡は頷いた。


「そうだな--」


 そう呟く明睡に、萩波は小さく笑った。


 明睡もそうだが、古参メンバー、それに準ずる者達の中で平均を上回る者達は皆、まるで吸収剤が水を吸うかの様な吸収力を持っている。

 そしてそれらを上手に応用へと転ずる力にも優れていた。


 だから、少し促してやるだけで、彼等は自分の物にしてしまえるだろう。今までも、ずっとそうやって恐ろしいまでの吸収力で彼等は様々な事を吸収し、その技術と知識を自分の物としてしまっていたのだから。







 鳴り響く悲鳴と破壊音に、楓は反射的に葵花を後ろに庇った、しかし、悲鳴と音は彼女達から少し離れていた。


「一体、何?」


 神々が音のした方に走っていく。

 と、手を繋いでいた葵花が神の波に連れ去られていく。


「葵花!」


 楓は慌てて追いかけ、ようやく葵花の手を掴んだ時には、その音の発生源に辿り着いてしまっていた。



「ま、魔物!!」



 そこに居たのは、魔物。


 まるで大型のモグラの様な姿だった。

 実際、土の中を通ってきた様な跡が一直線に遙か向こうから魔物の後ろにまで続いており、その魔物が地中を住処とし、移動する種類だと分かる。魔物の身体は半分、土の中に入っていた。だが、土から出ている部分だけでも、建物の二階に匹敵する高さを持ち、巨大な二本の腕の他、いくつもの触手を生やし、それを振り回していた。触手の先は鋭い針になり、地面に突き刺している。一本でも突き刺されば、刺さり所が悪ければ確実に絶命するだろう。

 また、胴体部分に大きな口があり、ぱかりと開いたそこには鋭い牙が並び、そこから長い舌が飛び出ていた。


 恐ろしい姿だが、楓はふと懐かしい物を感じた。

 これは、この地方特有の魔物である事に気付いたからだ。


 長きに渡って、この地方はいくつかの魔物の襲撃に晒されていた。遙か昔、『大堕石』とこの国の歴史にも刻まれる出来事。本来は開くはずの無い魔界に通じる穴が開き、いくつもの魔物がこの国に堕ちてきた。いや、正確には時の術者に堕とされた。この国を転覆させようとした悪しき存在の手によって。

 多くは狩られ向こうの世界に戻されたが、全てを狩り終える前に政変と内乱が起き、しばらくその狩りが中断された結果、魔物は恐ろしい速さで増殖した。

 そう--魔物は予め、その様に手が加えられたものらしく、だからこそ討伐を急いだ。にも関わらず、三代前の皇帝のせいで討伐は中止され、結果、国全土に魔物は散らばってしまった。


 そう--愚かな、……のせいで。


 楓は、脳裏によぎった名前にハっと我に返る。というか、どうして私はそんな事を知っているのだろう?


 古参メンバーやそれに準ずる者達の多くは博識で、幾つもの国の歴史に詳しい者達も多い。けれど、何事も平均かそれ以下の楓には無理な話だった。そもそも、この国の名前も、今は女帝が治めている事も楓は果竪から教えられたぐらいだし。


 その時、楓はドンッと後ろから突き飛ばされた。思わずバランスを崩した楓に、葵花が駆け寄る。


「楓ねえさまっ」


 魔物の爪が迫り、悲鳴を上げる葵花を抱えて楓は地面を転がるようにして逃げる。しかし、バランスを崩してそのまま倒れてしまった。


 その足に、魔物の鋭い針が突き刺さる。楓は悲鳴を上げたが、葵花だけは守りきった。だが、運命は残酷にも楓から葵花を奪おうとする。


 魔物の触手が葵花の腕に絡みつき、楓の手から奪い取る。小さな身体が空に舞い、その四肢に絡みついた。魔物はまるで遊ぶように、葵花の四肢を引っ張る。葵花の両手両足がぐいぐい引っ張られていく。このままでは、四肢が引き裂かれる。


 苦痛に悲鳴を上げる葵花に、魔物は嘲笑うように力を込めていく。


「やめて!」


 楓は必死に葵花の下に行こうとするが、貫かれた足は地面に縫い止められている。がっちりと食い込んだ針は楓が暴れても傷口を深くするだけで抜ける事は無かった。

 ならばと誰かに助けを求めようとするが、周囲には既に神の姿は無かった。何とか探し当てた者は居たが、関わり合いになるのはまっぴらごめんだと逃げ去っていく。

 確かにそれは正しい。下手すれば、相手が葵花の身代わりになってしまう。


「葵花を、返して」


 しかし、魔物は楓の懇願を無視して、まるで虫の羽を戯れにむしる、子供の無邪気な残酷さを感じさせる様に葵花の四肢を引っ張り続ける。痛みは既に限界に達している。あと少し力を入れられれば、葵花の四肢は--。


「返して」


 楓の中に、悔しさがこみ上げる。けれど、それ以上に、ふつふつとした物がこみ上げてきた。


 それは激しく燃えさかり、楓の心を絡め取っていく。

 ゴウゴウと音を立て、灼熱の劫火が楓を包み込む。


「ねえ、さま」


 まるで最期の吐息の様な声が、楓の耳に聞こえた瞬間。


「返せと言ってるだろう?!」


 楓の怒りが爆発する。灼熱のマグマが大爆発を起こしたかのように、彼女の中に膨れあがった神力が放出される。

 楓の足を貫く針が弾き飛ばされる。


 彼女を地面に縫い付けていた物が無くなると同時に、楓は素速く立ち上がる。足から流れ出る血を物ともせず、彼女は溢れ出る怒りと共に魔物に向かって掌を突き出した。


「天駆ける風、大気を振るわせ不浄なる物を切り裂け! 風裂刃!!」


 風が凝縮され、幾つもの刃となって魔物へと向かう。それは魔物の触手を切り裂き、葵花の身体を解放した。力を失った幼い身体が、地面へと落ちていく。


「葵花!」


 落ちてくる葵花に手を伸ばした楓は、悲鳴を上げた魔物の触手に弾き飛ばされた。まだ残っていたのだ。


 このままでは葵花が地面に激突する--楓は必死に体勢を立て直し目にした光景に、思わず涙がこぼれ落ちた。


「あ、あ--」

「ごめん、遅れた」


 楓の後ろから声がかかり、振り返ると朱詩が立っていた。若干青ざめた顔だったが、すぐに楓の横に膝を突き、傷ついた部分に手をかざす。


「僕は治癒の術はあんまり得意じゃないけど、少しはマシでしょ」


 そう言って、楓の傷に施された治癒の術はあっという間に血が流れ続けていた楓の傷を治してしまう。


「葵花ちゃんが」

「大丈夫、楓も分かってるでしょ?」

「朱詩、楓は無事?」

「決まってんじゃん」


 こちらに背を向けたまま、魔物と対峙する彼--茨戯に朱詩は大きな声で返した。楓もすぐに少し離れた場所に立つ茨戯へと顔を向けた。

 彼はいつもの優雅な立ち姿をしていた。後ろ姿でさえ、恐ろしく優雅で、溢れる程の色香に満ちていた。


 そして後ろからでも、彼が葵花を抱き抱えている事は分かった。まるで大切な宝物を抱えるように茨戯は葵花を抱えている。


「葵花ちゃんは、大丈夫ですか?!」

「当り前でしょ」


 茨戯は素っ気なく言った。


「楓がしっかりとアタシが来るまで守ってくれたんだから」


 その言葉に、楓は涙が零れた。違う、自分は守れなかった。葵花に恐い思いや痛い思いをさせてしまった。だと言うのに、茨戯は楓を労ってくれる。


「楓、危ないから下がるよ」

「で、でも」

「葵花は大丈夫。本当はこっちに渡して欲しいけど、茨戯が手放さないよ。大丈夫、茨戯が傷つける筈がない。それより、楓が怪我した方が怒られるからね」


 朱詩は楓を立たせると、その場から下がらせた。魔物から目を離さずに、茨戯は楓が安全地帯に入った事に安堵の息を漏す。

 葵花が四肢を引き千切られそうになるその瞬間に、茨戯は朱詩と共に駆けつけた。異変を感じ、共に来た何名かと帝都に居る仲間達を探して散り、それ程経たない時に茨戯は最悪の光景を目の当たりにしてしまったのだ。


 茨戯の居る場所からはどんなに急いでも間に合わない。駆けつけた時には、葵花の四肢は引き千切られ、辺りは血の海になっているのは考えなくても分かった。

 それでも必死に距離を縮めたその時、楓の変化に気付いたたの゛。


 楓は術の中でも高位の術を放ち、魔物の触手を見事に切り裂き葵花を介抱した。けれど、その負荷は一気に彼女にのしかかり、顔は青ざめ呼吸も苦しげになった。その隙をついて、彼女は魔物の一撃を受けてしまった。


 しかし、その隙は確かに茨戯をこの場に間に合わせた。魔物はまた葵花を捕らえようとしていた。玩具を奪われた子供の様に癇癪を起こし、葵花に迫った魔物に茨戯は一撃を加えた。


「ふざけてんじゃないわよ」


 その時、頭に直接通信が入る。他の年少組は無事に仲間達が保護したらしい。後は、茨戯達が安全地帯に向かえば良いだけだが--。


「朱詩」

「ん?」


 離れた所に居る朱詩に、茨戯は決して大きくは無い声で名を呼んだ。朱詩は大きくは無い声で呼ばれながらも、しっかりと聞き取って返事をした。


「本当はここで退くべきよね」

「そうだね」

「でも、売られた喧嘩は買わないと礼儀に反するわよね?」

「勿論」


 朱詩は笑顔で答えた。

 茨戯は自分達の中ではかなりの常識神かつ苦労神ではあるが--それでも、一度火がつけば恐ろしい存在となる。火はつきにくいが、ついたら凄まじい勢いで燃え上がり広がるのだ。


「葵花を落さないでよ!」


 そう朱詩が声をかけた時には、既に戦いは始まっていた。魔物の触手が茨戯を襲う。それを茨戯は鞭を使って弾き飛ばす。十メートルもの長さのあるそれは、とある植物の蔦を使って作られたものだ。鞭の中でも十指に入る強力な鞭は、同時に扱いもとても難しい。そもそも、三つ叉に分かれ三本の鞭からなるそれは、ある程度の熟練さが無いと鞭同士が絡み合ってしまい戦い所ではなくなる。しかし、茨戯はまるで自分の腕の延長戦の様に巧みに鞭を操り、魔物を打ち据えていく。


「茨戯様--」

「大丈夫だよ、楓。心配する事は何も無いよ--むしろ、魔物が哀れ過ぎる」

「え?」


 朱詩の言葉に、楓はキョトンとする。けれど、すぐにその言葉の意味が分かった。


 普通なら神力を使用しなければ苦戦する相手は、鞭一つで追い詰められていく。茨戯は意地でも神力を使用する気はなかった。そんなものを使用せずとも、八つ裂きにしてくれる。


 三本の鞭は茨戯の巧みな腕の動きで自由自在に動き、それぞれの方向から魔物を狙いその身体を戒めていく。

 魔物は大きな身体を震わせ、咆哮を上げる。その大きく割かれた口から伸びた舌が茨戯を狙うが、それも茨戯の操る鞭で叩き落とされた。


「そろそろ遊びも終わりね」


 茨戯は散々自分が嬲った魔物にせせら笑うと、トドメを指すべく鞭を構え直す。その隙が致命的だった。


 魔物は最期の力を振り絞り、身体を地面から這い上がらせると、そのまま茨戯の居る方とは別の方向へと向かう。

 それは、逃げ遅れ物陰に隠れていた子供に、向かっていた。


「え?」


 子供は母親とはぐれた幼子だった。凄まじい物音と魔物の生み出す瘴気に怯え、その物陰から動けなくなっていた。そんな幼子に、魔物の牙が迫る。


 魔物は神喰いの種類だった。

 たとえ幼子とはいえ、少しは傷の治癒に繋がるだろう。葵花の時にも食べようとはしていたが、それ以上に嬲るのが目的だった。

 改造された魔物はより残忍になり、獲物を散々嬲り苦しめて食らう事を目的としていた。けれど、今は違う。少しでも早く獲物を食べ、身体を回復させ、あの忌々しい存在を食い殺さなければ。


 魔物の大きく開いた口が、子供に向かっていく。


「楓!」


 朱詩が気付いた時には、楓は走り出していた。そして絶対に間に合わないと思う距離を縮め、子供へと手を伸ばす。


 子供を庇い、突き飛ばそうとした楓だったが、それよりも早くに飲み込まれる。楓は子供を守る様に抱き締め、そのまま魔物の口の中へと飲み込まれていった。


 プツンと、茨戯の中で何かが切れた。


「テメエ--」


 鞭が振るわれ、魔物の身体戒める。そのまま、恐ろしい程の力--神力を使用し、魔物を持ち上げる。


 魔物が咆哮を上げた。


「とっとと吐き出せって言ってんだよ!」


 美しい女物に身を包みながら、赤く濡れた艶かしい唇から漏れるのは怒気溢れる男言葉だった。


 けれど、茨戯がその魔物を叩き付ける前に、朱詩がその魔物の腹部に一撃を加える前に、その魔物の身体を一本の『風の矢』が貫いた。それは、赤い光を帯び、一直線に魔物へと飛んだ。そして、その矢を受けた魔物は絶叫と共に身体が崩れていく。


 そして--。


 魔物の胃袋へと落ちた楓が、子供を抱き締めたまま崩れていく魔物の身体から落ちていく。


「楓っ!」


 朱詩は走り出し、楓の身体を子供ごと抱き抱える。


「っ! 茨戯の馬鹿!」

「あぁ?!」

「力任せに叩き付けて、楓と子供が怪我したらどうする気だったんだよ!」


 だから、朱詩はその前に魔物の身体に一撃を加えて吐き出させるつもりだった。けれど、出来なかった。


「っ……そ、それは、悪かったわ」


 頭に血が上っていて、ただ魔物を倒す事しか頭に無かった。でも、それでも茨戯は叩き付ける前に楓達にダメージがいかないように術をかけるつもりだった。

 しかし、もしタイミングがずれていれば、楓も子供も魔物の体内でミンチ状態になっていただろう。


 今も、魔物の体液塗れになっている楓達を介抱しながら朱詩が怒っている。というか、その体液は胃酸ではないだろうか?シュウシュウと楓の服から煙が出ている。身体もあちこちが赤くなっている。もう少し時間がかかっていれば、全身溶かされていたのではないだろうか。


「朱詩、水をかけて」

「は?」

「それ胃酸よ。さっさと洗い流せっていってんのよ!」


 いや、それよりも中和してやった方がよい。

 魔物の胃酸は特殊で、食べた物の血肉を自分の身体の傷の治癒や体力の回復の繋げる為なのか、ジワジワと時間をかけて溶かす。逆に言えば、そういった胃酸だったからこそ、楓達の身体への負担はここまでで留まっていたとも言えるが。


 そして、もし葵花が四肢を引き裂かれ、この魔物に食べられていたらと考えると、今になって茨戯は恐怖の震えが来た。


 一方、朱詩は楓達の介抱をしながら、先程の事が気にかかっていた。自分が一撃を加える前、自分の背後から放たれた矢。それは誰が放ったものか。


 楓達が無事だと分かり、ようやくその事に思い当たった朱詩は、ふとその耳に足音を聞きつけて振り返った。


 そこに居たのは、この国の武官達だった。

 いや、正確には帝都の警備隊とその上官である若い青年の姿。年の頃は二十歳をいくばかか超えたぐらいか。特に上官は王宮内でも地位ある者なのだろう。

 酷く麗しく妖艶な顔立ちの青年は、それでも男と分かる美貌に朱詩は何となく嫉妬じみたものを感じる。確かにどこか女性的な顔立ちではあるが、それでも彼を女と見紛うものは居ないだろう。全体的に柔らかく、それでいて凜とした佇まい。

 滴る様な色香を放ちながら、身に纏うストイックな軍服のアンバランスさは、見る者の欲望をかき立てる。


 ああ--と朱詩は思った。

 確かに女性的な顔立ちではあるが彼を女と見紛うものは居ない。けれど、この男もまた、自分達と同じだ。


 首筋で緩く結んだ長く艶やかな髪が風に揺れる。

 美しいラヴェンダー色の瞳が、見開かれている。

 その視線の先--。


 朱詩は、視線を辿り、その視線の先にいるのが楓である事に気付いた。


 一体どうしたと言うのか?


 ただ、朱詩は何か嫌な予感を感じて、楓を彼から隠す様にした。その時、彼の刀に紐のついた玉を見つけた。

 あれは、この国の上層部に次ぐ者達に賜れたものだ。いわば、上層部の側近達と呼ばれる者達に付けられる。


 この国は、位によって賜る玉の色が違う。つまり、玉によって官位や身分が分かる仕組みになっているのだ。


 一番高貴な色は、『濃い紫』で王--現在は女帝が持つ。そして薄い紫色はその伴侶が持つ。そして、上層部は濃い青色の玉を持ち、その側近達は薄い青色の玉を持つ。

 そして--。


 相手が、動いた。


 朱詩は考えるのを中断し、楓を庇うように抱き締める。そして向こうが何か言うよりも先に、口を開いた。


「この子も怪我をしている。最低限の治療はしたけど、手厚く介抱してやって欲しい」


 その言葉に、まるで何かに誘われるようにフラフラとこちらに歩み寄ってきた男がハッと我に返る。


 朱詩は茨戯の方に視線を向けると、彼も何かを感じ取ったのだろう。茨戯は彼等に近づき何事かを告げると、朱詩へと歩みよってきた。


「帰るわよ」


 朱詩に葵花を預け、代わりに子供を警備隊の一神に渡す。そして、朱詩達を追い立てるように、茨戯は再び葵花を抱き上げる。


「待て--」


 後ろから声がかかるが、茨戯は振り返らなかったし、朱詩もそれを無視して歩き出した。そもそも、帝都の警備に穴があったから、あんな魔物に入り込まれたのだ。そして、楓は巻き込まれた。こちらはその魔物が他に被害を与える前に食い止め--まあ、トドメはあの上司の男の手によるものだろうけど、それまでの功績はこちらにある。


 自分達の足止めが出来る様なものは向こうにはない。


 まあ、この国とは現在、萩波達が色々と交渉はしているが--それにしたって、そちらに影響が出るようなものは無いだろう。


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