風の娘は目覚め、軍では騒動が起きる
苑舞帝国は、元々『苑国』と呼ばれていた。それが『苑舞』と名を変えたのは、帝国と名乗るようになってからだと言う。
詳しい事は分からないが、国が名前を変える事はその当時はよくある事だった。
民達が飢えぬように。
戦いが起こらないように。
当時、戦国時代と呼ばれる程、その地域は戦いに明け暮れていた。
その戦いを制し、一つに纏め上げたその王は『英雄王』として神々から歓迎された。
長きに渡る戦乱を収めた偉大なる覇王--。
現女帝は、その覇王の再来と呼ばれる。
それ程に、帝国は腐り果て、民達は疲弊し、平穏を求め、栄華と繁栄を誇った『英雄王』の再来を求めていた--。
まあ見て--
ああ、あの--
失寵した正妃様の--
いやねぇ、最初から寵愛なんて
皇帝陛下に愛されない皇女様
妹皇女様とは全然違うわね
本当にどうして
あんな娘が生きて
『お前など、さっさと死ねば良かったのに!!』
飛び跳ねる様に目覚めた楓は、荒い息を吐きながら自分が泣いていると気付くまでに少し時間がかかった。けれど、それについて何かを思う前に音を聞きつけたかの様に足音が聞こえてきた。少し荒い足取りだったが、室内に入ってきたのは見覚えのある少女だった。
「楓様!!」
相変わらず美しい菖蒲。けれど、どこか窶れたような印象を覚えた。ただ、それさえも婀娜っぽいのだから、彼女は本当に美しいと言えるだろう。
菖蒲は楓に駆け寄ると、そのまま抱きついた。その行動に、楓は驚いて息をのんだ。あの淑女の鑑とも言うべき菖蒲の行動とは思えない。
「ああ、良かった!! どこか具合は悪くありませんか? あれから三日も目を覚まして下さらなくて--」
三日--いや、楓は今まで最長で一週間意識を失ったままだった事もあった。だから、三日はまだ許容範囲内で--って。
楓の脳裏に、今までの記憶が蘇ってきた。
三度目の魔物襲撃事件。そこで、楓は魔物に押さえつけられ、果竪は--。
「果竪!!」
思わず叫んだ楓に、菖蒲が顔を上げる。
「果竪は、果竪はっ」
「落ち着いて下さいませ、楓様」
「果竪は無事なんですか?! --って、あれ? ここどこですか?!」
見れば、ここは見覚えの無い部屋だった。しかし、見た事もない豪華な部屋である。いや--萩波達なら見た事どころか、見飽きた様な光景かもしれないが、楓にとっては自分が居るのが申し訳なくなるぐらいの部屋だった。
広い室内には、楓から見ても分かる高価で品の良い調度品が置かれている。そして、楓の今居る場所は--。
天蓋付きの広い寝台だった。
壁の中をくりぬいた形で設置されたそれは、幾重にも垂らされた薄絹の幕を閉めたとしても全く窮屈では無い。むしろ、そこだけで一つの部屋だと言っても良い。
楓が滞在していた寝泊まり用のテントよりは小さいが、寝台としては広すぎる。手触りの良い毛布が何枚も敷かれており、触っているだけで眠気が来そうだった。
しかし今は眠気を誘われている場合では無い。
あたふたとして、今にも寝台から飛び出しそうな楓に菖蒲は大きく息を吸うとよく通る声で彼女の知りたい答えを告げた。
「大丈夫です、将軍夫神も、他の皆様もご無事です」
「そ--」
楓はへなへなと全身から力が抜けた。
「無事、ですか」
「はい、怪我神は出ましたが、全て治療されております」
「……良かった」
ボロボロと涙をこぼす楓は、嬉しさが胸にこみ上げ涙が止らなくなった。
「あの、帝国の方達が助けて下さったんですか?」
楓の質問に、菖蒲が動きを止める。
「……何故そう思うのですか?」
「え? いえ、ただ--」
ぼんやりとした意識の中で、楓は自分を包み込む風を感じていた。温かい風--それに気付いた時、何故か思ったのだ。
帝国が助けてくれた--と。
「あの、えっと」
ただ、それを楓は上手く説明出来なかった。言葉に詰まる楓は、悩んだ末に話を変えることにした。
「その、とにかくみんな無事で良かったです。菖蒲様達も」
「菖蒲です」
「あ、はい、菖蒲--達も」
呼び捨てにすると、ようやく菖蒲は嬉しそうに微笑んだ。
「私も、皆様がご無事で良かったですわ。特に、将軍夫神は……」
「菖蒲--?」
「貴方様を拾い救って下さった方なのですから」
果竪は楓を拾って助けてくれた。それを楓は菖蒲に話をした。確かに話した。けれど、どうしてここまで菖蒲が嬉しそうにしているのだろうか?それに、楓が誰に助けられようと、帝国の高位の地位に就く菖蒲には関係ないと思うのだが--家族でも無いし。
しかし、嬉しそうに微笑む菖蒲を見るのは--楓は嫌では無かった。
果竪が目を覚ました時、一種の騒動となった。
今回の件で怪我神は多数出たが、軽傷な者が多く、それも非戦闘民が殆どだった。また瘴気の影響を受けた者達も的確な治療で既に回復していた。
だから果竪が一番重症で、治りも遅かった。
治療はされたけれど、体に受けたダメージは瀕死寸前だった事もあって多大に蓄積された結果--体の怠さという形でしっかりと残っていた。
果竪は基本的にすばしっこい所があるが……目覚めて間もない体は、思う様には動かせなかった。
「果竪の馬鹿ぁ!!」
朱詩に泣かれ、修羅に泣かれ、忠望には無言の怒気を放たれ、茨戯はヒステリックに怒ったり泣いたりされた。明睡は忠望同様に無言で怒り、明燐は果竪にしがみついて離れなかった。
他の面々も泣いたり怒ったり。
ただ、怒っている者達も皆、それが心配の裏返しである事は分かった。分かったけれど、その迫力に果竪は思わず側に居た萩波に抱きつき--。
「もっと、もっと果竪を叱って下さい!!」
と、萩波に鼻息も荒く懇願された皆は、即座に冷静さを取り戻した。お前の欲望には協力しない、絶対に。
「どうしたのですか?」
「どうしたじゃねぇよ」
「アタシ達に何をやらせようとしてんのよ」
「なんで僕達が萩波の欲望の為に果竪を虐げなきゃならないんだよ」
自分達の欲望の為に虐げた事はあっても、萩波の欲望の為に虐げた事は一度も無い。それは胸を張って言える。
周囲からのお叱り止んだ事で、果竪が萩波から離れようとした。が、その前に萩波が果竪を膝の上に座らせて後ろから抱き締めた。
「みぎゃぁぁぁあっ」
猫だったらたぶん尻尾が逆立ち耳がピンと立っていただろう。にゃあにゃあと鳴く子猫の様に助けを求める果竪に「あ、可愛い」と思いつつ、後ろの魔王が恐ろしくて手が出せない。
「ってか自分の欲望の為に僕達を巻き込まないでよ!」
「失礼ですね、私は常に自分の欲望に忠実に生きているのです」
微妙にかみ合っているようでかみ合っていない会話。
「ロリコン鬼畜大魔王」
「失礼ですね。そもそも、そんなロリコン鬼畜大魔王の下に就いたのは貴方達ではないですか。私は一度もロリコン鬼畜大魔王の下に就きなさいと強要した覚えはありません」
萩波は自信満々に言った。
「いや、果竪が来る前はロリコン鬼畜大魔王じゃなかっただろ。あと、俺達はロリコン鬼畜大魔王には従ってないから」
そんな看板を背負っている相手に従うどころか、わざわざ従いに行く様な勇気は残念ながらここに居る誰も--いや、居ない者達だって持ち合わせていない。
そうだ。最初からロリコン鬼畜大魔王に付き従ったのではなく、付き従った相手が後天性のロリコン鬼畜大魔王だったわけで。
既に心を決め終わった後に分かったのだからもうどうしようもない。
「嫌なら良いんですよ。強要しませんし。それに、私みたいなロリコン鬼畜大魔王を主と頂くよりも、もっと主に相応しい者達は軍には沢山居ますから。ああ、なんなら貴方達の中の別の誰かが軍の統括者になっても良いですし」
実際、萩波が居なくても代わりのリーダーになれる者達は何神も存在する。明睡や茨戯、朱詩もそうだし、忠望だって出来るだろうし、それ以外にも沢山居た。また女性であってもリーダーになれるだろう。
萩波にこそ敵わなくとも、彼等は恐ろしく能力が高かったし、神民を掌握する術に長けていた。彼等は自分達が気付かないだけで、生まれつきその手の高い才能を持っていた。
彼等は萩波の側に居る内に、それに磨きをかけていった。神民を掌握する術は一つではない。実に様々な方法を彼等は学び、そして考え生み出していった。
それに、軍の中でも古参メンバーやそれに準ずる者達の大半は、それぞれの部隊を持っている。彼等に忠実で、彼等に心酔し、彼等を『王』と戴く者達を。
そして常に努力と研鑽を忘れず、今までにも何度も鼻っ柱を折られてきた経験を持つ彼等だからこそ、萩波の代わりを務める事が出来た。
そう--萩波が最初に興した軍であっても、その統括者がずっと萩波である必要性などどこにもないのだ。
国のトップがすげ替えが可能なように、軍のトップがいつの間にか変わっている事なんてよくある事だ。
それにトップなんて、重責やら義務やら責務やら色々と面倒事ばかりつきまとう楽しくも何ともないものだ。それよりは一般兵としてある程度上の命令に従えば好き勝手出来る位置の方が余程楽である。
まあ、軍を興したにも関わらずその責任を放棄して--と言う部分もあるから、補佐として新しい統括者を支える事ぐらいはしようとは思う。それも、新しいトップが許せば--だが。
元々、萩波は故郷の村やそこに住まう優しい村神達に迫る戦火をどうにかしたくて、彼等が穏やかで優しい世界で生きられるように--と、村の外に出た。
ちっぽけな男のちっぽけな夢。
時の支配者達からすれば、腹を抱えて笑われる様な愚かで素朴で、けれど萩波にとっては何が何でも叶えたい夢だった。
守りたかった。
村を。
そこに住まう優しい優しい村神達を。
自分と母を。
ボロボロになり、味方も居らず、全てに絶望し死を望んだ自分達を。
村神達は丸ごと受け入れてくれた。
全力で守ってくれた。
萩波がただの子供でいられる時間を作り、母が死ぬまで『幸せだった』と思わせる神生をくれた。
母が死んだ後も、萩波を村神達は守り続けてくれた。
守りたかった。
恩を返したかった。
村の事は気にせず、お前が幸せになれる道を選ぶようにと願ってくれた村神達を。
萩波は絶対に守りたかったのだ。
しかし、時は大戦時代。
略奪は日常茶飯事で、幾つもの村や町、国が戦火に巻き込まれては消えていく。
誰かに頼ってどうにかなる問題では無かったし、誰かがどうにかしてくれるのを待っている暇も無かった。
どうにかするには自分で動かなくてはならないという事を思い知り、その力を手にした。
その力こそが『軍』だった。
萩波の率いる軍は、あっという間に名が知れ渡る程に強大で強力なものとなった。その勢力は凄まじいの一言だった。
守れるはずだった。
でも、守れなかった。
そうして、守るものが果竪を残して居なくなった今--。
村と村神を失った今、果竪一神だけなら、萩波はいくらでもやりようはあった。戦火が迫るなら、それが届かぬ場所に果竪を連れて逃げれば良い。
果竪一神なら何とでも出来た。
ただ--今の萩波には、もう果竪一神だけを守るというだけでは済まなかった。始まりが何にしろ、萩波は軍を興し、多くの者達が入軍した。萩波自身が拾った者達も多く存在した。最初から捨てるなら拾うなというように、本神達が独り立ちしても大丈夫と言うならまだしも、まだ今の時点では彼等を放り出す事は出来なかった。
彼等が萩波をいらないと判断して離れていくまでは、萩波は果竪を連れて出奔という道を選ぶ事は無い。
最後の一神まで、萩波を必要ないと言うその時まで、萩波はそこに居るつもりだった。だから、統括者の地位は譲っても、何らかの形で萩波は自分が拾った者達、自分の軍に入ってくれた者達の神生に責任を持ち続ける。
ただ、それには統括者の地位に居なくても良いのだ。
それに、何度も言うが、自分じゃなくてもリーダーに相応しい者達は多いし、彼等の方がより軍を上手に率いれるかもしれない。
そんな思いもあって萩波は『自分でない誰かが軍の統括者になっても良い』と言ったのだ。そこで誰かが立候補すればそれで良いし、他薦でも別に構わない。
しかし、そんな萩波の視界に映った仲間達は--。
「皆さん、どうしたんですか?」
全員、顔面蒼白だった。
ガタガタと震え、中には泣き出す者まで居た。
「萩波、軍の統括者を辞めるの?」
果竪だけが、どこか焦った様な顔をして萩波を見つめていた。
「そうですね、それも良いかと思いまして。なに、私でなくても--いえ、私より余程上に立つのに相応しい方達が居ますし。それにそもそも私、神の上に立つ様な優れた存在ではありませんしね」
萩波が優れていなければ誰が優れている。
萩波が神の上に立たなければ誰が立つ。
「とはいえ、私が軍を興し、色々と拾ってきた手前もありますからね。皆が一神前に独立して好き勝手出来るようになるまでは、なんらかの形で手助けはしますが」
私、裏方とか土台的な役割が似合うんですよね~と告げる萩波に、果竪は悩んだ。
萩波はそう言うが、果竪から見ても萩波は神の上に立って偉い神をやっている方がお似合いだ。王様とか皇帝とか、そういうのが似合う。
「でも萩波」
そう果竪が言葉を続けようとしたその時だった。
絶叫に近い悲鳴が響いた。
嫌だと叫び、泣き出す仲間達に萩波は驚いた。
「あれ? どうしました?」
この仲間達がこんな周囲を憚らずに泣くなんて--。
一応、ここは帝宮近くに与えられた萩波達の新たな拠点で結界も張られてはいるが……あんまり騒げば「何事か?!」と帝国の者達が見に来るだろう。
「萩波が『王』だろ!!」
明睡の叫び声に、萩波は答えた。
「いえ、ただの一軍の統括者です」
国じゃないのだから『王』では無い。
「萩波以外の誰かが僕達の上に立つなんてヤダ!!」
朱詩が騒ぎ、他の面々も力強く頷いた。
「萩波だけが私達の王だ!!」
鉄線も叫び、百合亜や修羅が頷く。
「言っとくけど!! アタシ達の誰も萩波の代わりにはなれないのよ?!」
「それは当り前ですよ。私が茨戯や他の皆の代わりになれないのと一緒です」
萩波は淡々と告げた。
「それは誰にでも言える事ですよ」
誰も、誰かの代わりにはなれない。
「しゅ、萩波は、俺達を捨てるのか?」
「捨てませんよ。だから、貴方達が一神前になって独り立ちして、私をいらないと笑顔で切り捨てられる位になるまでは側に居ますよ」
「ほ、本当か?!」
「ええ、果竪もそうですし」
「え?」
果竪は突然話を振られて、目を瞬かせた。
「いや、私は別に居なくても」
萩波の様に軍を率いているわけでもないし、絶対に居なくてはならない存在でもない。と、告げようとしたが。
「果竪が僕達を捨てるぅぅぅぅっ!」
「なんで泣くの?! 朱詩!! ってか、萩波と比べても私の必要性無いよね?!」
「果竪が僕達を捨てて別の奴らのとこに行こうとしてる!!」
朱詩の叫びに、また泣き声が響いた。
ってか、こんなに泣く明睡達は初めて見た……と果竪は思った。とにかく、萩波に後ろから抱き締められた状態で前から明燐に抱きつかれるし、鉄線には鬼気迫る表情で「行かないよな?」と言われるし、百合亜は真っ青な顔をして今にも倒れそうだった。
他の男性陣、女性陣も同様だった。
「ちょっと待って、萩波が居なくなるのが嫌で騒いでいたんだよね?」
「果竪が居なくなるのもヤダ!!」
そうして喚き散らす周囲を見ながら、萩波は「困りましたね」と苦笑した。そして果竪は。
みんな優しいからなぁ--
と、優しさ故に、みそっかすで無能な果竪の事も萩波のオマケとしてこんなにも惜しんでくれているのだと悟った。
それが誤解で、彼等は本当に心の底から果竪が好きであって、別に同情でも優しさからでも何でも無いと果竪が思い知らされるのは……それからもっとずっと後の事。
そう--大戦が終わり、彼女が大国の王妃となってから更に後の事となる。
そう……この時、切々と、懇々と違いに理解し合うまで話し合えば良かったのだ。
そう……話し合えば、果竪達も
そして--
「陛下、が?」
「ええ、一度楓様に直接お会いしたいと」
「……」
過去の悲劇も、そしてこれから先のすれ違いも起きなかった筈なのに。




