帝国から送られたものに、風の娘は混乱する
その者達は、萩波の軍で美しい者達を見慣れている楓の目からでも、十分過ぎる程美しいと思えた。
楓は、萩波に呼ばれて来客用のテントに向かい、そこである者達と引き合わされた。
それは、苑舞帝国の使者団の長と、そんな彼に付き添われた美しい女性達だった。
女性達の平均年齢は十代後半から二十歳位か--。
美しい--。
素直にそう思った。
とはいえ、美しさだけなら彼女達よりも美しい者達は、この軍の中には少なくなく存在する。しかし、なんと言うか……その、とても色っぽいのである。決して下品なものではなく、むしろ高貴さと気品が漂う色香は、それこそ選ばれた者だけが視界に入れる事を許される……そんな気持ちにさえさせた。
同性である楓でさえそうなのだ。
異性からは、触れたくても触れられない高貴な高嶺の花と思われている事だろう。というか、絶対に彼女達を巡って争いが起きる--位には美しかった。
そして、確かに軍の美しいとされる者達には敵わないとしても、彼女達の美貌は大きな都でも滅多にお目にかかれない程の美少女達だった。
あと、なんと言っても若い。
十代の少女達が持つ若く瑞々しい輝きが何とも言えない眩しさを楓にもたらしていた。
楓はどう見ても二十歳かそこらだ。
ただ、楓にもあった筈の十代でもここまでの瑞々しさはあっただろうか?
それに、若いからといって決して浅さは感じられず、むしろこう大神の色香も持ち合わせている彼女達。
その上、一目見て思慮深さと聡明さが見て取れる。
萩波の軍に拾われて十五年。周囲がハイスペック過ぎた事もあり、楓は思いの外審美眼他、色々な観察力と洞察力を鍛えられてしまっていた。
そんな楓だが、彼女にも分からない事はあった。
というか、なんで自分が呼ばれたのだろうか?
楓は確かに果竪達と仲良くしてはいるが、彼女自身は古参メンバーでもそれに準ずるものでもない--いわば、結構新しめの入軍者である。
果竪のおかげで、古参メンバーやそれに準ずる者達とも言葉を交わし、今では軽口を言い合うぐらいには仲良くなれたが……。
「楓、大丈夫ですよ」
萩波が安心させる様に微笑みかけてくれる。
楓は特別な存在なんかじゃない。
萩波の妻である果竪や、明睡の妹である明燐ならまだしも。
いや、百合亜は修羅の大切な神だし、葵花は茨戯の大事な養い子で、小梅と涼雪だって--。
楓は特別じゃない。
楓は平凡だ。
居ても居なくても困らないような存在なのだ。
だから--。
「楓? 具合が悪いのですか?」
萩波が声をかけてくれるが、楓は答えられなかった。そんな楓に、少し離れた所で事態を見守っていた軍の古参メンバーの中でも上層部と呼ばれ、現在此処に居る事を許された数名が、心配そうにこちらを見ている。
「まだ怪我が治りきっていないからな」
「休んだ方が良いと思うわ」
「楓、とりあえず椅子に座りなよ」
明睡が溜息をつき、茨戯が提案し、朱詩が椅子を用意する。体長を考慮して側に付き添わせた修羅と鉄線が、楓に近づく。忠望は動かず、他の仲間達とテントの隅に立ち、事の成行きを見守っていた。
「楓、大丈夫か?」
同性という強みに訴えて付き添いを勝ち取った鉄線は、楓を椅子に座らせるとその前に跪き、その青白い顔を見つめた。
「無理も無い。一時は痙攣を起こして本当に危なかったんだ」
「……」
「下手したら死んでいたかもしれない」
その時、鉄線はまるで鋭い針が身体に突き刺さった様な痛みを覚え、勢いよく後ろを振り返った。が、身体には何も刺さっていないし、何かをした様な相手も--。
鉄線は、こちらを穏やかな眼差しで見ている女性--菖蒲に気付いた。美しく穢れの無い笑みだったが、ぶるりと鉄線は身体を震わせた。
「鉄線?」
「あ、ああ、なんでもない」
修羅に声をかけられた鉄線は、その瞬間、押しつける様な威圧感から解放された感覚を覚えた。いや、いつの間にそんな事になっていたのだろうか。
ただ、それを口にするだけの気力はいつの間にか鉄線からは無くなっていた。
「楓、無理なら後で」
萩波の気遣いに、楓はようやく首を横に振った。
「だい、じょぅぶ、です」
そう言って、微笑む。それが上手くいったかは分からないが、とにかくここで自分が倒れる事は出来ないと思った。
「その、どうして私が此処に呼ばれたのでしょうか?」
「……それは」
萩波は少し躊躇ったが、それでもいつもの様な優美な笑みを浮かべて楓に苑舞帝国の使者、そして女性達が居る事を説明した。
最初は相づちを打ちながら聞いていた楓は、女性達が自分の世話の為に来て、しかも彼女達は苑舞帝国前皇帝の皇女の--という下りになった所で血の気が引いていった。
「と、いう事なのです」
そこで、楓は一杯一杯になってしまった。
パタンと倒れた彼女に、鉄線の悲鳴が響き渡った。
楓が目を覚ました時、そこはいつもの自分のテントだった。見覚えのあるテントの天井が見える。テントだから天井というのは些かおかしいかもしれないが……とにかく、いつも見ているそれが見えて楓はホッと息を吐いた。
なんか凄く恐ろしい夢を見たが、あれはきっと夢だったのだろう。
楓はそう思った。思う事にした。むしろそれしかない。
苑舞帝国の高貴な少女達が、自分の世話だなんて--。
「目が覚めましたか?」
美しい顔が視界に入り込む。相変わらず、滴る様な色香が素晴らしい--。
その同性でさえ思わず来る様な色香を浴びながら、楓は目をパチクリとさせた。そして、数拍。
テント内に響き渡った絶叫は、外まで響いた。
程なく、勢いよくテントの入り口がまくり上げられ、パタパタと見覚えのある少女がやってくる。
「楓お姉ちゃんっ!」
ああ、果竪。
今はその平凡過ぎる顔立ちがとても懐かしくて癒やされる。
楓は転がるようにして寝床から這い出ると、駆け寄ってきた果竪を抱き締めた。まるでそうする事で、いつもの日常が戻ってくる--と言わんばかりに。
「か、楓お姉ちゃん、痛い--」
「果竪、果竪--」
心地よい温もりと柔らかさを感じながら、楓は「これは夢だ」と繰り返した。というか、もう一杯一杯でわけが分からない。あれは夢だったのではないのか?
「将軍夫神様、楓様はまだ落ち着かれていませんので見舞いは後に」
柔らかく、けれど有無を言わせない物が込められた口調でその少女は果竪に向けて口を開いた。
「楓お姉ちゃんの悲鳴が聞こえたから」
「夢見が悪かったのでしょう……とてもお疲れのようですし、まだ傷は癒えてはいないのですから」
さあ、寝床に戻りましょう--と甘く囁く様な声が近づき、楓はぶんぶんと首を横に振った。
「い、いえ、もう起きます!」
「ですがまだ」
「もう大丈夫です!」
楓は果竪を抱き締めたまま叫んだ。一方、果竪もいつもと様子の違う楓にオロオロとしていた。
「あ、あの、ど、どうして」
楓は必死に自分を奮い立たせて今まで疑問に思っていた事を聞いた。
「どうして、ここに居るんですか?!」
あれは夢、夢だよね--そう、自分を鼓舞しながら聞いた。
「もちろん、楓様のお世話をさせて戴きに参りました」
楓は意識が遠のきかけた。
実際、果竪の温もりがなければ、楓は完全に気絶していただろう。
「すいません、とても断り切れなくて」
あの後、萩波が楓の下に改めて事情説明にやってきた。果竪は明睡の妹の明燐が引き取り、苑舞帝国の者達もテントから出されていた。
萩波の言い分は最もだった。向こうは好意で行なってきているだろう事を突っぱねるのは、こちらに対する向こう側の心証を悪くするだろう。
ただ、だからってなんで自分に--と楓は泣きたい気持ちになった。
楓は平凡で、とくに優れた所も何も無い存在だ。
特別な存在でもなく、居ても居なくても困らない身の上だ。
だと言うのに、何故かお姫様の様に侍女と呼ばれる世話役達を手に入れてしまっていた。いや、楓はお引き取り願いたかったが、向こうが譲らない。そもそも萩波達でさえ負けたのだから、平凡で無能な楓が勝てるわけも無いのだ。
「申し訳ありません。その代わり、貴方の願いは何でも叶えます」
そんな破格の申し出をしてくれた萩波に。
「なら、果竪と一緒に居られる時間を増やして下さい」
気の休まらない時間を、せめて癒やしの存在で緩和したい--そんな申し出に、萩波は頷いた。それに、古参メンバー達やそれに準ずる者達は驚いた様だが……。
最終的には、萩波が了承するならと受け入れてしまった。
「本当に貴方には迷惑をかけますね」
そんな言葉まで頂いてしまって慌てる楓に。
「あのですね、確かに敵対する相手に対しては私は容赦はしないですが、何もしてこない相手に必要がなければ喧嘩なんて売りませんよ」
確かにそうだが……そうだが。
「でも、私と会っていたら果竪との時間が」
「そんなのは微々たるものです」
そう言い切った萩波に、楓は何も言えなかった。
「それに、貴方は果竪が拾った存在ではありますが、入軍したからには軍の大切な仲間。軍の者達を守るのが私の役目ですよ」
萩波の言葉に、楓は熱い物が胸にこみ上げた。
萩波は誤解をされやすいが、幼い者達や弱い者達に優しく、仲間達を大切にしていた。それは、古参メンバー達やそれに準ずる者達だけではない。
彼は、軍に入った者達が衣食住に困らない様にしてくれたばかりか、よりよく過ごせる様に心を砕いて接してくれていた。
厳しい面も多いけれど、それでも彼の優しさを理解している者達はしっかり理解している。彼はただ厳しいだけではない。
美しいだけで皆が慕っているのではない。
強いだけで慕っているのではない。
萩波が萩波だから--。
「本当に貴方には迷惑をかけますね」
「萩波様?」
「貴方には、周囲が果竪に辛く当たっている時から世話になっていましたから」
「い、いえ--」
辛くといっても、それは楓が拾われてから三年ぐらいで終わった。そしてその三年はある意味転換期だった。
周囲は少しずつ、果竪に対する態度を変え始めていたし、実質酷かったのは一年かそこら。
だから、楓は果竪が一番苦しくて辛かった時期には側に居る事は出来なかった。それは、小梅や涼雪も同じで、彼女達も果竪が軍に保護された後に入軍している事もあって、果竪の側にずっと寄り添えなかった事を心の底で悔やんでいる。
それに、一番悔やんでいるのが果竪を苛めた者達である事を楓は知っていた。
取り返しの付かない事をしてしまった。
彼等は色々と未熟だった。それを成長させる暇なんて無かった。彼等が生きるには、甘さも優しさも、常識も倫理も全て捨てなければならなかったのだから。
そして、誰よりも彼等自身が自分達の罪を理解している。
だから、本気で彼等をそれ以上追い詰める者達は居なかった。
何よりも果竪が許した時点で、それを周囲がガタガタ言う事ではない。同じ事を繰り返させない事が大切なのだから。
「……あの」
「はい?」
「そもそも、どうして私なんですか?」
楓は疑問に思っていた事を聞いた。
「果竪とかならまだ話は分かります。萩波の……妻ですから。それに、明燐とかも。でも、私は、素性も知れない記憶喪失者で、しかも果竪に助けられてようやく生きる事が出来た。そして軍に入っても、これといった才能も何も無くて……」
「自分を卑下にしてはいけませんよ」
「萩波様……」
「貴方はとても魅力的です。貴方だけではない。私の軍に居る者達は皆そうです。軍の統治者たる私が言っているのです。他の雑音など気にしてはなりません」
萩波は艶やかな笑みを浮かべると、楓の頭を撫でた。どう見ても萩波の方が年齢としては年下だが、実際には萩波は誰よりも大神びていた。
「それに大丈夫ですよ。苑舞帝国の者達は、傷の癒えていない貴方の世話をと言っているのですから、傷が癒えれば帰るでしょう。ですから、頑張って身体を治して下さいね」
「は、はい」
「それに、帝都の件、そしてこの拠点の襲撃の件が解決すれば……だから、何も心配はいりません」
何も……その言葉に、楓は頷いた。けれど、心の何処かで囁く様な声がする。
「楓」
「はい」
「私達は貴方がここに居たいという限り、貴方を歓迎しますよ」
「私が、居たいという、限りですか?」
「ええ。もし愛想を尽かされて出て行きたいという時に無理矢理は……ねぇ」
「……」
楓は、萩波を見つめた。
「……分かっていますよ」
萩波は楓が何を言いたいのか正確に理解した。
「ですが、果竪は別です。そもそもあの時、果竪の思い通りにさせていたら、果竪は最終的には奴隷売買の商品とされていたかもしれません」
「でも、信頼おける相手に任せるという事も出来たのでは」
「そこで相手と恋が芽生えたらどうするのですか!!」
楓は思った。
どれだけ萩波が大神びていようとも、彼はまだ十代の少年なのだ。
「楓も恋をしたら分かります!」
「そんな恋ならしたくありません」
「楓?! その年齢で枯れ果てるつもりですかっ?!」
「いえ、そもそも私みたいなのを好きになってくれる方もいませんし」
身体のあちこちが傷だらけだし、顔半分は酷い火傷をしている。しかも記憶喪失で素性も分からないといった自分を好きになってくれる存在など居るだろうか?
「楓は自己評価が果竪達並に低いですね」
「……そう、でしょうか?」
「ええ、低すぎます。まあ、小梅と涼雪に関してはそれでも良いのですが」
むしろ低くないと駄目です--と呟く萩波に、楓は「それもまずいのでは?」と内心ツッコミを入れた。
「とにかく、楓、貴方はとても魅力的な女性ですよ」
「……」
「この私が保障します。きっと今に、貴方を巡って争いが起きると思いますよ」
「ふふ、そんな傾国の美姫も真っ青な事態は女冥利に尽きますが……ちょっとごめんですね」
「そうですか? 巷では逆ハーレムとかが好まれていますが」
「本命にモテなければ意味がないです」
「なるほど--楓はとても利口ですね」
クスクスと笑う萩波に、楓は肩をすくめた。気付けば、あれほどあった不安感が驚く程薄まってしまっていた。
「楓」
「はい、萩波様」
「困った事があったらすぐに相談して下さい。私達は貴方の味方ですからね」
「味方……」
「というか、仲間--ですか」
「ありがとう、萩波様」
「何にしろ……過去に何かあったとしても、貴方はこれから先、幸せにならなければなりません。ですから、楓」
萩波は楓の目を見つめて告げた。
「自分を大切にしなさい」
「萩波、様?」
「自分を平凡と称するのは構いませんが……自分なんて--と思うのは止めなさい」
楓は萩波を見つめ--そして頷いた。
「分かりました、萩波様」
何故その時、萩波がそんな事を言ったのかは楓は全てを理解する事は出来なかった。ただ、自分を慰めてくれたのだと思った。
そして--この先待ち受ける事態に、楓が少しでも心が折れないように--という気遣いがあったのかもしれない。
「とりあえず楓に一つお願いがあります」
「はい」
「楓の寝泊まりする場所ですが」
萩波から申し訳なさそうに提示された内容に、楓は固まった。
「苑舞帝国皇帝から遣わされた侍女達の強い要望と……なんというか、周囲への影響を少なくする為というか」
楓は他の者達と同じく、数神で一つのテントを使用していた。一神で一つのテントを使用出来るのは、萩波ぐらいである。ただし、現在は妻である果竪も同じテントだが。
他にも、古参メンバー達に至っては一つのテントを個別にそれぞれ使う事が出来たが、余程の事がなければ3~4名から5~6名で一つのテントを使用する。
下に行くにつれて、10~12名ぐらいで一つのテントを使用しており、楓もまた他の女性達と一緒にテントを使用していた。
しかし、苑舞帝国の侍女達は、楓が大勢と寝泊まりしている事実に口出しをしてきたのだと言う。すなわち、怪我が癒えるまででも、個室にするべきだ--と。
それなら、医務室として使用されているテントでという話になるが、向こうは譲らず、またそれで騒ぎが起きるのも困りものだった。だから、萩波はその提案を受け入れたのだと話してくれた。
「郷には入れば郷に従え--と思うのですがね」
確かにゆっくりと休むには、個室がある程度必要な時もあるが--医療用のテントであれば、仕切りもしっかりと作ってくれている。それだけでむしろ十分過ぎるが--苑舞帝国という歴史の古い国からすれば、それは有り得ない事らしい。
「しかも、難しいなら援助も検討します--とまで言われましたし」
それは結構馬鹿にされているだろう。
「というか、援助ですか……」
「ええ。苑舞帝国は元々、色々と資源も豊かな国ですからね。二代続けて馬鹿皇帝は居ましたが、それまでは必要な分だけ資源を使っていたようなので、幸いにも枯渇は免れていますし」
正確には、あと百年ぐらい前皇帝が暴走していたら、資源を全て掘り尽くされていたかもしれないらしいが。
ただし、それは既存の資源であって、新しい皇帝が即位してから、幾つか新たな資源が見付かっているという。
「最も、それらを有効活用していくのはこれからでしょうがね」
採掘、加工、そして流通に商売と動かしていくのはこれからだと萩波は言う。
「ただ、かなり大きな金鉱が新たに幾つか発見されたと言う話もありますし」
「そ、そうなんですか……」
というか、苑舞帝国についてはそれ程知識はない楓だが、それでも拠点の襲撃の後、目を覚ましてからは時間を潰す為に苑舞帝国の事が書かれた書物を目にしていた。
そこに描かれた苑舞帝国は、広い国土を持っていた。
元は、小さな小国だったが、中規模の国を三つ取り込んだ時点で一気に国土が広がったらしい。まあ、そのうちの一つは大国に近い国土を持っていたし--それに、他に取り込んだ小国も中規模に近い国土を持っていた所もある。
そして、その国土と民達を一つに纏め上げ帝国と為した皇帝達は本当に凄かったのだと書物を読んでいるだけで楓にも理解出来た。
しかしその後--前皇帝とその前の皇帝が余りにも馬鹿過ぎたのが悲劇というか。
本当に、もう少し長く前皇帝が暴れていたら、きっとここら辺一帯はとっくに焦土と化していたかもしれない。それか、天帝軍に蹂躙されていた筈だ。
萩波の軍に拾われ行動を共にする中で、天帝軍に滅ぼされた国や街、村、集落を幾つも楓は見てきた。大国と言われた国でさえ滅び、焼け出された者達は難民として各地を放浪し、飢えと魔物、魔獣や野生の獣に怯え、また山賊や盗賊、海賊といった賊達や、奴隷商神やその商隊に警戒しなければならなかった。
特に見目麗しい者達は赤子から老神まで男女関係なく連れ攫われ売り飛ばされていた。中には、軍相手にも狙う者達は多く居たし、徒党を組んで大規模な襲撃を萩波の軍も何回も受けていた。
その度に何度も撃退し、幸いな事に今まで犠牲者は出ていない。また、他の軍が襲われた時には駆けつけ、共に戦う事も何度もあった。
そう……戦わなければ奪われる。
抵抗しなければ、踏みにじられる。
もし前皇帝が今も帝位についていれば、萩波の軍は苑舞帝国に足を踏み入れた瞬間、略奪対象となっていたかもしれない。
しかし、新しい皇帝になってからは、むしろ奴隷商神達は弾圧され、幾つもの奴隷売買の商隊やそれと組む盗賊達は捕縛されていった。
もちろん、それらはいくらでも湧いて出てくるが--それでも、こうやって今、自分達がこの土地に留まれるのは、苑舞帝国皇帝の庇護のおかげだろう。
そんな皇帝からの申し出の一つに何故自分の名前が挙がってしまったのかは分からないし、説明されても結局と理解出来ないだろう。
ただ、自分が皇帝の申し出を快諾する事で、軍に迷惑がかからないのなら、楓はそうするまでだ。
それに、世話をしてくれるというのであって、他に何かしろと言われているわけでもない。身売りをしろと言われているのでもない。
だから、ただ傷が癒えるまで待てば良い。
「萩波様」
「はい?」
「私、頑張ります」
そう言ってどこか悲壮な物を交えた顔で頭を下げる彼女に、萩波は少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。




