八.雑誌記者の話
「マートルさんは……」
「ディーで良いよ。あんまり苗字を連呼されるのもな。――そっちは?」
「私は、……ダリア。彼はヒース」
飲み物を口にしながら器用に話す男に、微かに身構えたまま、ヴィオレッタは咄嗟に浮かんだ偽名を口にした。
先程の飲食店から治安の良いエリア側に離れた、賑やかなカフェに、ヴィオレッタ、フェリックス、雑誌記者のディジアの三人は腰を落ち着けていた。
ディジアは「ガキに奢られるわけにいかねぇ」と苦笑し、自分の飲み物だけを注文した。ちなみに紅茶党らしい。ヴィオレッタの飲み物は、フェリックスがまとめて頼んでくれた。
しばし、互いの腹のうちを探り合う空気が漂う。口火を切ったのは、ディジアだった。
「三年前の馬車の事故――ってのは、あれか。伯爵夫妻が山道で崖崩れに巻き込まれた」
「そうだ」
フェリックスが頷き、じっとディジアを見据える。彼は口元に笑みを浮かべ、記者を問い詰めるように言った。
「……ゴシップ雑誌の記事とはいえ、ディーさんは、随分とあの事故に疑問を抱いていたようだから」
フェリックスの言葉に苦笑し、ディジアは頭を搔いた。
「まぁ、当時はそれなりに話題になったしな。……事故の調査を行った警務庁も、お仲間の貴族連中も、すぐに『不幸な事故だ』と片付けちまったが」
彼の言い様に、ヴィオレッタは微かに眉間に皺を寄せる。まるで、その調査が間違いだったとでも言いたげな口調だ。不信感や不安が伝わらないよう、あえてゴシップに興味津々な様子を取り繕い、ヴィオレッタは身を乗り出すようにして尋ねた。
「……事故なんじゃないの?」
ディジアはちらりと周囲を伺い、わずかに声を潜めて言った。
「事故だったよ。馬車が崖から落ちた経緯そのものに疑いはないと、話を聞いた警官も認めていた。――ただ、『広い山道で、何故馬車が崖側に寄って走っていたのかは不明だ』と、ヤツは言っていた」
驚きに目を見開くヴィオレッタにちらりとメイドをやり、雑誌記者は続ける。
「馬車がすれ違える広さの山道だ。向かいから、別の馬車が走って来たわけでもない。
――その日は、突然の雨で視界も悪かった。そのせいだろうと、警務庁は結論づけたようだったがな。
……だが、そんな状況であればなおさら、御者は慎重になるだろう? 伯爵夫妻は、余裕を持って結婚披露宴の前日に出発していたし、例え遅くなっても、山道を抜ければすぐ隣街だ。宿はいくらでもあった」
崖崩れに気付かないほどのスピードで、馬車を走らせていた――というには、確かに不自然な状況だった。
黙り込んでしまったヴィオレッタに代わり、再びフェリックスが口を開いた。
「なるほど。……でも、それは、さっきの俺の質問への答えにはならないよね? 何故貴方は、そんなにも伯爵家の事故に詳しいの?」
その言葉に、ディジアは口元を歪めるようにして笑った。
「……どこの馬の骨とも知れないガキ相手に、飯のタネになるかも知れない情報を、軽々しく口に出来ると思うか? それもタダで、なんて」
明け透けな彼の言い分に、フェリックスも口を噤まざるを得ないようだった。
グッと拳を握り締めたヴィオレッタは、目の前で笑う男に、挑むように問いかける。
「――何が望み?」
彼女の言葉に、ディジアはニヤリと笑う。
「……そうだなぁ。情報交換はどうだ? お嬢ちゃんが本当は何者か、とか、何故今更三年も前の事故の話を聞きたがるのか、とか」
(やっぱり、一筋縄ではいかない男ね……)
内心、冷や汗をかきながら、ヴィオレッタは顎をツンと上げ、皮肉げな口調で返した。
「――どこの馬の骨とも知れない雑誌記者相手に、自分に関する情報なんて、軽々しく口に出来ると思う?」
ディジアはじっと彼女を見つめる。フェリックスも息を飲んで、二人に交互に目をやっていた。
賑やかなカフェの中、三人の間には沈黙が横たわる。けれどしばらくして、不意にディジアは肩を震わせ始めた。
クツクツと喉を鳴らしていた彼は、やがて、周囲が振り返るほどの声で笑い出す。驚く二人に、ディジアは目尻に涙すら浮かべて笑い続け、冷めた紅茶を口に含んでようやく落ち着いた。
「はは、……はぁ。なんとも威勢のいいお嬢ちゃんだ」
店員に手を掲げて、紅茶のおかわりを頼んだディジアは、ヴィオレッタを見つめてニヤリと笑った。
「いいぜ、気に入った。話してやるよ。……どのみち、三年も前の話だ。鮮度も低いし、今更記事になるかどうか」
あっさりと手のひらを返したところを見ると、先程の発言はブラフだったようだ。つい彼を睨んでしまったヴィオレッタに、ディジアは再び声を零して笑った。
届いた紅茶で唇を湿らし、雑誌記者は話し始める。
「事故の起こる、二ヶ月前だったか。……俺は、王都のバーで当時の伯爵――事故で亡くなった夫の方を見かけた。場末のどんちゃん騒ぎの店じゃない。中心街の、紹介者がいないと敷居も跨げない、気取った貴族連中御用達のバーだ」
そんなところに、この雑誌記者がいたとはにわかに信じられず、ヴィオレッタは疑いの目を彼に向ける。フェリックスも同じ心情だったのだろう。
二人分の訝しげな視線に苦笑し、ディジアは続けた。
「別件の張り込みでな。――バーの店主も、客のプライバシーには気を使っていたが、トラブルに巻き込まれるのも御免だと思っていたらしい。ちゃんと紹介を経てやってきた記者であれば、『トラブルを起こしそうな客』の情報を対価に、店内での情報収集を黙認していた」
「……コウモリみたいな店主ですね」
ポツリと呟いたフェリックスに、ディジアは「違いねぇ」と笑う。そうして、逸れた話を強引に軌道修正した。
「とにかく、俺はそのバーで、伯爵を見かけた。……と言っても、俺はその伯爵の名や顔を事前に知ってたわけじゃないし、伯爵も目立たないよう変装していた。同行者が小声で名前を口にしたのを、偶然耳にしただけだ」
ヴィオレッタの疑問を感じ取ったのだろう、先回りをして答えたディジアは、こちらに身を乗り出してきた。囁くような声に、ヴィオレッタとフェリックスも同様の体勢を取る。
ディジアは続けた。
「詳細は分からねぇ。だが、奴らは、仕入値と売値がどうのとか、顧客名簿がどうのとか、商売の話をしていたようだった。伯爵様が商売なんて、奇妙だろ? それで印象に残った。
――だから、色々調べてみた」
舌なめずりするような雑誌記者の話に、ヴィオレッタは思わず息を飲んだ。




