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七.下町での遭遇

 まだ(かかと)の傷は痛んだが、三日もすれば随分と塞がってきた。

 あの日、家を飛び出した夜から五日目の朝。ヴィオレッタは、デュレット家の別邸から学園に通い始めた。

 学園で顔を合わせたフェリックスは、嬉しそうにヴィオレッタに手を振ってくれる。微笑ましいその笑顔に、ヴィオレッタも顔を(ほころ)ばせた。





 授業の合間、ヴィオレッタは、三年前の事件前後の使用人の動静を思い出していた。突然の両親の訃報に記憶も曖昧だが、伯爵領の屋敷でも本邸でも両親の死後、顔ぶれがいくつか変わっていたはずだ。

 先日会ったマシューは、伯爵領での父付きの従僕だった。彼が、両親の行動を最も良く知る立場だったことは、疑いようがない。

 彼の他に、伯爵領の屋敷を去っていたのは、確か三名。母のメイドをしていたレオニー、父の書記官のデニス、門番のヘンリー。

 御者のスティーブンも、事故の当事者だ。彼は、転落する馬車から投げ出されたことが幸いし、山肌に引っかかって一命を取り留めた。ただし、腕に大怪我を負ったため、新たに当主となった叔父のルークが温情を与え、別の屋敷の門番の職を紹介していたはずだ。

 王都の本邸からも、二名が去っていた。執事のアンドリュー、会計係のピーターだ。


 こうして考えると、職を辞したのは皆、両親の側仕えや伯爵家の金銭に関わる仕事の者が多い。例外は門番のヘンリーだが、彼は屋敷の入口で人の出入りを目撃していたはずだ。


 自分の思い付きが何を意味しているのかは、まだ分からない。それでも、やはり、彼らを探し当てて話を聞く価値は十分にあると思われた。


(問題は、どうやって所在を調べるかよね……)


 先日フェリックスとの会話にも上ったように、ヴィオレッタが現在持つカードは、元従僕のマシューの居場所以外にない。屋敷を去ったタイミングを考えても、他の使用人たちの現在を知っているかは疑問が残るが、それでも当たってみるしかない。


(伯爵領の家令かメイド頭に話を聞けるのが一番だけど……叔父様や叔母様に知られるわけにもいかないし)


 カフェで会った時の様子からも、マシューが手紙などに応じてくれる可能性は低い。ならばいっそ、家に直接赴いてみる方が良いだろう。


(フェリス様はきっと、渋い顔をすると思うけど……放課後に相談してみよう)


 そう心に決めたヴィオレッタは、頭を切り替え、教本を読み上げる教師の声に注意を向けた。








 案の定、ヴィオレッタの相談を受けたフェリックスは、ぎゅっと唇を引き結んだ。マシューに話を聞くことを提案したのは彼だが、まさかヴィオレッタがいきなり、奇襲とも言うべき行動に出るとは思っていなかったのだろう。

 けれど最後には、じっと自分を見つめてくる婚約者(ヴィオレッタ)の視線に折れ、フェリックスは両手を挙げた。


「――分かったよ。今度の休みに、二人で訪ねてみよう」


 その言葉でパッと表情を輝かせたヴィオレッタに、フェリックスは「(かな)わないなぁ」と苦笑した。








 ヴィオレッタとフェリックスは早速、翌週の休みに、下町に住まうマシューの家を訪ねることにした。

 彼の住まうエリアは、繁華街と賭博関係の施設が多く集まるエリアの中間地点だ。貴族の子どもだと感づかれないよう、慎重に変装し、念の為従僕に護衛としてついて来てもらっている。先日、フェリックスがヴィオレッタを探してくれた時に伴っていた彼で、名をシルヴァンというそうだ。


「この辺りのはずなんだけど……」


 小声で呟き、フェリックスはあえて顔を真っ直ぐに上げ、自信ありげな様子を装って進んでいく。ヴィオレッタも眉間に力を込め、彼の後ろに続いた。


 二人が、(にぎ)わっている飲食店――軽食を楽しむ場所ではなく、昼から酒も出す店だ――を通りがかった、その時だった。



「王国雑誌社のマートルと言います。少し話を……」

「てめえ、またかよ!? メシ食わねぇんならさっさと帰れ!」



 店主らしき男に怒鳴られ、店を蹴り出されてきた人間と目が合った。

 四十代の手前だろうか。無精髭の、使い込んだ手帳を手にした男に、――いや、店主とのやり取りで聞こえたその名前に、ヴィオレッタは眉間を寄せて考え込んだ。


(王国雑誌社……)



「――あ、こら!」


 慌てて叫んだフェリックスをよそに、ヴィオレッタは駆け出していた。遠ざかって行く無精髭の男の袖を咄嗟に引く。

 怪訝(けげん)そうに振り返ったその男は、見慣れない少女が必死の形相で自分を引き止めているこの状況に、彼は目を瞬かせていた。



「……なんだぁ? 嬢ちゃん」

「――王国雑誌社の、マートル。貴方、ディジア・マートルさんね?」


 以前、フェリックスの親族の一人である警官の青年に見せてもらった、三年前の事故を報じた記事の数々。その中で度々、事故に疑問をていするような記事を書いていた記者の名前が、「ディジア・マートル」だったはずだ。

 いきなりフルネームで呼ばれ、中年男性――ディジアは鼻白んだように言った。


「……何故、俺の名を?」


 挑むように、ヴィオレッタも返す。


「三年前、貴方が繰り返し書いた、馬車の転落事故。あの『灰の家』に居た者だと言えば、分かる?」


 正体を濁したヴィオレッタの発言に、ディジアは微かに首を傾げる。だが、次の瞬間、にやりと左の口角を釣り上げた。


「オーケー。そういうことにしておこうか。……それで、何の用だ? 嬢ちゃん」


 心配そうにやり取りを見守っているフェリックスに、密かに心中で詫びながら、ヴィオレッタは高慢な調子で告げた。


「貴方の記事について、話があるの。――タダでとは言わない。私たちは成人してないから、お酒はダメだけど。コーヒーの一杯ぐらいなら奢るわ」


 本当は、自宅から持ち出した小遣いにも限度がある。心もとなさを覚えながら、それでも傲岸に顎を上げてみせたヴィオレッタに、雑誌記者・ディジアは吹き出した。


「まったく、向こう見ずなお嬢ちゃんだ。――良いだろう。コーヒー一杯なら付き合ってやろう」




 フェリックスの溜め息が聞こえてきたが、聞こえないふりで、ヴィオレッタはディジアに頷いた。

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