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四.罪の所在、罪の定義

「何か飲むかい?」

「……いいえ」



 応接間のソファに腰掛ける直前、そう尋ねてきた従兄に、ヴィオレッタは硬い表情で(かぶり)を振った。

 アッシュフォード家の王都本邸の応接間は、伯爵領の屋敷と比べるとやや手狭であるものの、焦げ茶色の重厚なアンティーク家具が自慢の一室だ。父が存命の頃は、両親はよくこの部屋で、招いた客とお茶やお酒を酌み交わしていたものだった。


(お父様……お母様……)


 ぎゅっと両の拳を握り締め、ヴィオレッタは顔を上げた。


「――三年前、私の両親は事故に遭ったんじゃない。ルーク叔父様が、……二人を殺そうとしたというのは、本当なの?」


 セオドアは一瞬息を飲んだものの、次の瞬間、荒唐無稽(こうとうむけい)な夢物語を聞いたと言わんばかりに苦笑してみせる。


「そんなはずがないだろう? 父は伯父様たちを尊敬していて……」

「――じゃあ、これは何!?」


 ヴィオレッタはずっと背後に隠していた母の日記を、従兄に突きつけた。そのページには母の筆跡で、『義弟に殺される』との記載がある。

 彼女の剣幕にたじろいだように、セオドアは目線を泳がせた。


「それは……」

「お母様の日記よ! 万が一のことがあればと、ポーリン叔母様が預かっていた……!」


 ヴィオレッタはカッとなって叫ぶ。


「叔父様が両親の行動を探っていたことは、元従僕のマシューも証言したわ! 情報をやり取り出来ない時には、テオ従兄様に伝えていたとも……!

しらばっくれてないで、ちゃんと答えて。叔父様だけじゃなく、お従兄様も関わっていたの!?」


 目に涙を浮かべて言い募ったヴィオレッタは、肩で息をする。その様子をしばらく見つめていた従兄は、――不意に口元を歪めた。



「……そこまで知られてるなら、仕方がないか」



 今まで聞いたことがないような、冷ややかな、あるいは嘲笑うような声だった。従兄の言葉に、ヴィオレッタは目を見開く。

 セオドアは、ぞんざいな仕草でソファに足を組んで座り直し、ヴィオレッタを()めつけた。







「その日記の通りだよ。父は、出来損ないの兄よりも、自分の方が伯爵に相応しいと思っていた。僕も、『伯爵の養子』より、『伯爵の実子』である方が都合が良かった。


――だから、二人で、邪魔だった君の両親を始末した」







 ヴィオレッタは、目の前の従兄(いとこ)を呆然と見つめていた。

 従兄妹でありながら、幼い頃から実の兄妹に間違われることが多かった。同じプラチナブロンドの髪、瞳の大きな柔らかな顔立ち。目の色だけは互いの母譲りで、セオドアは琥珀色を、ヴィオレッタはヘーゼル色をしている。将来、養子として伯爵家を継ぐため、頻繁に彼女の家を訪ねてきていた従兄は、本当に兄のような存在だった。


 大切な、大好きだった、従兄。


 姿勢を丸めて座り、古い絵画に描かれた悪魔のような表情で笑うその姿は、ヴィオレッタの知るセオドアからはまるでかけ離れている。「やっぱり」と「まさか」、相反する感情に、頭を揺さぶられるような心地がしていた。

 ヴィオレッタの手を滑り落ちた母の日記帳が、オークの床にぶつかる鈍い音が響く。セオドアは左の口角を釣り上げ、吐き捨てるように言った。


「――それで? その事実を知ったからって、君はどうするの? 伯爵と、その息子を告発する? ただの養女である君が。

……証拠はかつての使用人の証言と、母親の日記帳だけなんだろう?」


 馬鹿にするような、その声。ヴィオレッタは、屈辱と苦悩に身体を震わせた。


 セオドアの言う通り、証拠は幅広いの日記と、かつての従僕の証言だけだ。両親を亡くし、今は養女に過ぎないヴィオレッタが何を叫んだとて、世間は耳を貸さないだろう。嘘つき、恩知らず呼ばわりされるのは、目に見えている。


 そうなれば何より、フェリックスとの婚約も、なかったことになるだろう。彼との未来は永遠に失われる。


(フェリス様……)


 婚約者の笑顔が、ヴィオレッタの胸を()ぎっていった。

 記憶の中で薄れつつある両親の姿が、その笑顔をかき消す。


 大切なものを無意識に天秤に掛けてしまった自分に気付き、ヴィオレッタは愕然(がくぜん)とした。


「あ、……あぁあ……」


 意味をなさない言葉が口から零れ、ヴィオレッタは力なく首を振った。息が上がり、満足に呼吸が出来ない。手足が痺れ、凍りついたように冷たくなる。


 見開いた両の目から、涙が零れ落ちる。


 気付けばヴィオレッタは母の日記帳を拾い上げ、応接間を飛び出していた。



「――ヴィオラ!」



 血相を変えたセオドアが叫ぶが、彼女を追って来ることはない。


 いつも通り、ヴィオレッタを愛称で呼ぶ従兄の声が、いつまでも耳元で鳴り響いていた。










 ヴィオレッタは()()もなく、王都を彷徨い歩いていた。


 とうの昔に陽は沈み、半分になった月が漆黒の夜空に浮かんでいる。無意識に人混みを避けて歩いた結果、自邸からは遠く離れた、王都の反対側の邸宅街に迷い込んでいた。

 室内用のヒールの低い靴に包まれた足は、しばらくは靴擦れのひりつく痛みを訴えていたものの、今もう感覚がない。脚全体が棒のように重く、もはや引きずるようにしか動かせなかった。部屋着のドレスの裾も、ドロドロに汚れている。


 今すぐ帰りたい。暖かなベッドに横たわって、ぐっすりと眠りたい。


(でも――帰る場所なんて、ない)


 アッシュフォードの(やしき)に、帰れるはずもない。かと言って、手の中にあるのは、母の日記帳だけ。文字通り身一つで飛び出して来てしまったヴィオレッタに、立ち寄れるような場所もない。


(私……なんでこんなところに居るんだろう)


 母の日記を読んで、動揺した。真実を知りたいという思いに突き動かされ、無謀にも繁華街手前のカフェにまで乗り込んだ。

 そうして、今のこの状況だ。



(私は……これからどうしたら良いの? お父様、お母様………)



 とうとう足を止め、その場にしゃがみ込んだヴィオレッタの耳に、不意に聞き慣れた声が飛び込んできた。




「――ヴィオレッタ!」




 のろのろと振り返ったヴィオレッタは、驚愕に目を見開く。





「フェリス様……?」





 日に日に暑さを増しているとはいえ、六月の夜気はまだひんやりとしている。それなのに、額に汗を浮かべたフェリックスが、肩で息をしながら、へたり込んだヴィオレッタを見つめていた。

 彼は一際大きく息を吐き、ヴィオレッタの元に駆け寄ってきた。そのまま、勢いよく彼女を抱き締める。


 ヴィオレッタは目を見開いた。


「フェリス様……? どうして……」

「まったく君は! 夜遅くに、一人でなんて無茶を……! 心配したんだぞ!」


 珍しく声を荒らげ、フェリックスは怒鳴るように言った。

 そこに滲む本気の怒りと、必死さ。嗅ぎ慣れた彼の香水に混ざる、汗の香り。


「――無事で良かった」


 声を震わせ、腕に力を込めるフェリックスに、ヴィオレッタの目にも涙が浮かぶ。


「ごめんなさい……」


 呟くようにそう返し、ヴィオレッタはフェリックスの背をそっと抱き返した。


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