三.疑惑の使用人
ヴィオレッタは、かつて両親のもとで従僕を務めていたという、マシュー・ジェラードを探していた。
両親の事故の一週間前、マシューは突如屋敷を辞めていた。のちに、何故か彼が叔父の紹介状を持っていたと、彼女は婚約者のフェリックスの親族の警官の青年から、聞き及んでいた。
マシューは新たな職場も、二年ほどで辞めていた。紹介状の行方を辿ったヴィオレッタは、現在のマシューが王都でフラフラしていると証言する者に出会った。
彼はアッシュフォード家の次の職場で、ギャンブルに手を出すようになっていたらしい。賭場に近いエリアで、どうやってか生計を立てているようだった。ヴィオレッタはすぐに、彼が現在住んでいるという家に、秘密裏に手紙を届けさせた。
そして、学園が休みの今日、いよいよマシューと対峙することになった。
繁華街と街の中心部の境目にあるそのカフェは、様々な立場の人間が待ち合わせに使っていた。身なりの整った者も、お世辞にも身奇麗とは言えない者も、どちらがいてもおかしくない。
ヴィオレッタは念の為、商人の娘風の装いでこの場所を訪れていた。離れた席には、マシューのあとにアッシュフォード家の従僕となり、今は王都の本邸で仕えている青年が一人座っている。何かあれば介入してほしいと、入店直前に言い含めてあった。
自分の向こう見ずな行動に、誰よりもヴィオレッタ自身が一番驚いている。けれど、真実を掴むために、手段は選んでいられなかった。
ドアが開くベルの音が響き、ヴィオレッタはそちらへ目をやる。
(来た――)
ヴィオレッタは久しぶりに会う相手に、「目印として紫のアイテムを上半身に着けてくれ」と伝えていた。
くたびれた紫のチーフを首に巻いた青年が、キョロキョロと客席を見回している。ヴィオレッタが、スミレの刺繍の入ったハンカチをさり気なく振ると、彼は不安げな表情を浮かべて近付いてきた。
「……久しぶりね」
常よりも低く作った声でヴィオレッタが呼び掛けると、マシューはビクリと肩を揺らした。
「勘弁してくださいよ――お嬢様」
小声ながら心底嫌そうに呟き、マシューはヴィオレッタの向かいに断りもなく腰掛ける。注文を取りに来た店員に「水」と告げたあとは、ひたすらに俯いていた。
伯爵領の屋敷を去った当時、彼は三十にも届かない年齢だったはずだ。三年ぶりに顔を合わせたマシュー・ジェラードは、老人と言われても疑わないような様相をしていた。
酒浸りの生活を送っているのだろうか、顔色はどす黒く、先程の声もガラガラだった。手足は枯れ木のようなのに、腹はポッコリと膨れている。服装や髪などはそこまで汚れは気にならないが、落ち着かない様子で視線を彷徨わせる姿は、どこか異様だった。
ヴィオレッタは一つ咳払いをし、背中を丸めて座るマシューに問いかけた。
「……実は、事情があって、三年前の件を調べているの。何か知らない?」
具体的な内容には一切触れていないヴィオレッタの言葉に、しかし、マシューは顔を顰めた。
「――何も知りませんよ。第一、三年も前のことなんて、覚えてもいません」
予想していたことではあるが、取り付く島もない返答に、ヴィオレッタは内心溜め息をついた。
ゴシップ記事だけを根拠に、こんなところまで来てしまった。何か仮説や、証拠があるでもない。マシューに会って、何を話させようという考えも持っていなかった。
ヴィオレッタは憂鬱な思いを隠しながら、わざと高圧的に聞こえる物言いで告げた。
「……執事のパトリックから、言伝を預かっているの。貴方、急に辞めてしまったでしょう? 規定の退職金が渡せなかったって。もし、伯爵領の屋敷を訪ねてくれたら――」
「――やめてくれよ!」
不意に叫んで立ち上がったマシューに、店中の視線が集まる。離れた席にいた従僕も、険しい顔でこちらを凝視していた。
彼は、目を見開くヴィオレッタに気付き、狼狽え始めた。取り繕うように周囲に締まりのない笑顔を向け、再び椅子に腰掛けたマシューは、身体を小さくして言う。
「あそこには……もう二度と近付かないって約束したんだ。勘弁してください。近付いたら、生命だって……」
穏やかでないマシューの言葉に、ヴィオレッタは息を飲んだ。それでも、ここで諦めることは出来ないと、声を潜めて告げる。
「――私、婚約したの。彼の親族に、警官をしている人もいる。いざとなれば警察に保護してもらえないか、その人に頼んでみるから」
知っていることを教えて。
ヴィオレッタの囁き声に、マシューはついに項垂れた。
「……ルーク様に金をもらって、お父上――ヴィクター様ご夫妻の行動を報告していました。直接、ルーク様とやり取りするのが不自然な時には、息子のセオドア様を経由して。
三年前の七月の上旬、使用人の誰かの告げ口がきっかけで、奥方様に不審を抱かれ、ルーク様に相談しました。そうしたら、『すぐに屋敷を辞めろ』と言われて……。そのまましばらく身を隠して、ほとぼりが冷めた頃にまとまった金をもらって……」
(なんてこと……)
母の日記に書かれていたことが事実だったと知り、ヴィオレッタは激しく動揺した。
黙り込んだヴィオレッタに、マシューは周囲の目線を警戒したように立ち上がる。
「……もう良いですか? 退職金はとうの昔に諦めています。もう二度と、俺に関わらないでください」
そのままマシューは、ヴィオレッタが止める間もなく店を出て行った。
ヴィオレッタを案じ、執拗に「大丈夫だったのか」と尋ねてくる従僕をいなし続け、彼女は帰り着いた自室でじっと考え込んでいた。
たった一人ではあるが、母の日記の記載を裏付ける人間がいた。
そのことが、ヴィオレッタを疑惑に駆り立てる。マシューの言葉を鵜呑みにし過ぎることは、危険な気もするが、一方で彼の怯えようは演技とも思われない。
(いったい、どうしたら良いの? 私はどうすべきなの? お父様、お母様……)
部屋に差し込んだ夕陽が、母の日記帳を、まるで血のような赤色に染め上げる。
机についた両手を祈るように握り、拳に額を押し付けて目を閉じていたヴィオレッタは、階下から響いてきた微かな声にハッと息を詰めた。
そっとドアを開け隙間から耳をすませると、使用人たちの明るい声が聞こえてくる。ヴィオレッタは思わず全身を強張らせた。
「――おかえりなさいませ、セオドア様」
「ああ、ただいま」
(セオドア様。……テオ従兄様)
母の日記。マシューの証言。自分の知る叔父の姿。幼い頃から可愛がってくれた、従兄の笑顔。
それらがグルグルとヴィオレッタの頭の中を駆け巡り、息が出来なくなる。
半ば救いを求めるように、ヴィオレッタは邸の階段を降りていた。
「――ヴィオラ?」
愛称で呼ばれ、ヴィオレッタはのろのろと顔を上げた。
居間でソファに座り寛いでいた従兄は、ヴィオレッタの顔を見て、驚いたような声を上げた。その顔をじっと見つめながら、ヴィオレッタは暗い声で呟く。
「……二人きりで、お話が出来ませんか。セオドア従兄様」
ヴィオレッタが愛称ではなく、彼を名前で呼んだことに、セオドアは怪訝そうな表情を浮かべている。しかしすぐに彼は立ち上がって、ヴィオレッタに頷き掛けた。
「分かった。――応接間で良い?」
あくまで柔らかく問いかける従兄に、ヴィオレッタは無言で首肯した。




