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二.不穏な日記帳

「ヴィオレッタ! 久しぶりね。――ああ、もう、こんなに大きくなって……」

「ご無沙汰しています、叔母様」



 目の前で涙ぐんでいるのは、亡くなった母の妹である、ミラー子爵夫人だ。

 ヴィオレッタはこの日、彼女の(やしき)にお茶会に呼ばれていた。両親が息災の頃には、シーズンには母に連れられてよく遊びに来ていたが、あの事故の日以降は訪れることもなかった。三年ぶりにあった叔母は、記憶にあるよりも少しやつれている。

 久しぶりに会う姪に涙を堪えきれないように、彼女は目尻を押さえながら言った。


「そうして笑っていると……姉さんによく似ている。貴女が元気で居てくれて、本当に嬉しいわ」

「……ありがとう、叔母様」


 ヴィオレッタの目にも、涙が浮かぶ。

 二人は互いの近況や、ヴィオレッタの婚約、過去の思い出話などに華を咲かせる。カップの紅茶は瞬く間に減っていき、三杯目をメイドに注がれた時点で、ようやく叔母は目を瞬かせた。


「――やだ、私ったら。肝心な話もしないで」

「え?」


 首を傾げるヴィオレッタをよそに、叔母はそばに控えていた侍女に何事かを言いつける。頷いた彼女はすぐに、かたわらのワゴンから鍵のついた古い冊子のようなものを取り上げ、叔母に手渡した。

 叔母は、その冊子の表紙をしばらく撫でるような手つきで触っていたが、やがて意を決したようにヴィオレッタに差し出してきた。


「貴女に返さないと。――姉さんの、日記帳なの」


 目を見開いたヴィオレッタに、叔母は困ったような笑みで続ける。


「姉さんが亡くなる前日に、使用人に命じて私に届けさせたの。『何事もなければ、返してほしい。けれど何かあったら、中を読んでほしい』なんて、奇妙な伝言付きで。

……もっとも、鍵が見付からなくて、私は三年間ただ手元に置きっぱなしにしてしまったのだけど」



 何かあったら、なんて、まるで遺言のような不吉な伝言に、叔母もしり込みしてしまったのだという。



「ずっとどうしようか迷ってたんだけど……。でも、大事なものなら、娘である貴女に返した方が良いと思って。貴女が元気になるまで、待っていたの」

「叔母様……」


 再び目を潤ませたヴィオレッタの手を取り、叔母は深く頷きかけた。


「――どうか、姉さんの分も幸せになってね。時々は、こちらにも顔を見せてくれたら嬉しいわ」


 ヴィオレッタも頷き返し、名残を惜しみながら叔母の元を辞した。






 叔母は鍵が見付からないと言っていたが、実はヴィオレッタには心当たりがあった。


(お母様の遺品かも知れないと、預かっていたあのネックレス……)


 三年前の事故現場、崩れた崖上の倒れかけた木に、三つの鍵のついたネックレスが引っかかっていた。現場を(あらた)めていた警官から、心当たりはないかと渡されていたのだ。まるで思い当たる節のなかったヴィオレッタだが、手放すことも出来ず、王都の自室の引き出しにずっとしまい込んでいた。


 果たして、その内の一つにより、日記帳はいとも簡単にその封印を解かれた。


 微かな後ろめたさを抱きながら、ヴィオレッタは自室の書き物机に座り、その日記帳に目を通し始めた。





 それは、母が誰にも言えない内心を吐露(とろ)したもののようだった。頻繁に書き記すのではなく、特に心に残った出来事や思い出を(つづ)っている。

 父と結婚した直後の戸惑い、夫婦喧嘩の愚痴、慣れない土地での葛藤。

 ヴィオレッタを身ごもった時の母の心境の記述には、思わず涙を流してしまった。


(お母様……)


 感慨深い思いでページを(めく)っていたヴィオレッタは、かなりの空白ののち、事故直近の日付に飛んだ記載に目を見開いた。


「なに、これ……」


 我知らず言葉が零れる。

 そこには、にわかに信じたい内容が、見間違いようのない母の筆跡で記されていた。






『××八年 六月十五日

夫の弟のルークが、私たちの行動について、情報を集めているみたい。外出の予定を聞かれたと、報告に来た使用人がいる』


『××八年 六月二十四日

甥のセオドアが、領主教育のために我が家にやって来た。

ルークの息子である彼も、やっぱり、どこか様子がおかしい。ヴィオレッタにだけは笑顔で接しているけれど、気をつけていよう』


『××八年 七月十八日

三日後には隣領で、知人の伯爵令息の結婚披露宴。ヴィオラは体調を崩していて、明後日、夫と二人で出発することになった。

……それで、良かったのかも知れない。

私たち夫婦は、義弟(ルーク)に殺されるかも知れないから。


この日記も万が一に備えて、ミラー子爵家に嫁いだ妹に(たく)そう。

明日、従僕のマシューに頼んで、あの子に送ってもらうつもり』







 理解しがたい母の記述に、ヴィオレッタは顔面を蒼白にした。


(ルーク叔父様が、お父様とお母様を、殺す……? どういうこと……!?)


 何かの間違いではないのか。被害妄想、あるいは母の勘違いでは。ヴィオレッタは、何度も母のその記述をなぞった。


(でも……この日記帳は、鍵を掛けられて、確かに叔母様の手元に渡っていた。そしてその鍵は、お父様たちが亡くなられた崖の上に、落ちていた……)


 ヴィオレッタは、五月の夕方の温暖さにも関わらず戦慄(わなな)く身体を、ぎゅっと抱き締める。

 忙しなく呼吸を繰り返しながら、彼女はしんと静まり返った室内でひとりごちた。


「確かめなくちゃ……」









 休み明け、ヴィオレッタが迷った末に頼ったのは、婚約者であるフェリックスだった。

 先進的な考え方を好み、幅広い人脈を持つフェリックスの一族は、爵位を継ぐ本家の男性以外は様々な職業に就いているという。かつて、雑談の中で、歳の近い親族の一人に警官を務める青年が居ると、彼から聞いたことがあったのだ。


 フェリックスははじめ、その親族の青年をヴィオレッタに紹介することを渋っていた。詳細は伏せていたが、彼女のただならない様子に、何とか思いとどまるように説得を重ねる。

 それでも、ヴィオレッタは、その青年に会うことを熱望した。


「私に聞かせられる情報だけで良いの。お願いします……!」


 彼女の必死の形相に、フェリックスはついに折れた。


「……分かった。親戚に、次の休みの予定を尋ねてみるよ。学校の休みと合う日に訪ねて良いか、聞いてみる。――ただし、当日は僕も同席する。いいね?」

「フェリス様……ありがとう……!」


 今にも泣き出しそうな声で頭を下げるヴィオレッタに、フェリックスは苦笑いで頬を掻いていた。





 二週間後、ヴィオレッタは学園の休みと重なった祭日を利用し、警官をしているというフェリックスの親戚を訪ねた。

 カフェで待ち合わせた青年は、身体の大きな、目立つ人物だった。ここまで行動を共にしていたフェリックスは、気を利かせて、二人の姿は見えるが話は聞こえない位置に、離れて座ってくれている。

 挨拶もそこそこに話を切り出したヴィオレッタを、その青年は低い声で制した。


「三年前の事件、しかも一般人である君に、捜査情報を漏らすことは出来ない」


 項垂れるヴィオレッタに、彼はしかし、当時の新聞記事――王国公認のものからゴシップ記事まで、事後の資料として幅広く集めていたもの――は、ヴィオレッタに見せてくれた。

 ほとんどは若き伯爵夫婦を襲った悲劇を淡々と、あるいは劇的に書き連ねるだけだったが、とあるゴシップ紙だけは違った切り口の記事を掲載していた。事故当時、ヴィオレッタは心労で寝込んでおり、また、叔父夫婦も彼女がゴシップに触れることを嫌ったため、今日までその存在すら知らなかった。

 ヴィオレッタは震える指で、その記事を取り上げる。




『不審な馬車、事故前日に付近で目撃か』

『幅広い山道で崖崩れに巻き込まれた謎』




(王国雑誌社……ディジア・マートル)




 ヴィオレッタは、記事の末尾に記されたその名を、じっと見つめていた。

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