十五.悪夢の先に
「やめろ、ヴィオレッタ!」
「……離して! お願い、もう何も考えたくない……! もう、何を、誰を信じて良いのか分からないの!」
惑乱したヴィオレッタは、ペーパーナイフの刃先を、自分の喉に突き込もうとしていた。血相を変えて駆け寄ったセオドアが、彼女の手を掴み上げる。
全身で抵抗するヴィオレッタを、セオドアがなんとか押さえ込もうと覆い被さってきた。
ヴィオレッタが遮二無二暴れた、その時だった。
「――ぁ……」
目を見開いたセオドアの顔が、大写しになる。
ヴィオレッタは自分の両手を襲った鈍い感覚に戦き、恐る恐る目線を下げた。
「……テオ、従兄様」
自分が発した嗄れ声も、ヴィオレッタの耳には届かない。彼女の視線は、従兄の脇腹に突き刺さったペーパーナイフに釘付けになり、耳は彼の発する荒い吐息だけを拾っていた。
「うそ、いや、……どうして、テオ従兄様ぁぁぁっ!」
ガチガチと歯を鳴らし、絶叫するヴィオレッタに、セオドアはその場に蹲りながら、息も絶え絶えに笑い掛ける。
「俺のことはいいから、行け。──何も起こらなかった。これは、……夢だ」
脂汗を浮かべながらも、セオドアはヴィオレッタを励ますように頷いた。その笑顔はかつて、両親を突如失い、呆然とベッドに横臥していた彼女に寄り添ってくれていた時のものと、酷似していた。
(テオ従兄様……、おにいさま……!)
セオドアは苦悶の声を上げ、傷口を庇うように前のめりになる。
首を振り、涙を流し、──ヴィオレッタは従兄の身体を懸命に支えながら、立ち上がった。
「ヴィ、オラ、何を……!」
まるでこれが何かの罰だとでも言いたげに、セオドアは抵抗して、その場に留まろうとする。ヴィオレッタは幾筋も涙を流しながら、喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。
「――貴方を許せばいいのか、憎めばいいのか、まだ分からない……!
でも、私だって今、罪を犯した。従兄様を、傷付けた……!
だから、ちゃんとお互いが裁きを受けるまで、貴方をどう思えばいいのか決めるまで、貴方を私のせいで死なせたくない……!」
何度も膝を折りながら、ヴィオレッタは刻々と重くなっていく従兄の身体を引きずり、必死に書斎のドアを目指す。近付いたところで、ようやく使用人たちが外に集まり、声を上げていたことに気付いた。
従兄はヴィオレッタが開けっ放しにしていた鍵を、入室後にこっそり掛けていたらしい。なんとか片手でセオドアの身体を支えながら、ヴィオレッタは解錠を試みる。
歯を食いしばって右手に力を込めると、勢いよく扉が開く。
雪崩れるように、ヴィオレッタはセオドアの身体を庇いながら床に崩れ落ちた。
人影が二人めがけて殺到してくる。先頭にいた人物が、ヴィオレッタの前に屈み込みながら、驚きの声を上げた。
「ヴィオレッタ様! ――セオドア様!?」
「ジョン、お従兄様を運んで! メイドのみんなは、清潔なシーツをありったけ集めて! キース、主治医のマルソー先生を呼んで来て!」
その場に集った使用人たちに矢継ぎ早に命じ、ヴィオレッタは従兄の身体を執事のジョンに託した。ジョンの指示を受け、体格の良い庭師や門番たちが、ぐったりと目を閉じたセオドアの身体を慎重に運んで行く。
その様子を見送り、ヴィオレッタもまた、その場で意識を失った。
目を開けたヴィオレッタは、見慣れない天井に目を瞬かせた。
(最近も……こんなことがあった気がする……)
ぼんやりと考えていたヴィオレッタは、見慣れないと断じた天井の正体に思い至る。視線を巡らし、ここが伯爵領の屋敷の一室――三年前まで自室としていた部屋だと、ようやく気付いた。
両親の死後、学園入学を待たずして王都に移り住んだヴィオレッタにとって、この部屋はすっかり遠い存在に思えた。
「――目が覚めたか」
不意に横から声を掛けてきた相手に、ヴィオレッタは緩慢に視線を合わせた。
見慣れたプラチナブロンドの短髪が、陽光を弾いて煌めく。目の形や鼻の高さといったパーツは似ているものの、華やかな印象だった父とは違い、静謐さを漂わせる顔付きをした人だ。
叔父のルークは気遣わしげに、姪の顔を見下ろしていた。
「叔父様……」
「妻は、息子についている。私で済まないな」
深みのある声でそう言った叔父に、ヴィオレッタは小さく首を振る。彼がここにいて、彼の妻のリリーナが従兄についているということは、……二人の間に起こった事態も承知しているのだろう。
天井に目線を戻したヴィオレッタは、ポツリと呟いた。
「――いつ、お戻りに?」
「ほんの一時間ほど前だ。……帰って来て、驚いた」
叔父のルークはヴィオレッタに水差しを差し出しながら、囁くように言った。疲れ切った声音だった。
「落ち着いたら、少し話せるか。――ヴィオレッタ」
彼の養女となって以降、叔父はずっと彼女を「ヴィオラ」と愛称で呼び続けた。久しぶりに呼ばれた名に、ヴィオレッタは瞑目して頷く。
「……今、この場で」
「ありがとう」
一つ溜め息をつき、ルークは顔を上げた。




