十三.絶望よりもなお深く
不意に背後に感じた気配に、ヴィオレッタは息を飲んで振り返った。
「――っ!」
目を見開いて飛びすさったのは、使用人のような扮装をしていた従兄のセオドアだった。
「ヴィオラ……」
「テオ従兄様……」
額に冷や汗を浮かべ、距離を保ったまま互いの顔を見つめあった従兄妹は、無意識に愛称を呼び合っていた。先に我に返ったヴィオレッタが、手元の封書を咄嗟に背中に隠す。セオドアはちらりと壁から飛び出した引き出しに目をやり、沈鬱な表情で呟いた。
「そんなところにあったのか……。さすがの父さんも、見付けられなかったんだろうな」
内容を承知しているような従兄の言葉に、ヴィオレッタは瞬間的に混乱した。引き出しから帳面を掴み上げて、悄然と立ち尽くす従兄に突き付ける。
「従兄様、いったいこれは何!? ここに記された金額や数字、人の名前は何を意味しているの!? ラシャペル侯爵家と私との婚約って……何なの……?」
ヴィオレッタの言葉に顔を歪めたセオドアだが、無言でそのまま俯いてしまう。答える気のなさそうなその様子に、ヴィオレッタはますますカッとなっあ。
「元従僕のマシューに話を聞いたわ。王都の本邸の会計係のピーターにも、お父様たちの事故を一時期追っていた雑誌記者にも!
彼らは皆、口を揃えて、お父様たちが何か怪しいお金のやり取りをしていたと言った。ルーク叔父様や、テオ従兄様に言われて、お父様たちの情報を集めていたことも。
……三年前、いったい何があったの、テオ従兄様!」
悲鳴を上げるように叫び、ヴィオレッタは従兄にしがみつく。
セオドアはしばらく目を瞑っていたが、ヴィオレッタのすすり泣く声に、そっと顔を上げた。
自分自身の涙に戸惑いながら、ヴィオレッタは久しぶりに間近で見る従兄の顔を見上げる。セオドアはそんなヴィオレッタに、悲しげに笑った。
「ヴィオラ、君は……夢を見ているんだ。だから、ここで見たことは全て忘れるんだよ」
あやすような従兄の言葉に、ヴィオレッタは首を振る。
後から後から涙が零れ、嗚咽を堪えながら、ヴィオレッタは続けた。
「本当のことを教えて、テオ従兄様。知らないままじゃ、私は、どこにも行けない……。何も選べない」
先ほどまでの激情も消え、ヴィオレッタは迷子になったような気持ちで、従兄に縋り付いていた。
両親との思い出。従兄との、叔父夫婦と過ごした記憶。フェリックスと築いていくはずの未来。それらがヴィオレッタの脳裏を瞬く間に駆け巡り、呼吸が出来なくなる。
両親を殺したかも知れない従兄や、叔父への怒り。両親への疑念。目に、耳にした、ありとあらゆる情報が、ヴィオレッタの両手足を縛り、絶望の淵へ引きずり込もうとする。
怯え、恐れ、ヴィオレッタは泣きじゃくった。
「……分かったよ」
悲しげに俯いていた従兄のセオドアは、ぽつりと言葉を零した。ヴィオレッタはハッと息を飲み、顔を上げる。
苦渋に満ちた表情で、セオドアはポツポツと言葉を紡ぎ始めた。
それは、ヴィオレッタが優しく穏やかだと信じていた記憶の中の両親の姿とは、かけ離れた物語だった。
「伯父様たちは……王都で違法薬物の流通に関与していた。裏社会の人間と交流を持ち、彼らから買い付けた薬物を、シーズン中にパーティで密かに売り捌いていた」
両親は、領主としては善良で、自領の発展に力を尽くしていた。一方で、税収ではとうてい賄い切れない自身の贅沢欲を叶えるため、裏の商売に手を出したのだという。
「僕がそのことに気付いたのは……、四年前の夏の終わり頃だった。伯爵領まで伯父様を追いかけて来た、違法薬物の中毒者を、偶然見掛けたのがきっかけだった」
早朝から門番のヘンリーと押し問答をしていた、その男性の異様な顔付きに、従兄は恐怖を覚えたのだという。彼はその頃、高等学園の卒業を間近に控え、いずれ跡を継ぐ伯爵領と王都を頻繁に行き来していた。その日は、ヴィオレッタの父と共に伯爵領の屋敷に顔を出していた。
セオドアは、父に連れられて向かった領地近隣の視察後、父の書斎に駆け込んだ。
従僕のマシューから手渡された帳面を、伯父はいつもすぐにとどこかに片付けてしまう。けれど、騒動に気を取られ、今朝は書き物机に置きっぱなしにしたのを、セオドアは見ていたのだ。
「僕が見たのも……、恐らく、その中のうちの一冊だと思う」
見つかったのは、違法薬物の売買の記録や、それで得た収入から買い集めたものを記録した出納帳だった。伯爵の不正の記録でもあるが、いざとなれば売買に関わった人間を脅せば、更に金銭を得ることも出来る。
父は恐らくそう考え、裏の商売に関する資料一式を、人目につかない場所に隠したのだろう。
そう呟き、セオドアは項垂れた。
「僕もその時、十八だった。どうすれば良いのか分からず……、伯父様と別れて王都に戻ったあと、父に相談した」
内密に王都に呼び出され、息子に話を聞かされた叔父のルークは、はじめは絶句していたという。それでも、しばらくの後、息子に頷きかけた彼は、静かに彼に告げたそうだ。
「分かった。……後は任せろ、と言いたいが、私に出来ることは少ない。今後、何か不審な出来事があれば、すぐに知らせてくれ。なんとか情報を集めて、対策を考えよう」
力強い父の言葉に、セオドアはホッと安堵して頷いた。そんな息子に、ルークは重々しく返す。
「――セオドア。くれぐれも、無茶はするなよ」
父親に言われた通り、セオドアは決して無理はしなかった。父も、兄の罪を明らかにしようとしていた訳ではなかった。あくまで実態を知り、自分たちやヴィオレッタに火の粉が降り注ぐことのないよう、対処をしたかっただけだった。
だが、兄の、伯父のして来たことを知る度に、父子は絶望の淵に立たされることになった。




