十二.真実へ続く扉
伯爵領の屋敷へ戻るのは、両親の死後、三年ぶりだった。
「ヴィオレッタお嬢様!? どうして……」
「ただいま、ジョン。叔父様たちはランドル侯爵家のパーティに?」
こんな夜遅くに、前触れもなく帰宅した当主の養女に、執事は大層驚いていた。
目を真ん丸に見開いて彼女を迎えた執事に、ヴィオレッタはニコリと微笑んで首を傾げる。戸惑いながらも、ジョンと呼ばれた執事はヴィオレッタに頷いた。
「はい。その後は、学園時代のご学友とお会いになるとかで、お戻りは三日後かと……」
それは、叔父夫婦の毎年のルーティンだった。知っていたからこそ、ヴィオレッタは無理をして一日で王都から駆け付けたのだ。馬車には明後日の朝に迎えに来るよう、依頼してある。
ヴィオレッタは質問する隙を与えないように、矢継ぎ早に命じた。
「そう。……今日一日、ほとんど食事をとってなくて。悪いんだけど、軽い食事と入浴、着替えの準備をお願い出来る? 疲れたから、部屋で一時間ほど休ませてもらうわ」
淡々と告げる彼女を訝るように眉間二皺を寄せながらも、勤勉な執事は黙って頭を下げた。
(「秘密は静寂に守られる」……)
雑誌記者のディジアが耳にしたという、父の発した謎の言葉。当初はヴィオレッタも困惑したが、やがてある記憶に思い当たった。
ヴィオレッタの父は多趣味だったが、中でも一番楽しみにしていたのが狩猟だった。仕留めた獲物を食卓に並べて、遠方から招いた友人をもてなしていた姿は、ヴィオレッタも覚えている。
そして、父は、仕留めた獲物のうち特に気に入ったものを、剥製にして自らの書斎に飾っていた。
子どもの頃のヴィオレッタは、生きていた頃の様子を留めおいた動物の姿を恐れて泣いた。幼少期は屋敷のあちこちを探検と称して駆け回っていたが、その記憶のインパクトは大きく、年頃になっても書斎にだけは近寄ることが出来なかった。
(静寂……子どもの賑やかな声が、近寄って来ない場所……)
ヴィオレッタは、胸に下げたネックレスをぎゅっと握り込む。
三つのうちの一つは、母の日記帳の鍵。残り二つのうち、鍵穴に当てはまりそうな形の方を、恐る恐る差し込んでみる。
「……!」
何の抵抗もなく、解錠の音が響いた。
ヴィオレッタは周囲を伺い、使用人たちの姿がないことを確認してから、そっと扉を閉めた。鍵は掛けるか迷ったが、何かあった時少しでも早く外に出るため、そのままにした。
明かりをつけると、部屋の中にぼんやりと家具類が浮かび上がる。父が存命であった頃と寸分違わないその部屋の様子に、ヴィオレッタは唇を噛み締めた。
(お父様……)
感傷を振り切るように、ヴィオレッタは一つ頭を振る。そうして、父が隠しているかも知れない、書記官たちに命じて記した帳簿が残っていないか探し始めた。
書き物机の引き出しに一通り手を掛けてみたが、案の定、動くことはなかった。まだ使っていなかった最後の鍵を当て嵌めても、錠が動く気配はまるでない。
(ここじゃなかったのかしら……)
不安に駆られながら、ヴィオレッタは顎に右手を添え考え込む。
叔母にこっそりと託した母の日記帳、伯爵領の父の書斎の鍵。これらが下がったネックレスを、事故現場で咄嗟に放り投げたのは両親であると、ヴィオレッタは疑っていない。真実を誰かに伝えるために、崖下に落ちつつある馬車の窓を必死に開けたのだろう。
そんな鍵のうちの一つが、この書斎の入り口のものだった。ならば、やはり秘密はここに隠されていると、考えざるを得なかった。
ふと、ヴィオレッタは顔を上げる。
父の残した言葉。「秘密は静寂に守られる」。
(私がもし、うっかりこの書斎に入ってしまったとしても……壁に飾られた剥製にだけは近付かない)
導かれるように、ヴィオレッタは剥製の打ち付けられた、書き物机の反対側の壁に歩み寄る。よく目を凝らしてみると、一際大きな鹿の頭の下、ヴィオレッタの腰の高さあたりの壁が、少し色が違うように見えた。
(何か……隙間が見える……?)
爪先程度の細い穴が、壁の目地にあるように見える。ヴィオレッタはそっと、最後の鍵を横に向け、そこに差し込んでみた。
吸い込まれるように、鍵はその隙間に滑り込む。
少し力を込めて右に回せば、微かな抵抗感のあと、「カチリ」という小さな音が響いた。
「――!」
ヴィオレッタは息を飲む。
慌てて近くの壁の取っ掛りになりそうなものを探すが、見当たらない。戸惑っているうちに、差したままの鍵を無意識に引いてしまう。鍵は抜けず、そのまま、壁の一角がすっぽりと引き出された。
限界まで引き出すと、その引き出しはストッパーが掛かる仕組みのようだった。早鐘を打つ鼓動をなだめながらヴィオレッタが中を覗き込むと、そこには十冊ほどの帳面と、仰々しい封蝋の施された真っ白な封書が一通入っていた。
ヴィオレッタは震える手を伸ばし、まずは帳面の一冊を取り上げる。
深呼吸をして、ヴィオレッタはページを捲った。
まずヴィオレッタが手に取ったのは、金銭の出入りをまとめた帳簿だった。
比較的細かな歳入が続き、月に二度ほどの割合で大きな歳出が発生している。それが両親の事故の直前まで、数年間続いているようだった。
次の帳簿は、何かの仕入の記録のようだった。先ほどの出納とは、書き手が異なっているようだ。この仕入れの金額は、帳面のうちの歳出と一部が一致している。
引き出しの奥底から出てきた冊子は、金銭の授受の記録ではなく、人の名前と数字がひたすらに書き連ねられていた。中にはヴィオレッタが知る名前もあった。首を傾げながら、最後まで目を通す。
一通り帳面類に目を通したあと、ヴィオレッタは封書を手に取った。慎重に封蝋を剥がし、中の手紙らしきものを取り出す。
そのまま目線を落とし、ヴィオレッタは息を詰めた。
『アッシュフォード伯爵家長女、ヴィオレッタ=マリーとの、××八年四月十日に内定した婚約に際して、ラシャペル侯爵家は以下の品を、彼女の両親に譲り渡すことを約束する。
一つ、二グル海峡の通航権の年間収入の四割。
一つ、ウッドリー宝石店より購入した、鑑定書付きの10カラットダイヤのネックレス。
一つ、……』
「なに、これ……」
呆然として、ヴィオレッタは呟く。
ラシャペル侯爵。それは確か、長年連れ添った妻を病で亡くした後、狂ったように若い女に溺れていったことで知られる、老人の名前だ。確か、両親の事故のがあった時期と前後して、旅先で娼婦遊びに耽っていたさなかに心臓の病で亡くなったと聞く。
(そんな人と……、私が、婚約……?)
あまりにおぞましい話に、ヴィオレッタは身を震わせる。
手元に夢中になっていた彼女は、その時、そっと開いた扉から、誰かが忍び込んでくるのにまったく気付いていなかった。




