十.逃げる者、追う者
デュレット家の別邸に戻ったヴィオレッタとフェリックスは、改めて雑誌記者のディジア・マートルから聞いた話を整理し始めた。
両親の馬車が崖崩れに巻き込まれた直接の経緯は、疑いようのない『事故』だった。ただ、そもそもの発端、幅の広い道で崖に近寄って走っていたことには、疑問が残る。
その現場で見つかった、二つの鍵の下がったネックレスを残したのも、恐らくはヴィオレッタの母だ。
事故直前に従僕のマシューが、直後に伯爵領でも王都の本邸でも、何人かの使用人が辞めていたのは、ヴィオレッタの認識の通り。
ヴィオレッタの両親には、主に金銭の面で説明のつかない行動が見られたという。けれど、娘であるヴィオレッタの前では、決してそのような様子はなかった。
そして、結局、三年前何があったのか。叔父や従兄がどう関わっていたのかは、分からずじまいだ。
「マートルの話に出てきた、ご両親の行動についての噂と、セオドアさんが君に告げたこと。……今後、聞くべきなのはこのあたりかな」
話を纏め終えたフェリックスが、ふうっと息を吐いてそう締める。ヴィオレッタも頷き、並んでソファに座っている婚約者を上目で見上げた。ちなみに手元には、メイドのアイリスがいれてくれた、ハチミツ入りのホットミルクがある。
「あの……フェリス様。この後は、やっぱり、私一人で……」
単なる父と叔父の跡目争いだと思っていたが、雑誌記者の話を受けて、にわかにきな臭さを増している気がしている。下手に関わらせて、フェリックスに不名誉な噂が降り掛かることも避けたかった。
おずおずと告げたヴィオレッタに、フェリックスはきっぱりと首を振った。
「ダメだよ。やがて妻になる女性の実家に関わることだ、僕が知らないわけにいかない。――君を守るのは、僕の役目だ」
力強い彼の言葉に、ヴィオレッタは俯いた。フェリックスはそっと、ヴィオレッタの方に身体を寄せる。
「……とはいえ、マシューに話を聞きに行くのは、やめておいた方がいいかも知れない。
確か、伯爵領の書記官、王都の執事と会計係も、相次いで辞めていたんだよね? あとは、怪我をした御者。そのあたりであれば、後を追うのは比較的容易いかも」
貴族社会は、情報社会でもある。家の内情を良く知る使用人の動静は、着目されることが多い。広い人脈を誇るデュレット家であれば、伝手を辿ることは可能かも知れない。
自分の無力さを噛み締めつつ、ヴィオレッタは言葉を飲み込んで頷いた。
「……まっ、待って!」
商人の娘風に装ったヴィオレッタは、前を走る人影を懸命に追っていった。隣を走っていたフェリックスはぐんぐんスピードを上げ、少しずつ前方の背中に迫っていく。
あれから、フェリックスはさっそく実家の情報網を駆使して、元使用人たちの現況を探り当ててくれた。所在が知れたのは、伯爵領の書記官だったデニス、御者のスティーブン、王都の会計係のピーターだった。
休みの度に、ヴィオレッタはフェリックスと共に彼らを順に訪ねて行った。しかし、ヴィオレッタの名を聞いた瞬間、彼らは露骨に顔を顰めて、扉を閉ざした。
そして、今日。最後のピーターの現在の職場を突き止め、邸の外に出て来た彼に声を掛けた。
ピーターは訝しげに振り返り、――ヴィオレッタに気付いた瞬間、脱兎のごとく駆け出した。
(このままじゃ……!)
男性二人にぐんぐん引き離され、ヴィオレッタは息を切らしながら懸命に足を動かす。すれ違う人たちの視線すら、気にする余裕もなかった。
焦りに突き動かされていたヴィオレッタだったが、ようやく先を行く二人が視界に入る。目をこらせば、ピーターに追いついたフェリックスが、彼の手を必死に掴んでいるのが見えた。
「……はなせぇっ!」
「落ち着け! 話を聞かせてほしいだけだ!」
閑静な住宅街と、繁華街の境目で大声を上げている男性二人は、かなり目立つ。慌てて駆け寄ったヴィオレッタは、二人の腕を引いて路地裏に隠れた。
汗を拭いながら、上がった呼吸を懸命に整えていると、かつて王都のアッシュフォード邸の会計係だったピーターが怯えた様子で二人を見た。
邸を去った当時、ピーターは四十がらみのふくよかな男だった。三年ぶりに見る彼は、病的なまでに痩せ、疲れ切った表情を浮かべる、老人のような姿になっていた。
ヴィオレッタの目線を避けるように、ピーターは建物の影で顔を俯かせている。フェリックスと顔を見合せ、ヴィオレッタは口を開いた。
「久しぶりね、ピーター。……どうして逃げたの?」
ビクリと肩を震わせたピーターは、フェリックスに掴まれた左の手首をさすりながら呟いた。
「殺される……かも知れないと……」
「何を言っているの?」
思わず声を荒らげ、ヴィオレッタは身を乗り出す。ピーターが小さく悲鳴を上げたのを聞き、フェリックスが慌ててそんな彼女の身体を抑えた。
「ヴィオラ。――ピーターさん、何故そう思ったんですか?」
名を呼ばれたかつての会計係は、泣きそうな声で続けた。
「わ、私はただ、……旦那様に言われる通り、持たされた包みを客人に届けたり、帳簿をいくつか作成しただけで……。まさか、あんなことになるなんて」
険しい表情を浮かべたヴィオレッタが、ピーターに詰め寄る。
「……包み、って何? お父様は何を貴方に命じたの? 何をそんなに怯えているの?」
矢継ぎ早なヴィオレッタの問いに、ピーターは咄嗟に口ごもらさた。逃げ道を探すように視線を彷徨わせているが、メインの通りに繋がる方向にはフェリックスが威嚇するように立ち塞がっている。反対側にはヴィオレッタが仁王立ちし、左右は壁だ。
ピーターは観念したように、長い溜め息をついた。




