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朝食を終え、メイドのルーシャに案内されて部屋へ戻ると、扉が閉まる音を聞くや否や、私はベッドにどさりと身を投げた。ふかふかのマットレスが体を沈め、やさしいの香りを含んだシーツが心をほぐしていく。
「……はぁ、疲れた……」
貴族の朝食は想像以上に神経を使ったな。朝食を味わう余裕なんて一切なかったなぁ。
現代のテーブルマナーを必死に思い出しながら食べたけれど、ルーシャの控えめな視線が気になって仕方がなかった。貴族としての「正しい食べ方」なんて知らない私の振る舞いは、果たして不自然に見えなかっただろうか。
そして何より、オレムの “質問タイム”。ユリアスの記憶を持たない私には答えられるはずがない。あの鋭い瞳に見据えられるたび、心臓が縮こまった感じだよ。
(私は佐倉結衣。26歳。看護師一年目。日本で、病院で働いていて……)
仰向けに寝転び、過去を頭の中でなぞる。
試験勉強、勤務の日々、患者さんの笑顔、同僚とのおしゃべり。あの記憶は鮮明だ。なのに、最後のピースだけが抜け落ちている。——病院を出た後、何があった? 事故? それとも……死んだ?
ぞわりと背筋が冷える。死を受け入れたくはない。けれど、この状況を説明できる言葉がそれしか浮かばないのも事実だ。ただ、実感はない。鼓動も呼吸もある。私はこの身体は、確かに「生きている」。
自身の手を掲げて見つめる。細く白い指、華奢な手首。
看護師時代に荒れていた私の手ではない。動かせば、ちゃんと私の意志に従うけれど、どこか他人事のようだ。
(私は佐倉結衣。でも、この身体はユリアス・フォン・フローレンス……)
まるで誰かの身体を借りて生きているような罪悪感が胸をかすめる。けれど、今さらどうしようもない。ここで生きるためには、この現実を受け入れるしかない。
「……この世界のこと、知らなきゃ」
小さく呟いたその時——コン、と軽いノックが響いた。
「失礼するね、ユリアス」
扉が開き、オレムが姿を現す。思わず飛び起き、慌てて姿勢を正す私に、彼は穏やかに言った。
「三日も寝込んでいたんだ、楽にしていればいい」
腕に数冊の本を抱えた彼は、机にそれらを並べていく。
濃紺のジャケットが長身によく映え、結ばれた蒼髪が揺れた。私はベッドを降り、恐る恐る近づくと、オレムがソファを示して座るよう促した。
「……それ、なに?」
問いかけると、彼は地図を一枚広げて私の前に置いた。複雑な山や川が描かれた見知らぬ地図。
「この国、セルベコウ王国の地図だ。……その反応、覚えていないみたいだな」
私は地図を見つめる。どの地名も初めてで、頭の中にある日本の地図とはまるで違う。
「いい。覚えていないなら、これから少しずつ学べばいい」
オレムの声は落ち着いていて、不思議と安心感を与える。
「この国のことも、この家のことも、ゆっくり教えてあげる」
その言葉に胸の緊張がほどける。
「ありがとう……オレム」
そう口にした瞬間、ふと立ち止まる。呼び捨てでいいのかな?ユリアスはどんなふうに呼んでいたんだろう?「兄様」と呼ぶべきなのかな…?
私がいろいろと戸惑っているのに気づいたのか、オレムはくすりと笑った。
「呼び方に迷っているのか?」
「え、うん……なんて呼べばいいのかわからなくて」
「……好きに呼べばいいよ。」
意外な答えに、胸の奥が温かくなる。私は思わず笑みをこぼした。
「じゃあ……しばらくはオレムって呼ぶね」
「それで構わない」
オレムは静かに微笑んだ。その表情は、普段の鋭さとは違って優しく見えた。




