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目を開けると、朝の光がレースのカーテン越しに柔らかく差し込んでいた。この前と同じ部屋に、同じふかふかのベッド。遠くで鳥のさえずりが響いている。
(……やっぱり夢じゃなかったんだ)
目覚めれば日本の病院やアパートに戻っているかもしれない——そんな奇跡を期待していた自分が、胸の奥で小さくしぼむ。
視線を移すと、部屋の隅にアンティーク調の鏡が目に入った。昨日は近づくことすら怖かった。姿を見てしまえば、この異世界を認めることになる気がして。けれど今日の私は違う。ここで生きるなら、まずは自分を受け入れなくては。
ベッドを降り、冷たい床に素足を下ろす。絹のネグリジェがふわりと揺れ、足音が静かな部屋に小さく響いた。意を決して鏡の前に立ち、そして息をのむ。
——そこに映るのは、良く知る佐倉結衣の姿ではなかった。
波打つ蒼い長髪が朝の光にきらめき、緑の瞳は宝石のように輝く。雪のように白い肌、整った顔立ち。絵画の中から抜け出した令嬢そのものだ。そこに「私」の面影は一つもない。
恐る恐る頬に触れる。滑らかな肌、華奢な骨格。触れれば触れるほど、鏡の中の少女が「私」として動いてしまう。その現実が怖い。
コン、コン。軽いノックが響いた。
「お嬢様、失礼いたします。メイドのルーシャでございます。」
扉が開き、昨日出会ったメイドが静かに入ってきた。
「おはようございます、お嬢様。朝食のお時間でございますが、食べられますか?」
ぱっと花のように笑顔を咲かせる。
「え、うん……はい」
反射的に答えてしまう。
「では、食堂へ移動いたしますので、まずはお召し替えを」
慣れた手つきで寝間着を脱がされ、淡いピンクのドレスに着替えさせられる。ふわりと広がるスカート、胸元のレース、袖の繊細な刺繍。まるで人形を着せ替えるみたいだ。
(にしても、動きにくい……!)心の中で叫びながらも、ルーシャの手際には思わず感心してしまう。
着替えが終わると、彼女に案内されて食堂へ向かった。
大きな窓から朝日が差し込む広間。磨かれた長いテーブルには陶器の食器が整然と並び、パン、スープ、果物、薄切りのハムが美しく盛られている。見ているだけで唾を飲み込んだ。
「ごゆっくりどうぞ」
ルーシャが下がり、私はぎこちなくナイフとフォークを取った。貴族のマナーなんて知らない。日本で覚えたレストランの作法を頼りに、なんとか食べ進める。ルーシャの視線が背中に刺さり、落ち着かない。(変じゃないよね……?)
食事を終えて安堵した瞬間、扉が開いた。
「やあ、ユリアス。体調は大丈夫かい?」
現れたのは、兄のオレム。
昨日よりもなんだかくだけた印象なんだけど、、勘違い?
今日は蒼い髪は結ばず肩にかかっているからかな。。
彼は、向かいに腰を下ろし、給仕の注いだ紅茶を優雅に口にした。まるで絵に描いた貴族そのもの。
「……昨日と変わらない、です」
「そうか」
短いやり取りの後、彼はカップを置き、緑の瞳でじっと私を射抜いた。居心地の悪さに、背筋が強張る。
「……俺の名前、覚えているか?」
「オレム……ですよね?」
頷くオレム。だが表情は緩まず、さらに問いを重ねてくる。
「去年の秋、乗馬に行ったことは?」
「……覚えてません」
(え、馬乗れるの?)
「得意だった楽器は?」
「……わかりません」
(ピアノ意外弾けませんが、)
「昨年、この国で起きた最大の出来事は?」
「……ごめんなさい。本当にわからない」
(何それ、、ちょっと怖いんですが、、、)
矢継ぎ早の質問に、心臓が激しく打ち始める。私には、この身体のユリアスの記憶なんてひとつもない。それが突きつけられるだけだった。視線を落とし、テーブルを睨みつける。
しばらくの沈黙のあと、オレムは息を吐いた。
「……わかった」
その声は落ち着いていたが、どこか納得したような響きを帯びていた。私は恐る恐る顔を上げる。彼は私を疑っている? それとも……。
「心配するな。今は安心して過ごせばいい」
意外なほど穏やかな声に、肩の力が抜ける。
「……ありがとう」
私が小さく返すと、オレムはわずかに微笑んで立ち上がった。
「今は休んだらいい。あとで部屋に寄るから」
その背中を見送りながら、深く息を吐いた。食堂の静けさが、妙に重くのしかかってくる。




