3-9
手のひらの奥にじんわりとした熱が消えていくのを感じた。
息を吐きながら、そっと手を離す。
――空気が、張りつめている。
誰も声を発さないの。耳の奥で、心臓の音だけがやけに鮮明に響いていた。
私は慎重に言葉を選びながら、シュナさんを見つめる。
「……あの、痛くはありませんか?」
フィナさんは驚いたように目を見開き、ゆっくりと自分の腕に触れていた。
彼女の腕には、もう赤みも水疱も、何も残っていない。
「……痛みはないわ。傷跡もない。」
掠れた声。けれど、その瞳ははっきりと驚きの色に宿っていた。
「ほんとに……治ってる……」
近くにいたシュナさんが、小さく呟いた。
シュナが息を呑み、口元に手を当てていた。
デュランは、普段の無表情を崩し、目を見開く。
アストラッド殿下の表情は変わらなかったが、その口から低く澄んだ声が落ちた。
「……完璧な治癒だな。
フィナ、魔法をかけられている時どんな感じだった?」
アストラッド殿下の問いに、シュナが少し考えてから答える。
「そうね……魔力の流れは非常に滑らかだったわよ。
余剰魔力の漏れがほとんどなくて、必要なところに必要な分だけ流れていくようだったわ。
あんな感覚初めてよ。」
彼らが話し合う中、私はただひたすら緊張していた。
成功した安堵と、観察されている居心地の悪さが混ざり合って、胸の奥がざわつく。
そんな中、アストラッド殿下の紫の瞳が再び私を射抜いた。
静かで、それでいて底の見えない深さを湛えた瞳。
その視線を受けた瞬間、息が詰まる。
「ユリアス。君は、どのような感覚で魔法を使用したんだ?」
殿下の低く静かな声が、部屋に落ちた。
その一言に、全員の視線が再び私に向けられる。
喉がきゅっと締まるような緊張の中、私は小さく息を整えた。
「えっと……基本的には、“治る過程”を思い浮かべていました。
傷口がどう変化していくのか、皮膚が再生していく様子を、できるだけ具体的に想像して……」
前にオレムに説明したときと同じように、できるだけ丁寧に言葉を紡ぐ。
私が思考して魔法を使った感じを伝えた。
一通り説明を終えると、ふと感じた違和感を思い出して口を開いた。
「そういえば……前回と少し違うことが、ひとつあります。」
「違うこと?」
殿下が静かに問い返す。
「はい。今回魔法を使ったとき、手のひらが、ほんのり温かく感じました。
あと、少し体が……だるいというか、重い感じがします。」
殿下の紫の瞳が、わずかに細められる。
それだけで、胸の鼓動が跳ねた。
「なるほど。……前回は、そうした感覚はなかったのだな?」
「はい。たぶん、最初は必死すぎて気づかなかっただけかもしれません。
イメージすることで精一杯で……それ以外のことを感じる余裕がなかったんです。」
それは本音だった。
あのときは、考えるよりも先に、体が動いた。
ただ、オレムの治療!という一心で魔法を使っただけ。
——だから気づかなかったのかもしれない。
でも今は違う。前回よりも、体が重い。
じんわりとした倦怠感。まるで体の奥から水分が抜け落ちるような感覚。
(やっぱり……魔法って、体力を持っていかれるんだ……)




