3-2
ある日、朝食を終えたばかりの穏やかな時間だった。
自室で、紅茶を入れてもらい飲もうとしたところ、扉が開いた。
現れたのはオレム。いつもと違う雰囲気。
それは、黒を基調とした、やけにきっちりとした服装だからだろう。
挨拶と思い声をかけるより早く、オレムは背後に控えるメイドたちへと指示を飛ばしていた。
「準備を。例の衣装で。」
短い命令のあと、メイドたちは慌ただしく動き出す。
用意されたのは、見慣れない衣装だった。
(え、なに……この服?)
袖がふんわりと広がり、胸元や裾には繊細な刺繍。
全体はシルバーグレーの布地に、淡い青のラインが優しく走り、透け感のあるオーバースカートが光を受けて揺れる。
控えめながらも、どこか神聖な雰囲気を漂わせるデザインだった。
まるで——中世ヨーロッパ風のドレス。
メイドたちにより、手際よく私を着替えさせられると、今まで着たことがない服に心を踊る。
その後、髪を丁寧に結い上げていく。
鏡の中には、どこからどう見ても“貴族の令嬢”が立っていた。
……いや、立たされていた、という方が正しいな。
鏡の前でくるりと回ってみると、まるで物語のヒロインになったような気分だった。
……けれど、その感動は数分で終わった。
とにかく可動域が狭く動きづらい。階段を降りるだけで命がけだよ。
「これで、どうやって生活するの!?」と叫びたくなるほど、生活には非効率的な服だった。
「……動きにくいんですが、この服」
と文句を言ったら、オレムは苦笑して「今回だけは我慢してくれ」とのこと。
(……完全によそ行き仕様だよね)
言われるがままオレムについて行くと、屋敷の前に停まっていた豪奢な馬車へと導かれていた。
白銀の装飾がきらめき、扉には家紋が刻まれている。
(え……ちょ、ちょっと待って、本当にどこへ行くの? まったく、聞いてないんですけど!)
オレムからは何も聞くことができず、私の戸惑いなど置き去りにして馬車はゆっくりと動き出していた。
向かいの席に座るオレムは、いつものように姿勢が整っていて、窓の外を静かに眺めている。
無言のまま、車輪の音だけが規則正しく響いた。
我慢できずに私は口を開く。
「……そろそろ、説明があってもいいと思うんですけど?」
オレムはようやくこちらを向き、わずかに目を細めた。
「あぁ、王宮だよ」
——思考が、一瞬で止まった。
「……え、王宮って、あの……?」
「そう。国王陛下の御座す場所だ」
(ちょ、ちょっと待って。初めての外出が、よりによって王宮!?)
胸の奥がざわめき始める。王宮といえば、この国の中心。
王と貴族たちが集い、政治や儀式が行われる、まさに“最上位の場所”。
そんなところに、私が、いきなり行くなんて——無理、無理、無理!
頭の中でパニックを起こしながら、私は思わず両手を膝の上で強く握り締める。
オレムはそんな私の様子を横目に見て、落ち着いた声で続けた。
「心配しなくていいさ。正式な場ではないからね。」
正式な場じゃないとしても、無理だって!
後戻りはできないのはわかるけど、心の整理ができるように、事前に言ってほしかった!
そんな私の気持ちとは裏腹に、窓の外の景色がゆっくりと変わっていく。
つい先ほどまで、遠くに見えていた白亜の建物が次第に大きくなっていった。
塔の先端が陽光を受けて輝き、巨大な門の前には鎧をまとった衛兵たちが整然と並んでいる。
あれが——王宮。
息をのむような光景に、胸の奥がぎゅっと掴まれる。
未知の世界へ足を踏み入れる瞬間。
(……大丈夫。落ち着こう。どんな場所でも、やることは同じ——礼儀と笑顔、それだけ)
そう自分に言い聞かせ、私は馬車の窓から見える王宮を、静かに見つめ続けた。




