001-壁の向こうへ
──2035年4月22日。避難区域・桐生市。
自宅の床下に開いた黒い穴を見下ろしながら、タカヒロは軽く背伸びをした。
コンクリートと地盤をぐにゃりと柔らかくして空間を押し広げ、地下トンネルを作るのは、いつもけっこうな集中力を要する。
しかも今回は一晩で仕上げた。疲れた。
「……まあ、バレなきゃ勝ちでしょ」
警備の目をかいくぐって避難区域の外に出るには、これしかなかった。
正面ゲートには赤外線センサーと自動監視ドローンが常駐。
通行証がなければ、問答無用で拘束。
だけど、外には“面白いもの”があふれている。
タカヒロのスマホには、昨夜の掲示板のログが残っていた。
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【緊急】ダンジョンの状況って結局どうなってんの?
スレッド No.304 / 避難区域・桐生板
54:名無しさん@桐生生存
スレ保持してるけど、あいつ戻ってこないなぁ。やっぱ口先だけか。
55:名無しさん@桐生生存
いや、まだ準備してるだけかもよ? 避難区域から出るのって通行証いるし。
56:名無しさん@桐生生存
通行証なんて基本、他の避難区域に移動するときぐらいしかもらえん。
見に行くとか言ってる時点でムリゲー。
57:名無しさん@桐生生存
だな。ダンジョン見に行くなんて許可出るわけない。
期待して損したわ。
はい解散解散。
58:名無しさん@桐生生存
お ま た せ
準備できたから今から避難区の外に出ます。
59:名無しさん@桐生生存
お、マジ!?
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タカヒロは、苦笑した。
勢いで書き込んだ自分のスレッドが、まだ残っていた。
ずっと気づいていた。
ダンジョンが現れて半年。スキル保持者たちは戦力として前線へ引っ張られ、
“役立たず”は壁の中に押し込められる。
そして自分の「異能」は、そのどちらにも当てはまらない。
限りなく灰色。踏み出せば、きっと黒と見なされる。
でも、それでも行く。
この目で確かめたい。この力が「何に使えるのか」を。
地下の闇に吸い込まれるように、タカヒロは身を滑らせた。
掘ったばかりの土の匂い。ぬかるんだ床。根の張った壁。
その中進み数十分。
数十メートル先に、崩れかけの金網フェンスが見える。
その向こうは、もう、誰の管理も届かない世界だ。
一歩、また一歩。
壁の中で失われたものすべてが、この先にあるかもしれない。