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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
終章

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2 何気ない喧噪の中


「アイシャ! 見つけたぁ」


 子供の抱きつきという名の、容赦ない体当たりを受け、アイシャは無様にも洗濯籠を放り投げ、砂上に突っ伏した。


 元気有り余る様子の幼子達はなぜか、ぶちまけられた布を頭から浴びたいらしく、どこからともなく集まって、布を遊び道具にし始める。辺りは無邪気な喧噪(けんそう)に満たされている。


「だ、だめだよ、洗ったばっかりなのにっ!」


 眉を怒らせ、精一杯の大声で子供らを叱るのだが、自身も頭部に手巾(しゅきん)を乗せた姿なのだから威厳がない。


 いつもならば、ほんの少しやんちゃが過ぎたくらいでは叱らぬのだが、この日は訳が違う。東方青の氏族から、族長一家が滞在しに来ているのである。


 人が増えれば無論、汚れ物も増える。ただでさえここ、赤の集落では子供が多く、洗濯物は膨大だ。常よりアイシャは、一日中衣服を擦ったり伸ばしたりしているのだから、あと何度汚れ物を運ぶのかと思えば、辟易する。


「あ、それ、アーディラさんのスカーフ! 絶対に汚しちゃだめ。お願い、それだけはっ!」


 青の族長一家の所有物は、一目で高価と分かる品ばかりなのだ。穴だらけにしてしまい、原状復帰が出来なくなってしまったらと考えると、背筋が冷たくなる。軽々しく汚して弁償できるほど、赤の氏族は裕福ではない。


 アイシャは血の気の引いた顔で子供らを追いかける。追いかけっこでも始まると思ったのか、子供らは楽し気な声を上げ、鮮やかな瑠璃(るり)色の布を振り回しつつ、天幕の間を駆け抜けた。


「ま、待って……」


 追いかけっこは嫌いだし、体力もない。さすがに幼子よりは足が速いだろうが、灼熱の中、疲労困憊していたアイシャは途中で力尽き、日陰で休んで荒い息を吐いた。


「白の集落の子たちは、もう少しお(しと)やかだったのに」

「いやあ、子供は元気だねえ」


 思わずぼやいたアイシャの背中に、心底愉快そうな笑い声が向けられる。


「相変らず苦労してるみたいだね、アイシャ」


 黒い天幕の陰から栗色の頭髪の青年がやって来る。青の族長、クトゥーブである。


 情けない姿を晒してしまったアイシャは羞恥に俯いて、勢いで掴んだままだった朱色の手巾をもじもじと弄り回した。


「ううっ、クトゥーブさん。何か楽しんでる……」

「そりゃ楽しいよ。久しぶりの長旅だし、もうすぐで四氏族長が一年振りに顔を合わせるんだから」


 そう、青の族長一家がこの集落に滞在している目的は、なにもアイシャらとの交流ではない。西方白の氏族の集落に、三氏族長一家が招かれて宴が催される予定なので、クトゥーブらは旅の通り道にある赤の集落で一休みをしているという訳だ。もう数日すれば、アイシャもファイサルや青の氏族長一家と共に、白の集落へ向かうことになる。


 それを思えば、胸(おど)る気持ちを抑える(すべ)はない。


 宴の名目は、白の族長ラシードの初孫誕生祭。つまり、サクールとファテナの第一子のことである。本当の兄姉のように慕っている二人の子供。ただでさえ美貌の夫婦なのだから、その子も赤子ながらにとてつもなく可愛らしいに違いない。


「白の名代(みょうだい)君も、いつかはアイシャみたいに子供に引っ掻き回されて洗濯物を被ったりするのかね」

「サクールはそんなに間抜けじゃありません」


 自分で言って虚しくなって、アイシャは手巾を持つ手を下ろし、溜息を吐いた。その手首で、竜を模した銀色の腕輪が煌めいた。


「まあ、アイシャの場合は急に十何人のやんちゃ盛りの世話をすることになったんだから、仕方ないさ。いやあ、びっくりしたよ。帝都で行き場を失くした孤児を引き取って、氏族に迎え入れるなんて聞いた日には」

「はい、あたしも驚きました。まさかこんなに大変だなんて」


 赤の集落には十三人の子供がいる。彼らはいずれも孤児であり、帝都が瘴気(しょうき)で満たされたあの事件の折、世話すべき大人らに放棄された、哀れな孤児院の子供らだった。


 一時は青の集落に保護されていたのだが、アイシャとファイサルが南に戻り、氏族の復興を目指す際に引き取って、赤の氏族に迎え入れたのである。その中には、自傷に走るほど打ちひしがれていた日のアイシャに水を分け与えてくれた、あの黒髪の女の子もいる。


「子供と言っても、上の子はもう十一歳ですから、もっと楽かと思ったんですけど……」


 十一では、アイシャの年齢だと子供というよりも弟妹(きょうだい)である。しかし、彼らを見つめるアイシャの瞳は何だかんだと言えども庇護者の眼差しであり、クトゥーブは微笑まし気に言うのである。


「アイシャはやっぱり、ナージファ(ねえ)さんの娘だね。家族になるには血縁なんて必要ない。そうだろう?」


 意外にも真摯(しんし)な声音に、アイシャは弾かれたように顔を上げる。クトゥーブの切れ長の目が笑みに弧を描くのを見上げ、アイシャはゆっくりと頷いた。


「はい。もちろんです」


 心地の良い、温かな空気が二人を包む。妙に軽薄な印象のある青の族長クトゥーブだが、常にふざけた態度をとる訳ではなく、生真面目も装えるのだ。……それを維持するかどうかは別の話だが。


「とはいえ、血縁は血縁でまた良いものだよ。そこでアイシャ、俺のはとこの息子が」

「遠慮します」

「ひどいな。まだ何も言ってないじゃないか」

「言わなくてもわかります。ファイサルが、青の氏族出身の婿は絶対ダメだって言うんですから、もう諦めてくださいっ」

「あんな奴の言うこと聞いてたら、一生婿が来ないぞ」


 露骨なまでに赤の氏族との縁を繋ごうとするクトゥーブは、事あるごとに「良い話」を持って来る。下心しか見えないので、ファイサルでなくとも誰でも警戒するだろう。


 だが、クトゥーブの言葉ももっともであるとも思うのだ。この一年間、その(たぐい)の「良い話」は、(ことごと)くご破談になっているのだから。


「でも、確かにそうかも。他の氏族からもお話もらいますけど、ファイサル、全部潰しちゃうんです。中にはすごくかっこいい人とかいたんですけど、ちゃんと話もせずに軟弱者だって決めつけて。ひどいですよね」

「へえ? それはそれは」


 クトゥーブは顎を撫でて、思わせぶりに口の端を歪めた。


「どうしてだろうねえ」

「美男はだめなんです。多分、あたしが崖から突き落とされないか心配なんだと思います」

「え、何それ」


 想定外の回答だったのか、本気で目を丸くしたクトゥーブの様子を珍しく思いつつ、アイシャは気を取り直して伸びをする。


 本日も晴天。雷雲(らいうん)の影もなく、昼間ながら、蒼天(そうてん)に灰色の月が薄っすらと覗いている。天におわす竜が、その巨大な瞳で砂漠を見守っているかのようだった。


 月を見る度、アイシャは天に去った大切な者らに思いを馳せる。天竜とニスリンと、それから今でも愛おしいアジュル。黄金色の慈雨(じう)で世界が幸福に満たされたように、彼らの心にも安寧がありますように。


 そしてまた、水神の采配で、どこかで道が重なりますように。


「そうだ、クトゥーブさん。今夜満月ですよ。覚えてますか。あの日から、もう一年経ちます」


 ()しくも、同じことを考えていたのかもしれない。クトゥーブも首を反らせて空を見上げ、感慨深げに頷いた。


「ああ、そうだね。もう一年。早いようで一瞬だった。来年も同じように、穏やかに過ごせると良いね」

「はい、これからも砂竜族の皆が幸せでありますように」

「ところでアイシャ、もう一年と思った時には、次の一年に片足踏み込んでるんだ。気づいたら歳を取るものだよ。だから早いうちに俺の親友の弟を」

「け、結構ですって!」


 アイシャの叫びが空に吸い込まれ、それを追うようにクトゥーブの愉快そうな笑声(しょうせい)が立ち上がる。


 ただ単に、アイシャを揶揄(からか)い反応を見るのが楽しいだけのようだ。もはや、本気で婿を紹介する気はなさそうだなと気づき、呆れると同時に肩の力を抜くアイシャであった。

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