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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
黒の章

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11 皇女と天竜

 決行は次回の満月の日、正午と決定した。その日、砂漠中が心を一つにし、一斉に祈りを捧げるのである。


 策の陰ではもちろん、武力行使の準備も進んでいる。いかほどの効力があるのか未知数であるものの、泉を破壊するための大量の爆薬が、帝都に集う。瘴気(しょうき)の影響を受けぬよう、交代制で泉を見張るのは、各氏族の中でも豪胆と名高い精鋭ら。無論、武力行使の可能性は、祈りを捧げる無垢な民の耳に入れる予定はない。


 会合から日を置かず、西方白と北方紫の集落に伝令の砂竜が走る。全砂竜族が各々(おのおの)の聖地に集結し、祈りを捧げることを指示するためだ。同時に、商人として人脈の広い青の氏族の面々が各隊商(たいしょう)都市に赴き、経緯の説明と協力者を募る。策に同意した都市の民は、身近な水に向け、祈りを捧げることになる。


 一連の計画の最中、青の氏族は異例なことに、青の聖地に同族外を招くことを承諾した。聖地の水に只ならぬ興味を持つ学者らを味方につけ、聖地に人の祈りを集結させるためである。


 紫の氏族長ニダールが変わらず陰気な顔で愛竜に跨り、指揮を執るため北へ向かったのは、満月の十日ほど前。白の氏族長名代(みょうだい)であるサクールは、東部に残る。集落内での指揮は、父ラシードが執るため、遠路遥々(はるばる)帰路につく必要はないとの判断だ。


 時は飛ぶように過ぎ去って、気づけば運命の日が訪れる。アイシャらは、帝都の瘴気から辛うじて逃れることができる辺りに天幕を張り、決行の時を待つ。


 昼前、ファイサルが顔に幾重にも布を巻き付けて、僅かなりとも瘴気を防ぐことができる装備で東へ向かう。その腰に掛けた革袋には、嚙み嚙みトビネズミさんが押し込められている。


 常より騒がしい従弟(いとこ)は出立の折、簡潔な挨拶だけを残して旅立った。今生(こんじょう)の別れではないのだから、湿った言葉など不要である。二人の間には、そんな暗黙の了解があるように感じられた。


 アイシャはファイサルの背中を見送ってから、天幕の中、静かに時の訪れを待った。


 側頭に心臓が移動したのではないかと錯覚するほど、鼓動が大きく耳を打つ。青い絨毯の上、座した膝元に、ニダールが渋々置いて行った小瓶が一つ。先日、内容物の液体を嚥下した際に訪れた、急速な睡魔を思い起こし、アイシャは恐怖に身体が震えるのを感じた。


 全身にじっとりと汗をかき、指先の感覚が曖昧になる。息を吸ったのか吐いたのかも忘れ、ただ不安を抱えて時を待つ。


 先日自傷に走った折には、一切の恐れを抱かなかった。それなのに、肝心な時になり恐怖に気が狂いそうだなんて、滑稽にもほどがある。


 サクールが、側にいようと申し出てくれたのだが、断った。誰かに縋るのは簡単であるが、最後の最後で弱き思考に傾いて、策を放棄することなどあってはならぬ。本当の兄のようなサクールの穏やかな眼差しに甘やかされてしまえば、決意が揺らぎかねないと思ったのだ。


 太陽は、刻々と高くなる。


 天幕に斜めに差し込んでいた陽光が位置を変え、砂を垂直に焼き始める頃。アイシャは小瓶を手に取った。ともすれば震えそうになる指を叱咤して、開栓する。


 唇を当て、傾ける。苦い液体が口内に入り込み、喉を滑る。二度、三度と嚥下を繰り返す度、段階的に意識が遠のく心地がした。眠りの精霊(ジン)がやって来て、四肢が弛緩し始める。


 意識を手放す刹那、アイシャはこれまでに出会った数多くの砂竜族の顔を思い浮かべた。


 三族長の頼りがいのある眼差し、無駄に整ったワシムの顔。アーディラの妖艶な微笑みに、彼女の妹ら。挨拶を交わした全ての同胞、幼少期から世話になった白の氏族の皆、ナージファやセルマ、砂に消えていった赤の氏族の仲間達。最後に、灰茶色のぬいぐるみと、それを手にする従弟(いとこ)を思い、アイシャはどこか安らかな心地で瞼を下ろす。


 大丈夫、きっと全てが上手く行く。だって、皆が思いを一つにして、同じ願いを水に乗せている。アイシャは、今も昔もずっと変わらず、独りではないのだから。



 私は、孤独を知った。今も昔もずっと変わらず、独りであったことを、彼女が教えてくれたのだ。


「天竜様、天竜様」


 小鳥がさえずるような明るい声が、天竜()の泉の水面(みなも)を震わせる。穏やかな日差しを浴びて、東西から集められた極彩色の花々が上機嫌に揺れる中、少女が一人、石積みから身体を乗り出して、紺碧(こんぺき)の泉を覗き込んでいる。


「最近来られずにごめんなさい。この前泉に落ちてから、女官がずっと目を光らせていて」


 囁き声がさざ波を生む。美しいさえずりは水中を伝播して、やがて私の元へと辿りつく。


 先日、友人であるニスリン皇女に腕輪を贈った際、悪意なく水中に引きずり込んでしまった。ニスリンは無事に救出されたが後日、発熱をしたという。皇女を案ずる女官らが監視の目を強めるのも当然で、ニスリンはしばらくの間、内廷(ないてい)の泉に近寄るどころか、自室から出ることも許されなかったようだ。


 その間、私は彼女の夢に忍び込み、交友を深めた。ニスリンは、私と同様に孤独であった。気が合うのは似た者同士だからよ、とニスリンは、夢の中でさえ(まばゆ)い笑顔を私に注ぐ。その度に、現実の世界で彼女と対面したいと思い焦がれた。


 夢の世界でその願いを口にすれば、ニスリンはいつも、泉にやって来てくれる。心優しき少女。私の親友。唯一の友。――だから彼女は私の願いを叶えてくれるはず。友は友を助けるものだから。


 時は過ぎ、ニスリンが西方に嫁いだ後も、私達は水を通じて繋がった。かつてニスリンが泉に血を流し、水を飲み込んだことにより、私と彼女の間には強固な絆がある。その上、黄金の腕輪を肌身離さぬのだから、よりいっそう、我々は一つである。


 ニスリンを通じて西方騎馬民族の首長を焚きつけて、マルシブ帝国への反旗を(ひるがえ)させた時も、ニスリンは躊躇わなかったし、私も後悔など抱かなかった。


 しかしいざ、友が倒れ、命の灯火(ともしび)が戦乱に吹き消されて行く様を目の当たりにすれば、闇に沈むような絶望と、言い知れぬ苛立ちに襲われた。


 その感情を、人は何と呼ぶのか、私は知らない。複雑怪奇な感情が生まれはするのだが、ニスリンなくば、それらに名を当てはめることが出来ぬのだ。


 そのことを悟ればいっそう、胸が擦り潰されるかのような苦しみを覚えた。


 なぜ、ニスリンは死んだのか。


 ニスリンを(あや)めたのは、砂竜に跨る人間達。我が子である砂竜は人に利用されただけ。それであれば、恨むべくはやはり人間だ。私は何も悪くない。


 奴らは私を奴隷が如く水底に縛り付け、水を搾取した。我が子を奪うにとどまらず、友を奪い去った。私は再び、孤独に戻る。


 全てが憎い。禍々しくどす黒いものが、身体の末端までを染めつくすかのようだった。

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