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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
黒の章

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8 信念を貫いて

「天竜は」


 気づけば言葉が滑り出していた。


「寂しくて苦しかったんだ。だから、自由になりたかった」

「ああ、そのために俺達に害をなそうとしている」

「でもそれは、復讐のためだけではない」


 短気なファイサルは、早くも痺れを切らして眉根を寄せる。


「それはわかんねえけど、だったら何だ? 動機なんて、今となれば些細なことだろ。あるのは結果。瘴気(しょうき)が俺達の生活を(おびや)かしていることだけだ」

「お願い、ファイサル。一度ちゃんと考えてみよう?」


 真っすぐに向けられた視線を受け、自他共に認める山羊(やぎ)頭ファイサルは、やや眉を上げてから、自身の頭を搔き回し混乱を一身に表現した。


「いったい何を」

「大前提のこと」

「そういう細かいこと考えると、イライラするんだけど」

「我慢して、ちょっとだけ付き合って。ファイサルのこと、頼りにしてるの」


 いつになく断固とした従姉(いとこ)の様子に、さすがのファイサルも口を閉ざす。アイシャがじっと思考を巡らせていることを察したのだろう。不機嫌顔のファイサルではあるが、邪魔をすることもなく、(おもむろ)に銀の平皿を引き寄せて一言。


「これ、食って良いか」

「どうぞ」


 せっかくのご馳走が、残飯と化すのはもったいない。ファイサルの胃が満たされて、ついでに脳に血液が回り、頭の回転が早まれば尚良しだ。


「天竜が一番嫌だったのは、何だろう」

「うーん、水を生むこと? いや、言い伝え通りなら天竜は、その身からいつでも水を生むんだから、別に苦しくなんかねえよな」

「じゃあ、砂竜の卵を産むこと?」

「どうやって産んでんのかわかんないけどさ。普通の動物みたいに産むのか?」

「もしそうだったら、きっと苦しいね」

()()卵産んだことないから俺にはわかんねえけど、多分」


 頬張った羊肉の塊が、ファイサルの右頬を変形させている。食事を咀嚼しながら適当な受け答えをする従弟(いとこ)にじっとりとした視線を送ってから、アイシャは口元に指先を当てて思考を深めた。


 あの日アジュルが黒く染まり、天竜の意識が、まるで流砂(りゅうさ)が崩れるようにアイシャの中に流れ込んだ時、卵について、天竜は何と語ったか。卵を抱く、顕現(けんげん)する、という表現をしたはずだ。それであれば、生み出すことに、動物のような肉体的な負担は伴わぬのではなかろうか。


「これは却下」

「え、なんで!」


 アイシャはただ首を横に振り、まとまらぬ思考の断片を吐き出し続ける。


「感謝もされず水を生み、愛しい我が子を奪われる、冷たい水底で雌伏する。天竜は、そう言ってた。きっと、全てから解放されたいんだ。別に、人間を滅ぼしたいわけじゃないし、水を枯渇させたいわけでもない。世界を黒いもやもやで包みたいわけでもない。砂竜を人間の手から自由にしたい……とは思ったかもしれないけど、でも」


 手繰り寄せた糸のうち、不要なものが一つまた一つと放棄され、選び抜かれた糸が寄り集まって、次第に一本の太い紐となる。それはきっと、天竜の心に繋がっている。


 不意に世界が明瞭に拓けたかのような感覚に、アイシャは全身が震えるのを感じ、思わず椅子を蹴り上げる勢いで腰を上げた。


 突然のことに、ファイサルが米を吹き出しかける。アイシャはそのようなことなど気に留めず、身を乗り出した。


「天竜は自由になりたいだけだよ。人間を憎む根底には、その願いがある。暴力に全てを任せて全てを破壊することが目的なんかじゃない。だってそれが本望なら、ずっと昔に水神マージのお耳に届き、世界が壊れ始めるはずたもん。……そう、天竜はきっと、解放されたいだけだよ」


 推測が正しいのであれば、ギナの砂竜が不完全に覚醒した理由も、動く泉たるアイシャの不在ばかりではなかったのかもしれない。天竜の中には、以前から迷いがあった。そして今や、人と暮らし人を愛したアジュルと同化して、迷いはいっそう深まっているのではなかろうか。それならば。


「あたし達が天竜を自由にしよう。もちろんアジュルのことも!」

「どうやって?」

「天竜は今でも、自由になりたいと水に祈ってる。あたしたちが逆の願いを持っても、聖水から生み出された存在である天竜の祈りの力には敵うはずない。だから、皆で水に祈るの。天竜の願いと同じことを。天竜が、平和的に自由になりますようにって!」

「いやでもさ、そんな大それたことできんのか。一番水神マージに近いのは宮殿の泉だけど、近寄れないし。四氏族の聖地にぎちぎちに人を詰め込んで、祈らせるか?」


 聖地で祈る。それは言うまでもなく有効打だが、事はそう単純ではなかろう。天竜から遠く離れた場所で祈りを捧げても、瘴気の発生状況もわからぬのだ。効果の有無の確認もできず、非効率。そもそも、天竜の望みに関するアイシャの推測が外れている可能性もあるのだ。(いたずら)に時を浪費することはできない。とすれば、残された方法は。


「あたしが、宮殿の泉に行く。言い出したのはあたしだから。責任を持つのもあたし」


 浴び続ければ気が狂うという、黒い靄。その中に身を晒すことを想像すれば、恐怖に脚が震える。だが、アイシャはやらねばならない。構想段階とはいえ、やっとのことで平和的な解決の糸口を掴んだのだ。


 これが上手く機能せぬのなら、いよいよ黒い天竜、ひいては同化したアジュルを攻撃し、傷付けなくてはいけなくなる。それどころか、黒い天竜と人間の大規模な争いでも起きようものならば、同胞の安全も脅かされる。そのような惨劇、回避せねばならぬのだ。アイシャの心は、強く主張する。


 ファイサルは、アイシャの案に半信半疑である。無理もない。彼は、天竜の心を覗き見ていない。天竜の願いを根本から理解することができる人間は、ただ一人。聖なる水を体内に宿し、天竜の妄執が生み出した腕輪を受け継いだ、アイシャだけ。


 日中の自傷行為は、愚かであったと自省する。全てを放棄して死に逃げるなど、浅はかな行為だった。挽回することができるかは分からぬが、やらぬよりはましである。暴力による戦いは望まぬが、心は戦場に向かって行く。アイシャは、誇り高い赤き砂竜使い。セルマが諭したように、信念を貫くために、戦う時が来る。それは今この時なのだろう。アイシャは唐突に理解した。


「あたしが行って、天竜とアジュルと一緒に、水神に祈る。同時に泉の中の様子を見て来るね。この作戦が上手くいかない状況なら、別の方法を考えるの」


 臆病な従姉のいつになく毅然とした様子に面食らったらしいファイサルは、しばしの硬直の後、首を振って正気に戻る。


「何言ってんだ。羊よりも気弱なんだから、途中で気が折れて失敗するに決まってる」

「そんなことない。ファイサルも言ったでしょう。アジュルを育てたのはあたし達なんだから、責任を取らないと」

「それなら、俺が代わりに行って」

「ファイサルはだめ」

「何で」

「短気だから、天竜に喧嘩を仕掛けて失敗しそう」

「水神の使徒に喧嘩吹っ掛けるかよ!」

「天竜は水神の使徒じゃない。水の創造物」


 聖職者が耳にすれば卒倒しそうな事実を吐き捨ててから、とにかく、と言い募る。


「誰かが行かないといけないの」

「もし効果がなくて、失敗したら?」

「その時は」


 アイシャは拳を握り、声が震えぬように腹の底に力を込めた。


「その時は、武力行使しかない。黒い天竜を討つ。そのための準備も進めておこう。いざとなったら、宮殿の泉に攻撃を……」

「だめだ!」


 ファイサルが不意に拳で机を打ったので、振動で燭台の火が揺らめき影が動く。水差しから貴重な水が零れ、腕輪と嚙み嚙みトビネズミさんが小さく跳ねた。反射的にそれらに目を遣って、アイシャの視線は机上に釘付けになる。


「とにかくだめだ。泉の側にはアイシャがいるんだ。巻き添えになるかもしれないし、そうじゃなくてもやっぱり、敵陣にのこのこと入り込むなんて……まさかおまえ、この後に及んでまだ死にた」

「ファイサル」


 アイシャの灰色の瞳は、机の中央部、鈍く光る天竜の腕輪……ではなく、その隣の灰茶色の塊を凝視している。


「ファイサル、わかった。嚙み噛みトビネズミさんだよ」

「はあ?」


 アイシャは顔を戻し、不信と苛立ちがありありと浮かぶ従弟の顔を見据えた。


「願うことに身体なんて必要ない。そうでしょう?」


 眉同士が接触しそうなほど眉根を寄せたファイサルに、アイシャは画期的な作戦を説き伏せた。


 きっとこれが、アイシャが戦うべき道である。

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