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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
黒の章

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1 飴色の微笑み

 帝都は、黒き霧により陥落した。


 常ならば市場(いちば)は活気に満ちて、商人らの威勢の良い声が響いている。居住区は子供らの笑声(しょうせい)や慌ただしい足音で溢れ、軒先ではご老人が日陰で涼み、長閑(のどか)な喧騒に目を細める。


 だが今は、全てが闇色の中。事の発端は約半月前。長年泉の底に隠れていた天竜が天へと飛び出した直後、突如として西の空より黒き竜が飛来した。彼らは宮殿の上空で衝突し、溶け合った。天竜は、大蛇の如く姿形はそのままに、輝きを失い漆黒に染まり、再び泉に帰ったという。


 融合の衝撃で生じた光の(つぶて)が泉に降り注ぎ、立ち上がる水飛沫(みずしぶき)が宙を舞う。それらは次第に闇を溶かしたかのような黒色に染まり、やがて霧となり帝都を包む。


 吸い込んでも即座には、人体への害はないらしい。しかし、数刻も霧の中にその身を晒せば、精神を病み、発狂する(たぐい)瘴気(しょうき)である。皇族らは、さらに東方に位置する旧宮殿へと移住して、帝都の住人は近郊の町に避難した。


 西からやって来た黒き竜を目にした者らは、口を揃えて語る。「あれは砂竜だった」。天竜ならば大蛇のような姿をしているはず。だがあれは、巨大な蜥蜴(とかげ)(よう)の影だった。


 噂は公然の事実として帝国中に知れ渡り、一連の騒動は砂竜族(さりゅうぞく)の謀反だという論調が強まった。


 ことを受け、砂竜四部族の長は、全ての発端となりし砂漠の東部、青の集落にて集結した。


 西方白の氏族からは、脚を痛めている父の名代(みょうだい)としてサクールが。北方紫の氏族からはニダールが。東方青の氏族の長は無論、クトゥーブで、南方赤の氏族からはファイサルが、議論の場に召集された。


 アイシャは天幕に籠り、会合には出席しない。諸悪の根源はアイシャなのだから、どの(つら)を下げて皆の前に姿を晒すことができるだろう。


 アジュルが東に飛び立った直後、アイシャはファイサルとクトゥーブ、その妹のアーディラに、天竜に纏わる真実を告げていた。事の経緯はすでに、先日到着した紫と白の族長にも伝わっている頃合いか。


 アイシャは薄暗い天幕の中、頭頂まで掛け布に包まり、外界の刺激を遮断する。一日に何度かアーディラが声を掛けてくれ、食事や薬品を差し入れてくれる。不本意ながら、眠っているだけでも腹は減るのだし、アジュルに焼かれた右腕の火傷は軽症ながら、治療が必要な程度には(ただ)れているのだ。


 アイシャは、アーディラの善意に対して何ら反応らしいものを返すことができず、ただぼんやりと呼吸をして過ごす。


 ふとした拍子に、アイシャから真相を聞き終えた後のファイサル表情が、瞼の裏に浮かび上がる。彼の家族を滅ぼした遠因はアイシャだ。


 勇気を出して従弟(いとこ)の表情を覗いた際に見えた、言葉を失い強張る頬。見開かれた目。


 貰われ子の従姉(いとこ)が、氏族を滅ぼす原因となっただなんて。恩を仇で返す結果に、あれ以降ファイサルの姿を直視できない。数回、天幕の外からアイシャを呼ぶ声が聞こえたが、いつも眠った振りをしてやり過ごした。


 このまま、砂粒の一つになってしまいたい。天竜が語ったように、水に還るのも良い。


 全てを忘れて消え去りたいとさえ願い、日々を無為に過ごす。


 その日、天幕の側に人の気配を察した時、またファイサルがやって来たのだと思った。だが、サンダルが砂を擦る音に耳を澄ませれば、いつになく穏やかな足の運びである。従弟の足音はもっと豪快で、砂粒を蹴散らす音がするはずだ。


「アイシャ」


 柔らかく呼びかけられて、アイシャは思わず身じろぎをした。聞き慣れた、しかし懐かしさすら感じる声。言葉を発するつもりはなかったのに、唇から音が滑り出る。


「サクール……」


 サクールの細長い指が、躊躇いがちに垂れ幕の隙間に差し込まれる。布は斜めに持ち上げられ、歪な四角形の光がアイシャの足元へと射し込んだ。


「入るよ」


 拒絶を示す間もなかった。垂れ幕は、半分開いた形状に固定される。やや明るくなった室内に、サクールが滑り込む。アイシャは慌てて居住まいを正そうとしたが、間に合わなかったので、結局掛け布を引き上げて全身を隠した。


 柔和な印象ながら、意外と強引なことをするのがサクールだった。一方で、ファイサルのような、あからさまな無遠慮さを感じさせないところがまた、憎めない。


「昨晩やっと着いたんだ。ほら、白の集落は青まで一番距離があるから。長旅で干からびるかと思ったよ」


 サクールは何事もなかったかのような調子で朗らかに笑い、アイシャの形をした布のふくらみの横に腰を下ろした。


 さすがに布を引き剥がされることはないと思ったが、アイシャは用心深く、掛け布の端を握りしめた。ひどい顔だろうし、頭髪も乱れに乱れているだろうから、人前に姿を晒したくない。幼少の頃より憧れていたサクールに対しては、なおさらのことである。


「皆、アイシャを心配している。紫の族長ニダール殿も何だかんだ言って会いたがっているし。そうそう、ファイサルも悲しんでた。ずっと避けられてるって」


 会いたがるのは、アイシャを非難するためだろうか。心配しているなど、甘言(かんげん)に過ぎない。きっとそうだろう。もしかしたら族長会議で罪人認定されて、処刑でもされるのかもしれない。


 それでもいいか、と心に浮かび、アイシャは小さく吐息を漏らす。こうも投げやりな心持ちなのに、顔面を晒すことに抵抗があるなんて、とても滑稽に思えた。


「アイシャには酷だけれど、午後の会合に出て欲しい。自分の足で行けるね? 難しいのなら、担いで連れて行くことになるけど、それは嫌だろう」


 アイシャは小さく呻く。もはやこの身は、砂竜族の誇りを語る身分ではないだろう。しかし、長らく刷り込まれてきた、「常に誇り高く勇敢であれ」という言葉が、アイシャの心を突き刺した。寝具に包まり、頑固な羊のように動かず、最後には他人に担がれ連れ出されるなど、無様にもほどがある。アイシャは観念して、囁くような声音で答えた。


「わかった」

「さすがは赤き砂竜使いだ」


 もう、砂竜使いではない。その言葉が喉元まで出かかるが、サクールがそれを許さない。畳みかけるように、彼は続ける。


「会合の後でもいいから、ファイサルに会ってやってくれ。あいつが萎れていると、調子が狂うんだ」

「ファイサルはあたしのことなんか」

「ファイサルがそう言った?」


 アイシャは言葉に詰まる。


「ううっ、知らない」

「八年前の事件の後、ファイサルが腐らず無謀もせずになんとか大人になったのは、アイシャがいたからだよ」


 想定外の言葉に、アイシャは身じろぎして布の端から半眼を覗かせる。サクールは、飴色(あめいろ)の瞳に柔らかな色を宿し、こちらに視線を注いでいた。


「……どういうこと?」

「さあ?」


 サクールは少し楽し気な声で、意地の悪いことを言った。


「自分で訊いてみたら」


 謎めいた言葉を残し、サクールは天幕を去って行く。しばらくしてアーディラが着替えと食事を持ってきた。これ以上(かたく)なになるのも馬鹿馬鹿しく思え、アイシャは素直に身支度を始める。


 やがて、平らげられて空になった銀色の平皿を見て、アーディラは安堵に目元を和らげた。

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