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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
青の章

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15 尻尾を直しながら情報を整理しましょう

「どうぞ、ファイサル」


 ここは他人の天幕。我が物顔で入室の許可を出すのはやや気が引けることだが、今や室内に一人きりなのだから、仕方がない。ファイサルの方も、天幕にいるのはアイシャだけであると知っているらしく、無遠慮な調子で入り込んでくる。


「これ壊れたんだけど」


 簡潔に述べ、ファイサルは右手をアイシャの鼻先に突き出す。指先には灰茶色の細い紐。先日まではその先に、丸みを帯びた胴体と頭部がついていたはず。ファイサルの指に(つま)まれてぷらぷらと揺れるのは、無残にもむしり取られた、噛み噛みトビネズミさんの尻尾である。


「ファイサルひどい。尻尾引っ張ったの?」

「違えよ。アジュルが振り回したら取れた」


 どうやらファイサルは、つい先ほどまでアジュルと(たわむ)れていたようだ。


 アイシャは天幕の端に並んだ荷袋を漁り、裁縫道具を取り出した。ファイサルの手から、哀れな嚙み嚙みトビネズミさんの断片を受け取って、出入口の垂れ幕の側に腰を下ろす。


 夕刻とはいえ、灼熱の陽光はまだ盛ん。斜めに差し込む光で、天幕内は満たされている。それでもやはり、入り口側のほうが光度が高いので、細かな作業をする際の定位置である。


 金色の日差しを浴びながら、アイシャは黙々と針を動かした。銀色のそれが光を反射して、規則正しい明滅を繰り返す。隣に座したファイサルがいつになく静かである。


 眠ても起きても騒がしいファイサルだ。身じろぎもせず、大声も出さないだなんて、奇妙である。お腹でも痛いのだろうかと、半ば本気で口をついて出かけた頃、彼はやっと言葉を発した。


「もし、さ」


 探るように、いつになく慎重に選び取られ、言葉はファイサルの口から滑り出す。


「おまえが紫や青の聖地で見た光景が、過去に起きた真実だったらさ、村が焼かれた時に、ナージファ伯母さんもその場にいたんだよな」


 束の間、ぬいぐるみの綻びを縫い付ける手が止まる。返す言葉を思案して、結局何も答えられずに再び針を動かした。


「アイシャが紫の聖地で見たのは、燃える集落と伯母さん、それに相棒のマハ。ということは、竜生(りゅうせい)の儀の後、伯母さんはあの砂竜の雛を連れて、みんなで村に戻ったんだな」


 アイシャの脳裏に、紅蓮の炎が蘇る。崩れ落ちる天幕、火の中に走り去るマハ。母はあのまま焼け焦げたのだろうか。


 仲間を弔った時、個人の識別が難しい遺体は複数あった。あの時は一縷(いちる)の望みにもすがりたくて、母の腕輪が集落にないことから、ナージファが生きているのではないかと淡い期待を抱いた。だが青の聖地で見たものが真実であるのなら、ナージファはあの日、腕輪を間歇泉(かんけつせん)に安置したはず。だからこそ八年後、黄金の天竜はアイシャの腕にやって来た。


 黒焦げた集落に、腕輪がないのは当然だった。母がどこにいようとも、この金色の塊だけは、間歇泉にあったのだ。


 しかしアジュルが孵った日、悲劇から八年後の間歇泉で、アイシャは確かにナージファの温もりを感じたはずだ。匂いも声も話し方も、全てが紛れもなく母だった。集落と運命を共にしていたのならば、なぜ母との邂逅(かいこう)が叶ったのか。何者かが、母と全く同じ存在をこの世に生み出したのだろうか。いや、まさかそのようなこと。


「なあ、アイシャ」


 ファイサルが神妙な声音で呼んだので、アイシャは顔を上げる。気づけば再度、手が止まっていたようだ。


「言おうか迷ってたんだけどさ、あの日火柱を目撃した遊牧民から、気になる証言があったらしいんだ」

「気になる証言?」


 ファイサルは、ああと呻くような声で肯定を示し、視線を彷徨(さまよ)わせる。ひとしきり躊躇を見せてから、彼は意を決したようにアイシャを真っすぐ見つめた。


「南の空が炎で赤く染まった時、竜の咆哮(ほうこう)が砂丘に響き渡ったらしい。たった一頭の、猛々しく太い声だったって。焼き尽くされる恐怖に怯えた、集落の砂竜達の悲鳴じみた叫びじゃない。それはむしろ、怒りを露わにして、なりふり構わず周囲を焼き尽くすような……」


 それは、集落を焼いた者が連れていた砂竜の咆哮だったのではあるまいか。ファイサルは暗に、そう言っているのだ。


 では、その砂竜とは何者か。他部族の砂竜か、それともギナの砂竜のように、何かに取り憑かれた赤き砂竜か。


「その証言をしたのは一人だけだったし、そいつも砂竜族を敵に回したくなかったらしく、気のせいだと言ってすぐに証言を撤回したってさ。お陰で噂は広まらなかったみたいだけど、ほら、青の氏族の情報網、すごいだろ。砂に埋もれた噂を仕入れることだってできるみたいで、巡り巡って俺のところまで」

「……その話、ファイサルはどこで聞いたの」


 胸に(わだかま)る不安から目を背けるかのように、アイシャは本筋ではない部分を掘り下げる。ファイサルは素直に答えた。


「聖地に行く前の晩、聞いたんだ。アーディラさんから」

「前の晩」


 このような話題の最中だというのに、あの月夜に見た光景が蘇る。夜半、ファイサルの天幕に吸い込まれて行った妖艶な女性。前の晩、ということはやはり、二人きりで天幕の中、夜を過ごしたのだろう。それはつまり。


「お、大人の関係?」

「は?」


 話の腰を折る呟きが漏れてしまったが、言葉が止まらない。


「アーディラさんと、あ、あんな夜中に、そんなことしてたのっ?」

「あんな夜中って、見てたのか。ほら、アイシャは臆病だろ。気を利かせてくれて、まずは俺だけに教えてくれたらしい。アイシャに伝えるも伝えないも、俺に一任するって……アイシャ?」

「じゃあ、お話しただけ?」

「だけって、他になにす」


 言いかけて、頬を紅潮させたアイシャに気づいたらしいファイサルは、従姉のとんだ勘違いを察したらしい。大袈裟に身を引いて、首を左右に振り回す。


「ガキみたいな見た目のくせに、変なこと考えてんじゃねえ!」

「ひどい! あたしの方が年上だもん」

「三か月だけな。ったく、青の氏族怖えんだ。そんな美人局(つつもたせ)みたいな罠に引っ掛かるかよ」

「つつも?」

「知らないならもういい」


 ファイサルは溜息を吐いてから、気を取り直して居住まいを正す。


「とにかく、最初にこの話を聞いた時、俺は考えた。咆哮の正体は他氏族の砂竜で、たとえばラシード小父(おじ)さんの白き砂竜が、赤を焼き尽くしたのかと」


 赤の集落を襲った惨事。その真相に繋がる可能性がある手掛かりを、白の氏族は隠していた。その意図は、白の族長ラシードを詰問(きつもん)せねば、明らかにはならない。


 だが、彼らが赤の氏族を破滅に追い込んだ首謀者ならば、秘匿の理由も明白である。


「でも」


 アイシャの唇は、ひとりでに動く。


「白の皆は、あたし達を保護して育ててくれた。赤の氏族を根絶やしにしたいのなら、あたし達はとっくに砂漠に放り出されているはず」


 ファイサルも頷いて同意を示す。


「ああ。だから、不自然だと思ってたんだ。けどさ、昨日おまえが聖地で見た光景を聞いて、全部繋がった気がした。もしかしたら、腐った……いや、黒い(もや)に包まれた姉ちゃんの竜が悪しき存在になり果てて、集落を焼き」

「あり得ない。砂竜は火なんか、操れない」


 従弟の言葉を遮り言い切ってから、アイシャは胸を押さえる。本当は、その可能性を理解していた。炎を吐く砂竜。アイシャはそれを、己の目で見たことがある。紫の町の深淵で、砂を熱して瞬時に乾燥させたアジュル。あの可愛らしい薄紅色の口内から、朱色の熱が吐き出されたのも、記憶に焼き付いている。それでも。


「砂竜は、水神マージがマルシブ帝国に遣わせてくださった、偉大なる天竜の子だよ。どうして、人に害をなすの。砂竜とあたし達は仲良く暮らしているでしょ。アジュルだって、あんなに懐いているのに」

「おまえの気持ちはわかるけど。アジュルも空を飛んだし」

「あれはただ、風が強かっただけ。それに、生まれたばかりの小さな砂竜に、そんな力あるはずないよ」

「けど、アジュルみたいに数日でみるみる大きくなる奴もいるんだぜ」

「でも」


 反論を試みるが、説得力のある言葉は浮かばない。しかし、理にかなわぬ推論を述べるファイサルも、これ以上の追撃の手札は持ち合わせていないらしかった。


 天幕内に沈黙の(とばり)が下りる。遠くで山羊(やぎ)の鳴き声が響いた。アイシャは再びぬいぐるみを手にし、糸を留めて引きちぎるようにして切り取る。


 勢い良く腰を上げ、アイシャは宣言した。


「これ、アジュルに渡してくる」


 アイシャのあからさまな現実逃避を目にしても、ファイサルは何も言わなかった。

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